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源 行宗(みなもと の ゆきむね)は、平安時代後期の公卿歌人三条源氏参議源基平の子。官位従三位非参議

 
源行宗
時代 平安時代後期
生誕 康平7年(1064年
死没 康治2年12月24日1144年1月30日
官位 従三位非参議
主君 白河天皇堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇近衛天皇
氏族 三条源氏
父母 父:源基平、母:藤原良頼
兄弟 基子季宗、覚意、行尊、厳覚、行宗、頼基、尋仁、乗覚、宗真、源俊房
藤原季仲娘、源基綱
行海、任覚、行暁、琳円、倫円、行時雅重、行雲、有通、行仁、行智、行増、輔仁親王
養子:兵衛佐局
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目次

経歴編集

承保元年(1074年)11歳で従五位下叙爵され、皇太弟実仁親王昇殿を聴される。永保3年(1083年侍従に任ぜられ、次いで昇殿も聴されて白河天皇に接近した。応徳2年(1085年)に実仁親王が薨去しているが、応徳3年(1086年)従五位上に進み、堀河天皇の即位後の寛治元年1月(1088年1月)右兵衛佐に任ぜられた。

寛治5年(1091年正五位下、寛治8年(1094年従四位下に進み、院昇殿を聴されて引き続き白河上皇の身辺に仕える。嘉保2年(1095年)に従四位上に進みむが、その後しばらくは昇進が停滞した。

元永3年(1120年)に修理権大夫に任官し、保安3年(1122年)に鳥羽天皇の昇殿を聴される。保安4年(1123年)には正四位下近江介に叙任され、鳥羽天皇の退位後は新帝崇徳天皇の昇殿も聴された。同じ時期に待賢門院藤原璋子の昇殿も聴されて、保延5年(1139年)には女院の御給で従三位に叙せられて76歳で公卿に列した。大蔵卿越前権守を兼帯。康治2年(1143年)2月16日に出家し、同年12月24日に薨去。享年80。

歌人としても活躍し、家集に『行宗集』がある。源師頼源顕仲源師時源国信源俊頼らとの交流が知られ、『金葉和歌集』以下の勅撰和歌集には27首が入る[1]。また、漢詩も作ったという。

官歴編集

※以下、『公卿補任』の記載に従う。

  • 承保元年(1074年)11月21日:従五位下に叙爵し、東宮昇殿を聴される(大嘗会東宮御給)。
  • 永保3年(1083年)2月1日:侍従に任官。3月19日:昇殿を聴される。
  • 応徳3年(1086年)正月7日:従五位上に昇叙。
  • 寛治元年12月13日(1088年1月9日):右兵衛佐に任官。
  • 寛治5年(1091年)正月7日:正五位下に昇叙(佐労)。
  • 寛治8年(1094年)正月7日:従四位下に昇叙(佐)。
  • 時期不詳:院昇殿を聴される。
  • 嘉保2年(1095年)正月17日:従四位上に昇叙(院未給)。
  • 元永3年(1120年)正月28日:修理権大夫に任官。
  • 保安3年(1122年)11月19日:昇殿を聴される。
  • 保安4年(1123年)11月6日:近江介に任官。11月19日:正四位下に昇叙(悠紀)。
  • 年不詳10月18日:新帝昇殿を聴される。
  • 時期不詳:待賢門院昇殿を聴される。
  • 保延4年(1138年)正月22日:大蔵卿に任官。
  • 保延5年(1139年)正月4日:従三位に昇叙(行幸院賞。女院御給)。
  • 保延6年(1140年)3月-日:越前権守を兼任。-月-日:大蔵卿を辞す。
  • 康治2年(1143年)2月16日:出家。

系譜編集

脚注編集

  1. ^ 『和歌作者部類』。

出典編集

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年