湯本 明子(ゆもと あきこ、1932年<昭和7年>10月31日[1] - )は、愛知県名古屋市出身の作家文学研究者

ゆもと あきこ
湯本 明子
生誕 (1932-10-31) 1932年10月31日(91歳)
愛知県名古屋市[1]
国籍 日本の旗 日本
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杉田久女の研究および寺田守研究を専門分野とする[2]

人物 編集

名古屋市に生まれる[1]。1953年(昭和28年)に愛知県立女子短期大学国文科を卒業[2]。卒業後、愛知県海部教育事務所指導主事として勤務[1]。結婚後武豊町立武豊中学校へ転じた[1]。1964年(昭和39年)まで中学校教諭として勤務した[2]

自分の手で子育てしたいという思いから中学校教諭の職を辞し[3]、退職後は豊田市に移住した[1]

湯本は国文科の出ではあるが、中学校教諭普通二種国語科英語科の2教科の教員免許を持っており[2]、豊田市立中学校で英語講師として勤務[1]。また自宅に英語塾を開いたりと、引き続き教育現場に身を置いた[3]

人生の転機となったのは1987年(昭和62年)の春、陶芸仲間と愛知県小原村(現豊田市)を訪ねた旅行であった[3]。たまたま目に入った「杉田久女、墓地、句碑」の標柱に惹かれ、松本東京小倉東京芸大まで杉田久女の足跡を追うことになったのだ[3]。カルチャーセンターの「小説の書き方教室」にも足を運ぶなど、かねてより文章を書くことには関心があったこともあり、同年には名古屋近代文学史研究会誌に「杉田久女」と称した連載も開始した[3]。この連載は同誌以外に俳誌『若竹』にも掲載されるほどであった[3]。連載は1998年(平成10年)12月まで掛かってようやく完結を見た[3]。連載は『俳人杉田久女の世界』(本阿弥書店)として1冊の本に結実した[3]。『俳人杉田久女の世界』は中部ペンクラブ賞を受賞している[3]

その間1991年(平成3年)には矢作新報にも小説『風のゆくえ』を連載[1]。1996年(平成8年)には小説『時の底で』、1994年(平成6年)には「屋根の下の他人」をそれぞれ発表している[2]

1996年(平成8年)には「第56回コスモス文学新人賞(掌編部門)」を受賞している[3]

2000年(平成12年)には第11回朝日中部俳句大会朝日新聞社賞を受賞している[3]

豊田市出身の文学者である寺田守の研究にも着手し、1999年(平成11年)には寺田守の雑誌「黄峰」5冊の復刻も果たしている[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 中日出版本社 1994, p. 510.
  2. ^ a b c d e f 日外アソシエーツ 2020, p. 881.
  3. ^ a b c d e f g h i j k 阿部孝子 (2000年6月8日). 中日新聞朝刊: p. 26 

参考文献 編集

  • 日外アソシエーツ 編『愛知県人物・人材情報リスト2021(第2巻)』日外アソシエーツ、2020年。 
  • 中日出版本社 編『愛知県著名女性事典』中日出版本社、1994年、510頁。ISBN 4-88519-101-7