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瀬棚駅

日本の北海道瀬棚郡瀬棚町にあった日本国有鉄道の駅

瀬棚駅(せたなえき)は、北海道瀬棚郡瀬棚町字本町(現・久遠郡せたな町)にあった日本国有鉄道(国鉄)瀬棚線廃駅)である。電報略号セタ。瀬棚線の廃線に伴い1987年(昭和62年)3月16日に廃駅となった。

瀬棚駅
瀬棚駅(1983年頃)
瀬棚駅(1983年頃)
せたな
Setana
北檜山 (5.4km)
所在地 北海道久遠郡せたな町瀬棚区本町
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 瀬棚線
キロ程 48.4km(国縫起点)
電報略号 セタ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1932年昭和7年)11月1日
廃止年月日 1987年(昭和62年)3月16日
備考 瀬棚線廃線に伴い廃駅
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1976年の瀬棚駅と周囲約1km範囲。下が国縫・長万部駅方面。市街は北の港側に広がる。駅裏北側に転車台が残されている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

1984年(昭和59年)まで運行されていた急行「せたな」及びその後継列車である快速「せたな」(瀬棚線内普通列車)の発着駅であった。

瀬棚線が廃線になるまでは北海道最西端の駅であった(現在は函館本線の八雲駅[1]

目次

歴史編集

駅名の由来編集

当駅の所在する地名より[2]

駅構造編集

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、瀬棚線の終端駅であった[5]。ホームは線路の東側(瀬棚方面に向かって右手側)に存在した。旅客列車の発着に使用する駅舎側の1番線(上下本線)の西側にホームを有さない上下副本線の2番線、及び側線の3、4番線を有した。4番線から側線が1線分岐し、さらにその側線からかつて転車台も有した(1969年(昭和44年)3月時点では現存)炭水線が分岐していた[6]。転車台は1983年(昭和58年)時点で既に撤去されている[5]。1番線の延長上は入換線となっていた。また国縫方から駅舎側に分岐し駅舎南側の切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[6]

職員配置駅で、駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接していた[5][6]。木造平屋建ての駅舎は1980年(昭和55年)に開業時からの建物の内外装を改築した、瀟洒な建物であった[7]。ホームはアスファルト舗装されていた。「わたしの旅スタンプ」が設置されていた[5]

貨物列車は1980年(昭和55年)時点で1日上下3本運転されていた[7]

利用状況編集

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は315人[5]

駅周辺編集

駅跡編集

2000年(平成12年)時点で旧構内は「瀬棚町総合福祉センターやすらぎ館」という施設の敷地に利用され、敷地内のホームがあったと思われる場所に全駅名が記載された「旧国鉄瀬棚駅跡地記念碑」とレプリカの駅名標、48キロポストが設置されている[8]。2010年(平成22年)時点[9]、2011年(平成23年)時点でも同様であった[8]

隣の駅編集

日本国有鉄道
瀬棚線
北檜山駅 - 瀬棚駅

脚注編集

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  1. ^ 2016年3月25日までは鷲ノ巣駅
  2. ^ a b 『北海道 駅名の起源』日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、第1版、pp.25-26。
  3. ^ a b c d 『道南鉄道100年史 遥』 北海道旅客鉄道函館支社 2003年2月発行。
  4. ^ “「これが最後-」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1987年3月16日)
  5. ^ a b c d e f g 『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』宮脇俊三、原田勝正、小学館、1983年7月、65頁。ISBN 4-09-395101-2
  6. ^ a b c d 三宅俊彦『廃線終着駅を訪ねる 国鉄・JR編』JTBパブリッシング、2010年4月、10-11頁。ISBN 978-4-533-07863-7
  7. ^ a b c d e f g 『終着駅 国鉄全132』雄鶏社、1980年10月、62頁。ASIN B000J83NES
  8. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社札幌、2011年9月、78-79頁。ISBN 978-4-89453-612-8
  9. ^ 今尾恵介『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年4月、164頁。ISBN 978-4-533-07858-3

関連項目編集