瀬能 あづさ(せのう あづさ、1973年[1]4月3日[2] - )は、日本歌手女優神奈川県厚木市[要出典][2]出身。神奈川県立厚木北高等学校中退[要出典]。愛称はあっちゃん血液型B型[2]

瀬能 あづさ
生誕 (1973-04-03) 1973年4月3日(48歳)[要出典]
出身地 日本の旗 日本 神奈川県厚木市[要出典]
学歴 神奈川県立厚木北高等学校中退[要出典]
ジャンル J-POP
職業 歌手女優
担当楽器
活動期間 1989年 - 1995年
2003年 - 2004年
事務所 プロダクション尾木(最終所属先)

略歴

来歴

乙女塾およびCoCoの元メンバー。おニャン子クラブに代わる新たなアイドルを発掘すべく始められたのがフジテレビの『パラダイスGoGo!!』(パラGo!!)で、そこで瀬能は三浦理恵子らとともに乙女塾2期生としてデビューし、CoCoのメンバーになる。

昔から歌が好きで、カラオケでもコブシをまわしながら演歌を熱唱するなど、単なる「唄う事が好きな女の子」ではない才能を露にしていた。パラGo!!時代から「次期・工藤静香」とも言われるほど歌唱力を買われており、CoCoとして工藤と同じプロダクション尾木に在籍することとなる。

その実力からCoCoでもソロパートを任されると、ソロCDデビュー。1992年に日本武道館公演をもってCoCoから脱退。高見沢俊彦THE ALFEE)にその才能を認められ、セカンドアルバム『HORIZON』のほとんどの曲を高見沢が作曲するなど、アイドルとしてよりも歌手としての評価が高まっていった。瀬能自身はアイドルという殻を脱ぎ捨てて心機一転を図っていたが、多くのファンは最後までCoCo時代と同様の扱い(ライブ中のコール、バラード熱唱中の手拍子など)をやめなかった。

X JAPANTOSHIとの交際が報じられる[いつ?]

石井琢朗との婚約を機に引退。2000年、離婚。石井との間に子供はいない。

2003年、g-crewのライブに「AZU」名義で参加。そこで披露した曲をオンラインのみで販売(通販限定。現在は販売中止)。

2004年に『週刊プレイボーイ』のグラビアで突然復帰し、そのグラビア写真を用いたセミヌード写真集を発売。その後は活動らしい活動はないままで、写真集発表の目的や近況などは不明である。

人物・エピソード・トリビア

  • 身長156センチメートル、靴のサイズは23.5センチメートル。
  • 好きなアーティストはプリンセス プリンセス今井美樹山口百恵森川美穂浜田麻里等である。
  • の種類に詳しく、その事をレギュラーを務めていたラジオ番組でもよくネタにしていた。
  • プロレス好きで、好きなプロレスラーは長与千種
  • 中学生の時、深夜に目が覚めると枕元に泥棒が立っていたという体験をしている。危害は加えられなかったが、その後2か月ほど眠れない日が続き、体がやつれ、体重が40キログラム以下にまでなってしまった。
  • 子供の頃、スカートを履いて友達と遊んでいた時、酔っ払いの年配男性が近づいてきて「ちょっと(スカートの中を)見せてごらん」と言われ、とても怖かったという[3]
  • 自身のラジオ番組がプロ野球中継で頻繁に潰れるため、いつも番組内でぼやいていた。放送時間が変わった時には、「この時間なら野球もないしね」と胸を撫で下ろしていた[4]
  • 高い歌唱力を持ち、曲のサビに繋がる盛り上がる部分やソロパートを多く担当していた。また後にその歌唱力を買われ、ソロ転向という理由でCoCoを脱退することとなった。
  • CoCo在籍時には基本的にセンターのポジションを務め、CDジャケットにおいても中央に写ることが多かった。そのため、「CoCoのエースは瀬能あづさ」というイメージが多くのファンに浸透していった[独自研究?]
  • CoCo脱退について、「正直言って自分でもCoCoを抜けることになるとは思ってなかったんですよね、だからまずはビックリですよね。ただ、3年間やってきて、自分たちで想像してた以上に成長出来て、メンバーみんながそれぞれの今後を漠然と考える時期でもあって…。じゃあ、チャンスをもらったんだから頑張ってみようって。でも実際のところ全然実感なんてなかったんですよ」と後に語っている[どこ?]
  • CoCo脱退・独立に関しては、バーニングプロダクション平野昌一プロデューサーからのアドバイス・薦めがあったとされている[5]
  • CoCo脱退後、日本テレビの『HYU2』(ヒューヒュー)という番組に出演。同番組で嘘発見器にかけられた際に出された「はっきり言ってCoCoを辞めて肩の荷が下りた」という質問に対し、瀬能が「いいえ」と答えると(全ての質問に「いいえ」と答える設定)嘘発見器が微妙な反応を見せた。一方で、「私は団体生活に向いていない」という質問への返答時には嘘発見器の反応がほとんど無かった。
  • ソロでの初コンサートツアーは全会場で夜公演前の昼が三浦理恵子のソロ、前または翌日にCoCoの公演がありチケットのセット販売があった。その模様を収めたビデオも3本セットで販売された。
  • ソロに転じた後、CoCoがレギュラー出演していたNHK BS2の『アイドルオンステージ』にゲスト出演し、5人での歌を披露した。またCoCoファイナルコンサートを含め、脱退後も2回飛び入り出演を果たしている。
  • CoCoメンバーの三浦理恵子とは唯一の同級生メンバーということもあって特に仲が良く、ロケ[どれ?]や番組内[どれ?]でも常に一緒に行動しているほどであった。
  • CoCoメンバーの羽田惠理香は、瀬能について「若いのにおばさんみたいなことを言う子」と語っている[どこ?]

ディスコグラフィ

シングル

発売日 タイトル 収録曲 備考
1st 1991年9月4日 もう泣かないで
  1. もう泣かないで
  2. 悲しみを選んで
  3. もう泣かないで(オリジナルカラオケ)
2nd 1992年1月15日 見つめていても
  1. 見つめていても
    • 作詞:三浦徳子、作曲:羽田一郎、編曲:船山基紀
  2. 少し、離れてようよ〜風の迷路〜
  3. 見つめていても(オリジナルカラオケ)
  4. 少し、離れてようよ〜風の迷路〜(オリジナルカラオケ)
3rd 1992年6月3日 君の翼〜だいじょうぶだから〜
  1. 君の翼〜だいじょうぶだから〜
    • 作詞:三浦徳子、作曲:羽田一郎、編曲:佐藤準
  2. きれいな棘
  3. 君の翼〜だいじょうぶだから〜(オリジナル・カラオケ)
  4. きれいな棘(オリジナル・カラオケ)
  • CoCo脱退後初のシングル。
4th 1992年10月21日 あなたじゃなければ
  1. あなたじゃなければ
  2. 素敵になれる
  3. あなたじゃなければ(オリジナルカラオケ)
  4. 素敵になれる(オリジナルカラオケ)
5th 1993年2月19日 I miss You
  1. I miss You
  2. キスをして、恋をして
  3. I miss You(オリジナルカラオケ)
  4. キスをして、恋をして(オリジナルカラオケ)
6th 1993年6月18日 失恋カフェ
  1. 失恋カフェ
    • 作詞:高見沢俊彦、作曲:高見沢俊彦、編曲:武部聡志
  2. 6月の海
  3. 失恋カフェ(オリジナル・カラオケ)
  4. 6月の海(オリジナル・カラオケ)
7th 1993年10月21日
    • 作詞:高見沢俊彦・三浦徳子、作曲:高見沢俊彦、編曲:中村哲
  1. 永遠に友達
  2. 秋(オリジナル・カラオケ)
  3. 永遠に友達(オリジナル・カラオケ)

アルバム

リリース日 タイトル  収録曲  備考
1st 1992年8月21日 Crystal Eyes
2nd 1993年7月21日 Horizon
BEST 2002年9月19日 Myこれ!クション 瀬能あづさBEST
MINI 2003年 愛することの意味 忘れずにいたら
  • 「AZU」名義でオンライン限定販売されたミニアルバム(現在は販売中止)。
BEST 2008年7月16日 Myこれ!チョイス Crystal Eyes+シングルコレクション
BEST 2010年5月19日 Myこれ!Liteシリーズ

出演

※CoCo時代の出演作についてはCoCo (アイドルグループ) を参照。

映画

テレビ番組

ラジオ番組

  • 瀬能あづさマイ・ブライト・ナイト(文化放送

写真集

脚注

  1. ^ 光文社「フラッシュ」1992年3月24日号30頁に瀬能あづさと三浦理恵子は18歳、大野幹代は17歳、宮前真樹と羽田惠理香は19歳との記載あり。
  2. ^ a b c d e 瀬能あづさ”. Art.Webtown. 2006年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年7月2日閲覧。[出典無効]
  3. ^ CoCo5カラットのロマンス』での発言。[出典無効]
  4. ^ 『瀬能あづさマイ・ブライト・ナイト』での発言。[出典無効]
  5. ^ 新潮45(発行:新潮社、2007年4月号)総力特集・昭和&平成 芸能界13の「黒い履歴書」56頁。