源高雅
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従四位下中宮亮
主君 一条天皇
氏族 醍醐源氏
父母 父:源守清、母:藤原清正の娘
藤原親明の娘、藤原基子(藤原親明の娘)
行任章任基任親雅、雅円、公子懿子藤原経通室、藤原経通後室、藤原兼房
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源 高雅(みなもと の たかまさ)は、平安時代中期の貴族醍醐源氏三品有明親王の孫。弾正大弼源守清の長男。官位従四位下中宮亮

経歴編集

但馬守を経て、中宮亮近江守に至る。寛弘6年(1009年)8月27日官職を辞して翌日出家。まもなく逝去したとみられる。没年は不明だが1012年の時点では「故高雅」と書かれていた事からこの年には卒去していた[1]

妻(藤原親明の娘)が藤原道長室の源倫子の乳母子であり、道長の家司をつとめた。子女達に恵まれ娘の1人の公子は道長の次男頼宗の妾妻となって基貞を産み、懿子は道長の六男の藤原長家の後妻となり藤原定家の曽祖父である忠家等を生んでいる。

系譜編集

脚注編集

  1. ^ 小右記』長和元(1012)年6月29日条

参考文献編集