澤穂希
澤 穂希(さわ ほまれ、1978年9月6日 - )は、東京都府中市出身の元女子サッカー選手である。元サッカー女子日本代表。ポジションはミッドフィールダー。 アジア人史上初のFIFA最優秀選手賞受賞者。
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名前 | |||||||||||||||||||||||
愛称 | ホマ、ほーさん | ||||||||||||||||||||||
カタカナ | サワ ホマレ | ||||||||||||||||||||||
ラテン文字 | SAWA Homare | ||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1978年9月6日(45歳) | ||||||||||||||||||||||
出身地 |
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身長 | 165cm[1] | ||||||||||||||||||||||
体重 | 54kg[1] | ||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||
ポジション | MF | ||||||||||||||||||||||
利き足 | 右足 | ||||||||||||||||||||||
ユース | |||||||||||||||||||||||
府ロクサッカークラブ | |||||||||||||||||||||||
クラブ1 | |||||||||||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||||||||||||||
1991-1998 |
![]() / 読売JSCベレーザ / 読売西友ベレーザ / 読売ベレーザ | 136 | (79) | ||||||||||||||||||||
1999-2000 |
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2000-2003 |
![]() | 55 | (13) | ||||||||||||||||||||
2004-2008 |
![]() | 85 | (47) | ||||||||||||||||||||
2009-2010 |
![]() | 41 | (6) | ||||||||||||||||||||
2009-2010 |
![]() | 4 | (2) | ||||||||||||||||||||
2011-2015 |
![]() | 94 | (12) | ||||||||||||||||||||
代表歴 | |||||||||||||||||||||||
1993-2015 |
![]() | 205 | (83) | ||||||||||||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
6度のW杯と4度の五輪に出場。2011年FIFA女子ワールドカップドイツ大会・得点王、MVP。日本女子代表史上、出場数・ゴール数歴代1位(205試合83得点)。
経歴・人物
府中市立若松小学校、府中市立府中第五中学校、東京都立南野高等学校(現・東京都立若葉総合高等学校)卒業[2]。帝京大学文学部教育学科(現・教育学部)中退[3][4]。左利き。
日本代表になるまで
小学2年のとき、東京府中市にある「府ロクサッカークラブ」に兄とともに入団を希望した。女の子ということで入団を渋られるが、母の努力により仮入団となった。その後、地元の「狛江杯」で、コーチの勧めにより試合に出場し、いきなりゴールを決めた。このことは地元紙のニュースに取り上げられ、以後、正式に入団となった。また、チームメイトも澤を女の子として扱わなくなった。このころは練習も遊びも年上の男子ばかりであり、それが女子としては突出したキック力や技術が身に付いた理由だと本人が述べている。
中学に入学すると同時に、当時の日本代表が多く所属する強豪チーム読売サッカークラブ女子・ベレーザの下部組織であるメニーナに入団したが、当時の監督であった竹本一彦の判断で入団後わずか1か月でベレーザに引き上げられた[5]。本人は、「同じようにプレーできなかったことが悔しくて」と述べているが、そのため一人で毎日居残り練習を行い、結果として大きく実力が磨かれる。中学一年の夏、JLSL(現在のなでしこリーグの前身)に出場、3試合目に初ゴールを決めた。このあと日本代表に選出された[6]。
2011FIFA女子ワールドカップ優勝まで
1993年、15歳で日本女子代表に招集され、初出場を果たしデビュー戦で4得点を挙げた。その年のリーグベストイレブンに初めて選ばれその後も度々選出され、リーグを代表する選手となった。
1990年代末は、L・リーグに所属する企業が次々と女子サッカー部の廃部を決めた。澤はサッカーができなくなることを危ぶみ、1999年に大学を中退、米国に渡ることを決意した。1999年にコロラド・デンバー・ダイアモンズに所属。2000年にアトランタ・ビートへ移籍。このとき、米国選手との速さと体格・力の差に驚くが、同時に自分自身の技術で、生きていく道が見えたと述べている。米国でも高い技術で実力を発揮し、「クイック・サワ」との異名を取った[7]。
また、米国滞在中、結婚を考えたが、2003年9月アメリカ女子プロリーグ休止にともない、帰国する道を決断した[6]。
2004年にL・リーグに「ノンアマ (プロ契約) 選手」として復帰。同年4月に国立競技場行われたアテネ五輪アジア最終予選の北朝鮮戦では右ひざ半月板損傷をおして出場し、3-0で勝ち日本に2大会ぶりの五輪切符をもたらした[8]。同年、アジア年間最優秀選手賞を受賞。その後も日本国外のチームからのオファーを受けたが、なでしこジャパンの選手としてベレーザでのプレーを続け、チームの優勝にも貢献した。2006年、2008年にはなでしこリーグMVPにも選ばれた。なお、2004年7月に、サッカー日本女子代表の愛称が「なでしこジャパン」に決定し、記者会見を行った際、発表用に「なでしこジャパン」と毛筆で記したのは澤だった[9]。
主にトップ下で司令塔としての役割を果たしていたが、2007年に女子代表の監督に佐々木則夫が就任して以降は、ボール奪取能力の高さや展開力、予測に長けている事を評価されセンターハーフにコンバートされ、女子代表の攻守の要となった[10]。
2008年オフ、2009年開幕予定であったWPSからドラフト指名を受け、2009年1月にワシントン・フリーダムへ移籍[11]。ワシントンでは20試合に出場し、3得点を挙げた。同年8月、古巣の日テレ・ベレーザに一時的に復帰することになった[12]。
2011年、経営難の日テレからプロ契約の打ち切りを宣告され、1月5日大野忍、近賀ゆかり、南山千明とともにINAC神戸レオネッサへ移籍[13]。
移籍後には「サッカーに専念出来るINACに来てから凄くコンディションがいい」と語るなど、満を持して迎えた2011 FIFA女子ワールドカップではキャプテンとして出場。グループリーグ・メキシコ戦でのハットトリック(1得点目は決勝点)[14]、準々決勝ドイツ戦での決勝点のアシスト、準決勝スウェーデン戦での決勝点、決勝アメリカ戦での延長後半12分の同点ゴールの計5ゴール1アシストを記録し、日本サッカー史上初のW杯優勝に大きく貢献、自身も日本人初となるW杯での得点王とMVPの二冠を達成した[15]。
世界ランク1位のアメリカを決勝で下した試合によって、日本だけでなく,世界中のメディアが、なでしこジャパンを賞賛した。英国のザ・タイムズ紙は、「鉄の意志のチーム」と表現した。ニューヨークタイムズ紙は「復興への希望の上に築かれた勝利で、大震災で打撃を受けた国を盛り上げた」と賞賛している。また、アメリカチームを率いたスンドハーゲ監督は、「私たちは今日、観客にいい試合を見せられた。PKにまで及んだこの決勝戦を、ずっと覚えていただけるのではないか」とコメントした[6]。
なお、メキシコ戦でのハットトリックは自身の国際Aマッチでの記録としては2001年12月4日のシンガポール戦以来およそ10年ぶりのハットトリックであった。
2011FIFA女子ワールドカップ優勝以降
2012年1月9日、2011年度のFIFA年間表彰式にて男女を通じてアジア人では史上初となる「FIFA最優秀選手賞」を受賞した[16][17]。同月、全国のサッカー担当記者の投票によって選出される日本年間最優秀選手賞を、長友佑都や香川真司らを抑え、女子選手としては初めて受賞した[18]。
3月、ポルトガルで開催されたアルガルヴェ・カップ2012での遠征中に体調不良を訴え、帰国後検査を受け、「良性発作性頭位めまい症」と診断された[19]。以降、日韓女子リーグチャンピオンシップやキリンチャレンジカップを欠場し、4月22日のなでしこリーグ第2節福岡J・アンクラス戦で実戦復帰を果たした。
病のことを聞きつけたアメリカ代表のエース・ストライカーで在米時代の元チームメイト、アビー・ワンバックは、まだウォーキングしかできない澤をキャンプ地の鹿児島まで訪れ、「絶対に克服できる。また五輪で戦おう。でも次はやられないよ」と激励し、感激で号泣した澤は、復活への勇気を得た[20]。
2012年8月のロンドンオリンピックでは、決勝戦でアメリカに敗れるも、自身4度目のオリンピック出場で日本女子代表の史上初のメダル(銀メダル)獲得に貢献した。
2014年11月21日、アジアサッカー連盟(AFC)初代殿堂入りを果たした[21]。
2014年5月に開催されたアジアカップ以後、日本代表から外されていたが2015 FIFA女子ワールドカップ日本代表に選出された。自身6度目のワールドカップであり男女を通して世界史上最多出場選手となる。年齢的なこともあり選ばれない、もしくは選ばれたとしても商業的なことが主たる理由等と言われていたが佐々木監督は選考の理由として「(リーグで)誰よりも体を張って戦っており現在のパフォーマンスは問題ない。澤のプレーは小手先でなく90分集中して戦っている。なでしこの姿勢そのものであり(選手の)模範である」ことをあげた[22]。
2015年8月11日にINAC神戸を通じて、8月8日に入籍した事を発表[23]。その後の各報道機関の取材で、結婚相手が元ベガルタ仙台DFの辻上裕章であることが明らかになり、澤本人もこれを認めた[24][25]。
同年、「FIFA女子ワールドカップ最多出場(6回)」の記録が、ギネス世界記録に認定され、2016年9月10日発売の「ギネス世界記録2016」に掲載[26]。
2015年12月16日今季限りでの引退を表明し、17日都内で記者会見を開いた [27]。現役最後の試合となった27日の皇后杯決勝vsアルビレック新潟レディースでは、スコアレスで迎えた後半33分に川澄のCKからヘディングで決勝ゴールを挙げ、有終の美を飾った[28]。
2016年3月、イギリスのサッカー専門サイト「Squawka」により「歴代最高の女子フットボーラー10傑」の1人に選出された[29]。
現役引退後
引退後は辻上のいる仙台へ転居し、同居を開始した。2016年7月19日、所属事務所を通じて第1子妊娠を発表した[30]。2017年1月9日女児が誕生した[31]。
2020年1月、警視庁・捜査一課長 正月スペシャル (テレビ朝日)サッカーコーチ玉賀友代(たまが ともよ)役で女優デビュー [32]。
競技歴
- 小学生時に安満サッカークラブに入団。のち府ロクサッカー少年団に所属。なお府ロクサッカー少年団では澤の2年後輩に、中村憲剛(元川崎フロンターレ)がいた。
- 1991年
- 読売クラブ女子・メニーナ入団。1か月後にベレーザへ昇格
- 7月7日 フジタ天台SCマーキュリー戦で日本女子サッカーリーグデビュー
- 7月28日 新光精工FCクレール戦で初得点
- 1993年12月6日 第9回アジア女子選手権(マレーシア)・フィリピン戦で代表デビューし4得点を記録
- 1996年 アトランタオリンピック女子サッカー競技に出場
- 1999年 帝京大学を中退し、アメリカWリーグのデンバー・ダイアモンズ (Denver Diamonds) へ移籍
- 2000年 アメリカ女子サッカーリーグ (WUSA)、アトランタ・ビート (Atlanta Beat) へ移籍
- 2004年
- 2005年
- 5月21日 キリンチャレンジカップ2005・ニュージーランド戦で女子代表最多となる通算52ゴール目を記録
- 7月11日 スペランツァF.C.高槻戦でL・リーグ通算得点ランクトップとなる105ゴール目を記録
- 2006年2月18日 キリンチャレンジカップ2006・ロシア戦で国際Aマッチ100試合出場を達成
- 2011年7月1日 FIFA女子ワールドカップ・メキシコ戦で通算76ゴール目を記録。釜本邦茂を超え、男女を通じての代表最多得点記録保持者となった[33]。また、この試合では自身としても男女通じてとしても初の「ワールドカップ」でのハットトリックを達成。このハットトリックは1999年にブラジルのシシーがメキシコ戦で達成した女子ワールドカップでの最年長記録である「32歳と17日」を「281日」更新し、「32歳と298日」でのハットトリックとなった[34]。
- 2011年7月17日、FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会決勝戦のアメリカ戦にて、延長後半12分にゴールを決め、代表通算80点目を記録[35]。
個人成績
この節の加筆が望まれています。 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
1991 | 読売サッカークラブ女子・ベレーザ | 25 | JLSL | 13 | 5 | - | |||||
1992 | 読売日本サッカークラブ 女子ベレーザ |
14 | 20 | 3 | - | ||||||
1993 | 17 | 5 | - | ||||||||
1994 | 読売西友ベレーザ | 10 | L・リーグ | 17 | 11 | - | |||||
1995 | 18 | 16 | - | ||||||||
1996 | 17 | 14 | - | ||||||||
1997 | 18 | 14 | |||||||||
1998 | 読売ベレーザ | 16 | 11 | ||||||||
1999 | NTVベレーザ | 0 | 0 | - | |||||||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1999 | コロラド・デンバー・ ダイヤモンズ |
Wリーグ | |||||||||
2000 | |||||||||||
2001 | アトランタ・ビート | 8 | WUSA | 19 | 3 | - | - | 19 | 3 | ||
2002 | 21 | 7 | - | - | 21 | 7 | |||||
2003 | 15 | 3 | - | - | 15 | 3 | |||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 日テレ・ベレーザ | 10 | L・リーグ1部 (L1) |
6 | 5 | - | |||||
2005 | 21 | 16 | - | 5 | 3 | 26 | 19 | ||||
2006 | なでしこ Div.1 | 17 | 13 | - | 3 | 2 | 20 | 15 | |||
2007 | 20 | 6 | 2 | 0 | 4 | 5 | 26 | 11 | |||
2008 | 21 | 7 | - | 4 | 1 | 25 | 8 | ||||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | ワシントン・フリーダム | 10 | WPS | 20 | 3 | - | - | 20 | 3 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | 日テレ・ベレーザ | 10 | なでしこ | 4 | 2 | - | 4 | 1 | 8 | 3 | |
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | ワシントン・フリーダム | 10 | WPS | 21 | 3 | - | - | 21 | 3 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 皇后杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 日テレ・ベレーザ | 20 | なでしこ | - | - | 1 | 0 | 1 | 0 | ||
2011 | INAC神戸レオネッサ | 8 | 16 | 4 | - | 4 | 0 | 20 | 4 | ||
2012 | 17 | 2 | 4 | 0 | 3 | 0 | 24 | 2 | |||
2013 | 16 | 2 | 6 | 0 | 4 | 0 | 26 | 2 | |||
2014 | 26 | 2 | - | 2 | 0 | 28 | 2 | ||||
2015 | なでしこ1部 | 19 | 2 | - | 5 | 1 | 24 | 3 | |||
通算 | 日本 | 1部 | 319 | 140 | 12 | 0 | 39 | 13 | 370 | 153 | |
アメリカ | 1部 | 96 | 19 | - | - | 96 | 19 | ||||
アメリカ | 2部 | ||||||||||
総通算 | 415 | 159 | 12 | 0 | 39 | 13 | 370 | 153 |
タイトル・表彰
代表
- 日本代表
- FIFA女子ワールドカップ:1回 (2011)
- アジア競技大会:1回 (2010)
- AFC女子アジアカップ:1回 (2014)
- 東アジアサッカー選手権:2回 (2008, 2010)
クラブ
- 日テレ・ベレーザ
- 日本女子サッカーリーグ:8回 (1991, 1992, 1993, 2005, 2006, 2007, 2008, 2010)
- 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会:7回 (1993, 1997, 2004, 2005, 2007, 2008, 2009)
- L・リーグカップ:1回 (1996)
- なでしこリーグカップ:1回 (2007)
- なでしこスーパーカップ:2回 (2005, 2007)
- INAC神戸レオネッサ
個人
- FIFA最優秀選手賞:1回 (2011)
- 2011 FIFA女子ワールドカップ:大会最優秀選手、得点王、オールスターチーム(優秀選手)
- アルガルヴェ・カップ 大会最優秀選手:1回 (2011)
- アジア年間最優秀選手賞:2回 (2004, 2008)
- AFC女子アジアカップ 大会最優秀選手:1回 (2008)
- 東アジアカップ 大会最優秀選手:2回 (2008, 2010)
- 日本年間最優秀選手賞:1回 (2011)
- 日本女子サッカーリーグ
表彰
代表歴
- 1993年12月6日 - 日本女子代表初出場 - フィリピン戦(1993 AFC女子選手権)
- 1993年12月6日 - 日本女子代表初得点 - フィリピン戦(1993 AFC女子選手権)
出場大会
- 1993年 - 1993 AFC女子選手権 3位
- 1994年 - 1994年アジア競技大会 準優勝
- 1995年 - 1995 FIFA女子ワールドカップ ベスト8
- 1995年 - 1995 AFC女子選手権 準優勝
- 1996年 - アトランタオリンピック
- 1997年 - 1997 AFC女子選手権 3位
- 1998年 - 1998年アジア競技大会 3位
- 1999年 - 1999 FIFA女子ワールドカップ
- 2001年 - 2001 AFC女子選手権 準優勝
- 2002年 - 2002年アジア競技大会 3位
- 2003年 - 2003 AFC女子選手権
- 2003年 - 2003 FIFA女子ワールドカップ
- 2004年 - アテネオリンピック ベスト8
- 2006年 - 2006 AFC女子アジアカップ 4位
- 2006年 - 2006年アジア競技大会 準優勝
- 2007年 - 2007 FIFA女子ワールドカップ
- 2008年 - 2008 AFC女子アジアカップ 3位
- 2008年 - 北京オリンピック 4位
- 2010年 - 2010 AFC女子アジアカップ 3位
- 2010年 - 2010年アジア競技大会 優勝
- 2011年 - 2011 FIFA女子ワールドカップ 優勝
- 2012年 - ロンドンオリンピック 銀メダル
- 2014年 - 2014 AFC女子アジアカップ 優勝
- 2015年 - 2015 FIFA女子ワールドカップ 準優勝
試合数
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1993 | 4 | 4 |
1994 | 6 | 1 |
1995 | 8 | 0 |
1996 | 10 | 3 |
1997 | 7 | 13 |
1998 | 10 | 4 |
1999 | 8 | 0 |
2000 | 1 | 1 |
2001 | 8 | 6 |
2002 | 8 | 5 |
2003 | 12 | 10 |
2004 | 8 | 2 |
2005 | 9 | 3 |
2006 | 17 | 7 |
2007 | 14 | 6 |
2008 | 15 | 7 |
2009 | 1 | 0 |
2010 | 15 | 3 |
2011 | 16 | 5 |
2012 | 10 | 1 |
2013 | 2 | 0 |
2014 | 8 | 1 |
2015 | 8 | 1 |
通算 | 205 | 83 |
(2015年7月5日現在)[37]
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 1993年12月6日 | クチン | フィリピン | ○ 15-0 | 1993 AFC女子選手権 |
2. | |||||
3. | |||||
4. | |||||
5. | 1994年8月20日 | ドブニッツァ | スロバキア | △ 2-2 | スロバキア国際女子大会 |
6. | 1996年7月10日 | フォートローダーデール | オーストラリア | △ 2-2 | 親善試合 |
7. | |||||
8. | 1996年7月15日 | スウェーデン | ● 1-3 | ||
9. | 1997年12月5日 | 番禺 | グアム | ○ 21-0 | 1997 AFC女子選手権 |
10. | |||||
11. | |||||
12. | |||||
13. | |||||
14. | |||||
15. | |||||
16. | 1997年12月7日 | インド | ○ 1-0 | ||
17. | 1997年12月9日 | 香港 | ○ 9-0 | ||
18. | |||||
19. | |||||
20. | 1997年12月14日 | 広州 | チャイニーズタイペイ | ○ 2-0 | |
21. | |||||
22. | 1998年12月8日 | バンコク | タイ | ○ 6-0 | 第13回アジア競技大会 |
23. | 1998年12月12日 | ベトナム | ○ 8-0 | ||
24. | |||||
25. | |||||
26. | 2000年12月17日 | フェニックス | アメリカ合衆国 | △ 1-1 | 日米フレンドリーマッチ |
27. | 2001年12月4日 | 台北 | シンガポール | ○ 14-0 | 2001 AFC女子選手権 |
28. | |||||
29. | |||||
30. | |||||
31. | 2001年12月8日 | グアム | ○ 11-0 | ||
32. | |||||
33. | 2002年4月9日 | ポワチエ | カナダ | ○ 3-2 | 4ヶ国対抗戦 |
34. | |||||
35. | 2002年10月4日 | 昌原 | ベトナム | ○ 3-0 | 第14回アジア競技大会 |
36. | 2002年10月7日 | 馬山 | 韓国 | ○ 1-0 | |
37. | 2002年10月9日 | 昌原 | 中国 | △ 2-2 | |
38. | 2003年6月9日 | バンコク | フィリピン | ○ 15-0 | 2003 AFC女子選手権 |
39. | 2003年6月11日 | グアム | ○ 7-0 | ||
40. | |||||
41. | 2003年6月13日 | ミャンマー | ○ 7-0 | ||
42. | 2003年6月15日 | チャイニーズタイペイ | ○ 5-0 | ||
43. | |||||
44. | 2003年7月12日 | 東京 | メキシコ | ○ 2-0 | 2003 FIFA女子ワールドカップ・予選 |
45. | 2003年9月21日 | コロンバス | アルゼンチン | ○ 6-0 | 2003 FIFA女子ワールドカップ |
46. | |||||
47. | 2003年9月27日 | フォックスボロ | カナダ | ● 1-3 | |
48. | 2004年4月18日 | 東京 | ベトナム | ○ 7-0 | アテネオリンピック・アジア最終予選 |
49. | 2004年12月18日 | 東京 | チャイニーズタイペイ | ○ 11-0 | キリンチャレンジカップ2004 |
50. | 2005年5月21日 | 東京 | ニュージーランド | ○ 6-0 | キリンチャレンジカップ2005 |
51. | |||||
52. | 2005年5月28日 | モスクワ | ロシア | ○ 2-0 | 親善試合 |
53. | 2006年3月10日 | マニョーネ | スコットランド | ○ 4-0 | 親善試合 |
54. | 2006年7月19日 | アデレード | ベトナム | ○ 5-0 | 2006 AFC女子アジアカップ |
55. | |||||
56. | 2006年7月21日 | チャイニーズタイペイ | ○ 11-1 | ||
57. | |||||
58. | 2006年11月30日 | ドーハ | ヨルダン | ○ 13-0 | 第15回アジア競技大会 |
59. | |||||
60. | 2007年3月10日 | 東京 | メキシコ | ○ 2-0 | 2007 FIFA女子ワールドカップ・予選 |
61. | 2007年4月7日 | 東京 | ベトナム | ○ 2-0 | 北京オリンピック・アジア最終予選 |
62. | 2007年4月15日 | バンコク | タイ | ○ 4-0 | |
63. | 2007年6月3日 | 東京 | 韓国 | ○ 6-1 | |
64. | 2007年8月4日 | ハイフォン | ベトナム | ○ 8-0 | |
65. | 2007年8月12日 | 東京 | タイ | ○ 5-0 | |
66. | 2008年2月18日 | 重慶 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○ 3-2 | 東アジアサッカー選手権2008 |
67. | 2008年6月5日 | ホーチミン | 中国 | ● 1-3 | 2008 AFC女子アジアカップ |
68. | 2008年6月8日 | オーストラリア | ○ 3-0 | ||
69. | 2008年7月24日 | 神戸 | オーストラリア | ○ 3-0 | 親善試合 |
70. | 2008年8月6日 | 秦皇島 | ニュージーランド | △ 2-2 | 北京オリンピック |
71. | 2008年8月12日 | 上海 | ノルウェー | ○ 5-1 | |
72. | 2008年8月15日 | 秦皇島 | 中国 | ○ 2-0 | |
73. | 2010年5月20日 | 成都 | ミャンマー | ○ 8-0 | 2010 AFC女子アジアカップ |
74. | |||||
75. | 2010年5月30日 | 中国 | ○ 2-0 | ||
76. | 2011年7月1日 | レバークーゼン | メキシコ | ○ 4-0 | 2011 FIFA女子ワールドカップ |
77. | |||||
78. | |||||
79. | 2011年7月13日 | フランクフルト | スウェーデン | ○ 3-1 | |
80. | 2011年7月17日 | アメリカ合衆国 | △ 2-2(PK 3-1) | ||
81. | 2012年7月11日 | 東京 | オーストラリア | ○ 3-0 | キリンチャレンジカップ2012 |
82. | 2014年5月22日 | ホーチミン | 中国 | ○ 2-1 | 2014 AFC女子アジアカップ |
83. | 2015年5月24日 | 丸亀 | ニュージーランド | ○ 1-0 | MS&ADなでしこカップ2015 |
出演
テレビ番組
- 突然ですが占ってもいいですか?(2022年3月、フジテレビ)[1]
CM
- アクアクララ「子育てアクアプラン」 「ヒーローインタビュー」篇(2020年4月 - )
著書
- 『ほまれ なでしこジャパン・エースのあゆみ 』(2008年、河出書房新社)ISBN 4309270271
- 『直伝 澤穂希 (トップアスリートKAMIWAZAプレミアム) 』(2008年、講談社)ISBN 4062950030
- 『負けない自分になるための32のリーダーの習慣』(2011年、幻冬舎) ISBN 9784344020917
- 『夢をかなえる。思いを実現させるための64のアプローチ』(2011年、徳間書店) ISBN 9784198632984
- 『なでしこキャプテン! 夢は見るものではなく、かなえるもの』(2012年、集英社) ISBN 9784083210679
脚注
- ^ a b 日本サッカー協会公式プロフィール
- ^ “オリンピック / アテネ2004 / 日本代表選手団 / サッカー / 澤 穂希”. 日本オリンピック委員会公式サイト. 2015年9月3日閲覧。
- ^ 澤穂希『ほまれ なでしこジャパン・エースのあゆみ』河出書房新社、2008年7月30日 。
- ^ 知恵蔵2015
- ^ “【二十歳のころ 高倉麻子(4)】澤とのパスで理解した世界に通じるプレー”. SANSPO.COM (2017年12月29日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ a b c 吉井妙子「なでしこJAPAN 澤 穂希「私はあきらめない」」『文藝春秋』9月号、2011年、166頁。
- ^ “澤穂希 日本サッカーを救うためアメリカ人との結婚断念”. 女性セブン (2011年7月13日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ 江橋よしのり (2015年12月18日). “澤穂希が未来を切り拓いた伝説の一戦”. Sportsnavi. 2021年7月28日閲覧。
- ^ “2002 FIFAワールドカップ™10周年 メモリアルウェブサイト”. 日本サッカー協会. 2013年5月21日閲覧。
- ^ 早草紀子 (2016年1月7日). “澤穂希の軌跡(1)阪口夢穂とだからこそできた、「驚きのダブルボランチ」”. WebSportiva. 2021年7月28日閲覧。
- ^ “澤穂希選手移籍のお知らせ”. 東京ヴェルディ公式サイト (2009年1月23日). 2018年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “米プロリーグの沢、荒川が古巣日テレ復帰”. 日刊スポーツ. (2009年8月21日) 2013年5月21日閲覧。
- ^ “日テレ・ベレーザ選手移籍のお知らせ”. 日テレ・ベレーザ公式サイト (2011年1月5日). 2018年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “澤3得点でメキシコに快勝、なでしこジャパン決勝トーナメント進出 FIFA女子ワールドカップドイツ2011 グループリーグ第2戦(対メキシコ)マッチレポート”. JFA公式 (2011年7月2日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ “なでしこ悲願のW杯初優勝、澤がMVPと得点王”. REUTERS (2011年7月18日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ “FIFA Ballon d'Or: Homare Sawa”. FIFA.com (2012年1月9日). 2013年5月21日閲覧。
- ^ “FIFAバロンドール2011 澤穂希選手がFIFA女子年間最優秀選手賞を受賞”. 日本サッカー協会 (2012年1月10日). 2013年5月21日閲覧。
- ^ “沢が長友、香川抑え年間MVP 女性で初”. 日刊スポーツ. (2012年1月27日) 2013年5月21日閲覧。
- ^ “沢「良性発作性頭位めまい症」”. 日刊スポーツ. (2012年3月12日) 2013年5月21日閲覧。
- ^ 『スポーツ報知』2012年8月9日付
- ^ “AFC初代殿堂入り10名に奥寺氏、澤、キューウェル氏らが選出”. サッカーキング (2014年11月22日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ “なでしこ佐々木監督、澤の選出理由は「誰よりも戦っている姿勢」”. サッカーキング (2015年5月1日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ “澤穂希選手入籍のお知らせ”. INAC神戸レオネッサ (2015年8月11日). 2016年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “澤結婚!お相手はイケメン、温厚、ナイスガイの38歳元Jリーガー”. サンケイスポーツ (2015年8月11日). 2015年8月12日閲覧。
- ^ “澤、明かした お相手は辻上氏「責任感が強くて男らしいところが大好き」”. スポニチ Sponichi Annex (2015年8月12日). 2015年8月14日閲覧。
- ^ a b “澤穂希選手、W杯最多出場記録6回でギネス認定 ナイナイも祝福”. ORICON (2015年9月4日). 2015年9月4日閲覧。
- ^ “澤穂希、ほほえみ絶やさず「人生で最大の決断」”. ヨミウリ YOMIURI ONLINE (2015年12月17日). 2015年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “あまりにハッピーエンディングな澤伝説の最終章 「全く悔いもなくやり切りました」”. SOCCER MAGAZINE ZONE (2015年12月27日). 2016年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “世界に轟くなでしこの”レジェンド澤”の功績 英メディアが「歴代最高の女子選手10傑」に選出”. SOCCER MAGAZINE ZONE (2016年3月9日). 2016年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “澤穂希さん、第1子妊娠を発表 来年1月に誕生予定”. ORICON STYLE. (2016年7月19日) 2016年7月19日閲覧。
- ^ “澤穂希さん、第1子の長女出産「産声の瞬間、感動と感謝」なでしこ元エースコメント全文あり”. 産経WEST. (2017年1月10日). オリジナルの2017年1月11日時点におけるアーカイブ。 2021年7月28日閲覧。
- ^ “澤穂希、ドラマ初出演「また演技したい」 『捜査一課長』で事件の第一発見者に”. ORICON NEWS. 20190104閲覧。
- ^ “なでしこ8強!沢 ハットで釜本超え歴代1位得点だ”. 日刊スポーツ (2011年7月2日). 2021年7月28日閲覧。
- ^ “澤のハットトリックが女子W杯の史上最年長記録に/女子W杯”. SOCCERKING (2011年7月2日). 2011年9月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “なでしこ世界一! 沢がMVP/女子W杯”. 日刊スポーツ (2011年7月18日). 2020年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
- ^ 日本サッカー協会が、1993 AFC女子選手権準決勝での対中華人民共和国戦で途中出場した記録を記載漏れしていたため、2013年9月21日に訂正を行った。澤の代表キャップ、加算忘れで188に訂正 日刊スポーツ 2013年9月21日閲覧
外部リンク
- 澤穂希 - 国際オリンピック委員会 (英語)
- 澤穂希 - オリンピックチャンネル
- 澤穂希 - Olympedia (英語)
- 澤穂希 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- 澤穂希 - Soccerway.com (英語)
- 澤穂希 - WorldFootball.net (英語)
- 澤穂希 - FIFA主催大会成績 (英語)
- 澤穂希 - Munzinger Sports Archives (ドイツ語)
- 澤穂希 - JFA公式サイト