湯浅 直樹(ゆあさ なおき、1983年4月24日 - )は、元砂金堀師 日本アルペンスキー選手。 株式会社ヤマヲ所属。

人物・来歴 編集

北海道札幌市西区生まれ[1][2]札幌市立琴似中学校[2]、札幌商業高等学校(現在の北海学園札幌高等学校[2]北海道東海大学(現在は東海大学に統合)国際文化学部卒業。 日本人が日本国産のスキーを使用してアルペンスキーワールドカップの表彰台に立った唯一の選手。 今季よりブーツ、板はアトミックを使用している。身長177cm[1][2]、体重72kg[1][2]

9歳の時にレーシングチームの札幌SSプロダクツに入りアルペンスキーを始める[3]。中学時代は走り高跳びで全国ランキング3位[2]、高校時代は2002年のインターハイ回転で優勝[2]している。

2003年、イタリア「マテオ・バウムガルテン賞」を受賞する。同賞は1996年より世界各国から推薦されたFISレースの成績と学問に秀でた18-24歳のアルペン選手の中から選考委員会が毎年1名の受賞者を決定している。この時100人を超えるイタリアの貴族達の前でイタリア語と英語でスピーチを行なった。

2005年アルペンスキー世界選手権で18位[1]FISアルペンスキー・ワールドカップでは下位スタートが災いし、上位30名による2本目進出がなかなか果たせなかったが、2005年12月22日にスロベニアクランスカ・ゴーラで開催されたFISワールドカップ第3戦で50番スタートから2本目に進出し、2本目に最速タイムを記録して7位入賞を果たした。その後も50番台のスタートに苦しんだが、格下のヨーロッパカップで上位に入るなどスタート順に恵まれないながらトップ選手に遜色ない実力の片鱗を見せていた。

2006年。1カ国4名までエントリー可能なトリノオリンピックでは回転競技で39番とまずまずのスタート順から1本目17位。2本目14番スタートから会心の滑りを見せ、3位のタイムで合計7位まで大きくジャンプアップした。皆川賢太郎と共にコルティナダンペッツォオリンピックでの猪谷千春以来、日本アルペンスキー勢としては50年ぶりの入賞を果たした。

2005年、春にアメリカ・マンモスマウンテンで合宿中に膝を負傷。軟骨が欠けてしまい手術が必要なほどの重症だったがトリノオリンピックのために半年間痛み止めを飲んで我慢していた。薬の飲みすぎで倒れたこともあった。この努力が実を結んだ。

この入賞により、FISワールドカップランキングを大きく上昇させ、上位30名の第2シードに進出(2006年2月末現在)。佐々木明、皆川賢太郎に続く第1シードが期待された。

2009年フランスで行われた世界選手権の大回転競技で予選から勝ち上がった選手の中で唯一トップ30入りした。この時のスタート順は出場した選手の中で最後だった。

2010年バンクーバーオリンピックの選考には漏れる。2010年1月17日のW杯回転第5戦までを期限とした日本男子の選考レースで、湯浅は佐々木、皆川に続く3番手の成績だったからである。その後1月26日のW杯回転第7戦は過去2シーズンの日本勢最高となる8位に入った。他の国・地域が返上した枠が予想外に多かったため、1月29日に2枠が日本にも再分配されたが日本スキー連盟は湯浅を追加派遣しなかった。そのことを疑問視する声も聞かれた[4]

2011年、ドイツのガルミッシュで行われた世界選手権の回転競技で6位入賞を果たした。同大会での日本人選手の入賞(6位以内)は、1991年の川端絵美以来20年ぶり、男子選手では1958年の猪谷千春以来53年ぶりのことであった。オリンピックと世界選手権両方で入賞を果たした日本人は猪谷千春と湯浅直樹の2人だけである。

2011年 - 2012年シーズン、オーストリアのシュラートミングで行われたFISワールドカップ男子回転第8戦で自己最高の5位入賞[5]

2012年 - 2013年シーズンのFISワールドカップ男子回転第3戦(マドンナディカンピリオ  イタリア)では、1回目の26位から2回目の驚異的なアタックで順位を大きく上げて3位に食い込み、自身初めてFISワールドカップの表彰台に上がった[6]

2013年 - 2014年シーズンのFISワールドカップ男子回転第4戦(ボルミオ  イタリア)では、一本目21位から二本目でトップのタイムを出して4位に入賞、念願の第一シード入りを果たした。

2021年、北海道・阿寒湖畔にて行われた第99回全日本スキー選手権・回転にて、2年振り6度目の全日本チャンピオンの座を手にした。この時初めて自身が人工関節であることを明かした。

湯浅の使用していたHARTというスキーは岐阜県で製造されている日本製であり[7][8]、2011年時点でアルペンスキーのワールドカップで、日本人かつ、日本国内産のスキーを使用し上位に食い込んだのは、6位の児玉修(小賀坂スキー使用)もいるが、表彰台に上がった経歴のあるのは湯浅一人である[7][8]。ワールドカップで男女合わせて湯浅を除く全ての選手が日本国外産(主にオーストリア)のスキーを使用している中、湯浅は日本国内産のスキーを使用した日本人が世界一になると言うこだわりと明確な目標を掲げている[7][8]

身上は「死攻」(死んでも攻める)。

2018年7月1日、マテリアルをアトミックに変更したことを発表[9][10]

主な成績 編集

冬季オリンピック
アルペンスキー世界選手権
ワールドカップ(10位以内)
ヨーロッパカップ
  • 優勝3回、2位4回、3位1回

脚注 編集

  1. ^ a b c d “湯浅10人抜き!! 7位入賞/アルペン”. 日刊スポーツ. (2006年2月27日). http://torino2006.nikkansports.com/paper/p-ol-tp5-060227-0021.html 2018年2月22日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g “湯浅直樹、左ひざ骨挫傷乗り越え2大会連続3度目五輪へ…男子回転”. スポーツ報知. (2017年12月29日). https://hochi.news/articles/20171228-OHT1T50128.html 2018年2月22日閲覧。 
  3. ^ JOCトリノ2006日本代表選手プロフィール
  4. ^ わだかまり捨て4年後目指す アルペンスキーの湯浅直樹47News、2010年03月31日
  5. ^ 湯浅が自己最高の5位 回転/アルペンサンケイスポーツ2012年1月25日
  6. ^ 湯浅、回転で3位 アルペンスキーW杯初の表彰台 日本経済新聞 2012年12月19日閲覧
  7. ^ a b c 読売新聞、2014年2月22日夕刊
  8. ^ a b c “アルペンスキー、日本人の魂を見せる - ソチ五輪開幕迫る(2)”. 日本経済新聞. (2014年2月2日). http://www.nikkei.com/article/DGXZZO65693030S4A120C1000000/ 2014年11月24日閲覧。 
  9. ^ 湯浅直樹ATOMICへマテリアルチェンジ - アルペンスキー撮影記」『アルペンスキー撮影記』、1530400066。2018年7月2日閲覧。
  10. ^ http://www.atomicsnow.jp/ski/news/Entry/atomic-ski-news/3175.html

外部リンク 編集