瀧澤 靜子(滝沢 静子、たきざわ しずこ、1902年4月8日 - 1952年3月[1])は、日本女優である。

たきざわ しずこ
瀧澤 靜子
別名義 滝沢 静子
生年月日 (1902-04-08) 1902年4月8日
没年月日 1952年3月
出生地 日本の旗 日本 東京府(現在の東京都
死没地 日本の旗 日本
職業 女優
ジャンル 演劇映画サイレント映画
活動期間 1915年 - 1950年
活動内容 1915年 帝国劇場
1924年 日活京都撮影所入社
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人物・来歴 編集

1902年(明治35年)4月8日東京府(現在の東京都)に生まれる[1]

1915年(大正4年)、帝国劇場付属技芸学校に入学、帝国劇場で女優としての初舞台を踏む[1]。1917年(大正6年)、帝国劇場と専属契約を交わす[1]

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の後、京都に移住する。翌1924年(大正13年)、日活京都撮影所に入社[1]、同年、大洞元吾監督のサイレント映画謎の花婿』に出演してスクリーンデビューする[2]。1929年(昭和4年)、日活と製作提携している片岡千恵蔵プロダクションに移籍し[1]伊丹万作山中貞雄振津嵐峡らの作品に出演する[2]。1935年(昭和10年)には、永田雅一第一映画撮影所製作、溝口健二伊藤大輔監督の作品に数本出演した[2]

1937年(昭和12年)、日活京都撮影所に戻る。1942年(昭和17年)2月、第二次世界大戦による戦時統制のため、日活の製作部門が大都映画新興キネマと合併して大日本映画製作(のちの大映)となったため、滝沢も大映に所属した[1]。1945年(昭和20年)、同社を退社した[1]

戦後は、京都の東横映画(のちの東映)の作品に出演したが[2]1952年(昭和27年)3月に死去した。満49歳没。

フィルモグラフィ 編集

日活京都の諸撮影所 編集

片岡千恵蔵プロダクション 編集

日活京都撮影所 編集

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  1. ^ a b c d e f g h 滝沢静子講談社『日本人名大辞典』、コトバンク、2009年10月23日閲覧。
  2. ^ a b c d #外部リンク欄、日本映画データベース「滝沢静子」リンク先を参照、2009年10月23日閲覧。二重リンクを省く。

外部リンク 編集