無過失責任
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無過失責任(むかしつせきにん、英: Strict liability)とは、不法行為において損害が生じた場合、加害者がその行為について故意・過失が無くても、損害賠償の責任を負うという法理である。
概要
編集元来、裁判所は、不法行為においては被害者が加害者の故意・過失が立証できなければ損害賠償義務も発生しないという過失主義を原則としていたが、科学技術の進歩・交通機関の発達などにより、公害をはじめとして、企業の活動による多くの被害者が生じる事件が増加したため、過失責任主義における矛盾が生じた。これを是正するために講じられたのが、無過失責任の考え方である。
無過失責任は、「利益を得ているものが、その過程で他人に与えた損失をその利益から補填し均衡をとる。」という使用者責任・報償責任の法理、「危険を伴う活動により利益を得ている者は、その危険により発生した他人への損害について、過失の有無にかかわらず責任を負うべきである」とする危険責任の法理が根拠とされる。
したがって、経営者に過失の原因となりうる注意義務違反(英: Negligence)が存在しなかったとしても経営者が責任を問われ、損害賠償義務が発生することになる。
沿革
編集無過失責任は、イギリスのライランズ対フレッチャー判決によって1868年に初めて考案された判定方法である。この事件は、自らの敷地に工場の貯水池を設営した工場主が、工事の不十分さにより貯水池の底から近隣の炭坑に大量の水を漏出させて損害を与えたことから損害賠償請求裁判が提起され、他人がした過失の賠償責任を初めて認めた判例となった。
この法理の諾否や引用については、国や地域によって反応が異なる。例えばインド最高裁は1986年、MCメータ対インド連邦政府判決で、ライランズ対フレッチャー判決よりも厳格な無過失責任を認めた。つまり、重大事故リスクを伴う事業を認可されている企業は、事故処理の費用(被害者への賠償額も含む)を前もって間接費として準備しているものと推定しなければならない。他方、オーストラリアの裁判所はバーニー港湾局対ジェネラル・ジョーンズ社で、無過失責任を注意義務違反に吸収消滅させ、公害は経営者の一般的な過失と見做されるとして扱っている。
日本
編集日本においては、民法が成立した1890年代は過失主義が採用されており、損害賠償義務は行為者のみに発生し、行為者の過失又は故意が立証ができない場合は損害賠償義務も存在しないと見做されていた。1905年の大阪生命保険破綻事件(使途不明金の発生による破綻)では、株主は一切保証を受けることができなかった。
1909年に東京市小石川の工場で発生した醤油品質偽装事件に至って、無過失責任の法理が展開された。民法学者の石坂音四郎は1911年、過失主義は、(1) 機械工業の発達により事変があった場合の損害額が大きくなる大企業時代には適さない(大企業は賠償額を売価中に見積って回収することも可能である)、(2) 資力の劣る使用人が犯した過失に対して損害賠償を求めることは、法律的効果がない、という2点を挙げた[1]。
ただ、その後に日本初の損害保険の再保険会社であった日清火災海上保険が、関東大震災の影響で新規契約引受停止となる事態が発生したときも、裁判に至った記録はない。
足尾銅山鉱毒事件は公害等調整委員会の調停により解決が試みられたが、その後、イタイイタイ病患者対三井金属鉱業、四日市ぜんそく患者対化学工業6社、水俣病患者対チッソと、重大な公害に関する裁判で経営者に対する無過失責任が問われた。
2022年には福島第一原子力発電所事故に起因する、東京電力株主42名対東京電力旧経営陣5名の事件が提起された。東京地方裁判所は13兆円の賠償を認めたが、東京高等裁判所(木納敏和裁判長)は2025年6月、事故の近因と考えられた大津波の予見可能性(foreseeabilityまたはpredictability)は東電側にはなかったとして地裁判決を取り消した[2][注釈 1]。
主な無過失責任の根拠法
編集関連項目
編集- 過失責任
- 使用者責任 - 実質的に無過失責任に近い運用がされている。当該項目を参照。
- 近因 (法律)(Proximate cause)
- 因果関係(Causation)- 刑法における因果関係
- イギリス法における因果関係 - 民法不法行為(Tort)における因果関係
脚注
編集- 注釈
- 出典
- ^ 石坂 1911.
- ^ 東京新聞「福島第1原発事故めぐる株主訴訟、東京電力旧経営陣の賠償責任認めず東京高裁」。2025年6月6日。
- ^ 「津波対策機会逃す 吉田調書公開 08年に15メートル試算も「そんなの来るの」東電、対策費出し惜しみ」。2014年9月12日。東京新聞。
参考文献
編集- 石坂, 音四郎「他人の過失に対する責任」『民法研究』第1巻、有斐閣、東京、1911年、620-648頁。