熊本県民の歌
「熊本県民の歌」(くまもとけんみんのうた)は、日本の熊本県で1960年(昭和35年)に開催された第15回国民体育大会(熊本国体)に際して第15回国民体育大会熊本県実行委員会が選定し、県に継承された県民歌である。作詞・坂井秀雄、作曲・出田憲二。
熊本県民の歌 | |
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作詞 | 坂井秀雄 |
作曲 | 出田憲二 |
採用時期 | 1959年11月5日 |
言語 | 日本語 |
解説編集
「熊本県民の歌」 | |
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伊藤久男 の シングル | |
リリース | |
規格 | SPレコード |
ジャンル | 都道府県民歌 |
レーベル | 日本コロムビア(SPR-1929) |
作詞・作曲 |
作詞:坂井秀雄 作曲:出田憲二 |
熊本県では1943年(昭和18年)10月に「菊池盡忠の歌」を県民歌として制定したが、この曲は菊池氏の「尽忠報国」精神を顕彰する国粋的な歌詞であったことから戦後はGHQにより演奏を禁じられ、公に歌われることが無くなった[1]。
その後、1960年(昭和35年)に開催される第15回熊本国体に合わせて新しい県民歌を制作することになり、国体実行委員会の選定で新しい「熊本県民の歌」が1959年(昭和34年)11月5日に制定された[2]。歌詞は6番まであり阿蘇山・熊本城・白川・球磨川・天草諸島と、県内の歴史と自然を歌い上げる内容となっている。
1999年(平成11年)に開催された第54回くまもと未来国体の開会式でも39年ぶりに演奏された。2016年(平成28年)には県出身で毎日書道会理事の永守蒼穹が同年に発生した熊本地震からの復興を祈願し、歌詞全文の書を県に寄贈した[3]。
制定主体について編集
本曲は県でなく熊本県体育協会などで構成される「熊本国体実行委員会」が制定主体となった経緯から、正式な都道府県民歌としてはカウントされない場合がある[4]。ただし、熊本県庁では電話の保留音に「熊本県民の歌」を使用しており、県統計協会が毎年発行する県民手帳にも県民歌と同様の扱いで「熊本県民の歌」が掲載されている[5]。また、熊本放送では長年にわたりテレビのオープニングとクロージングで「熊本県民の歌」を演奏していた。こうした使用実態より「正式な県民歌」か否については議論があるものの「事実上の県民歌」としての地位を獲得していると言える。
備考編集
1984年(昭和59年)には「火の国旅情」が「県民の歌」として県のPRに採用されており[6]、2012年(平成24年)に熊本県民テレビ子会社のKKTエンタープライズが発売したミュージックビデオのDVDが表題を「熊本県民歌・火の国旅情 〜全35番〜」としているため[7]、正式名称で「熊本県民の歌」と呼んだ場合には同曲と紛らわしくなる。そのため「熊本県民の歌」を区別する場合は歌い出しの部分を取って「大阿蘇」の別名で呼ばれる場合もある。
「火の国旅情」の位置付けについては「おもいで宝箱」と合わせて「熊本県のことを歌った歌として、広く親しまれている」とされており[8]、正式な「県民歌」と言うよりも「県民愛唱歌」に近い扱いである。
参考文献編集
- 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版、2012年) ISBN 978-4-490-20803-0
脚注編集
- ^ “「菊池盡(尽)忠の歌」CDが完成しました”. 広報きくち (菊池市). (2011年7月) 2012年9月15日閲覧。
- ^ 昭和34年度(1959-1960年) 県政タイムトラベル(熊本県)
- ^ “贈呈 毎日書道会理事の永守さんが書を”. ニュースサイト「毎日新聞」 (毎日新聞西部本社). (2016年12月16日) 2017年6月8日閲覧。
- ^ 中山(2012), p396
- ^ 杉江松恋 (2013年1月24日). “ゆるキャラだけが県じゃない。県民手帳は何を考えているのか〈沖縄県〜山口県編〉”. exciteニュース (エキサイト): p. 3 2017年6月8日閲覧。
- ^ 「火の国旅情」に関するご意見
- ^ 「KKTテレビタミンから生まれたDVD 熊本県民歌・火の国旅情 〜全35番〜」
- ^ 中山(2012), p397
外部リンク編集
- 『広報くまもと』1959年12月号、18ページ(歌詞掲載)