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人物編集

日本大学芸術学部在学中に、映画監督の小津安二郎に助手として師事する[2]東宝撮影所で美術助手を務めた後、円谷特技プロダクション(現円谷プロダクション)へ入社した[2]

関係者などからは「熊さん(ちゃん)」の愛称で親しまれていた。

怪奇大作戦』第26話でプロデューサーとしてデビュー[3]。その後、『恐怖劇場アンバランス』を手掛ける[3]

帰ってきたウルトラマン』のプロデューサー補を経て、『ウルトラマンA』からは正式にプロデューサーとなる。

『帰ってきたウルトラマン』や『ウルトラマンタロウ』では、怪獣デザインも担当した。

『ウルトラマンタロウ』第8話「人喰い沼の人魂」では、「近所の熊谷さん」としてカメオ出演している。

第2期ウルトラシリーズ終了後は国際放映へ移籍し、『西遊記』などのプロデューサーを務めた[3]

その後、放映新社の演劇集団天地プロデューサー、日本映画プロデューサー協会理事などを歴任した[3]

2018年1月27日、脳出血のために逝去[4]。80歳没。

作風・エピソード編集

  • 新人監督を起用する際にはベテラン脚本家と組ませることを心がけており、特に脚本家の石堂淑朗を頼れる存在として重宝していた[3][2]
  • 熊谷は人気の出る怪獣の原則として「子供が真似できる立ち怪獣」「ドラマチックな死を迎える」「武器を持っている」という3点を定義している[2]
  • 帰ってきたウルトラマン』では、美術担当の池谷仙克が離脱したため、怪獣デザインを担当した[3]。デザインについては、既存の生物を基としたものを好んでいる[2]。上記人気怪獣の定義に基づき角を強さの象徴として用いている一方で、凶暴なだけでなく親しみや愛嬌を感じられるものとすることも心がけている[2]。また小津安二郎の画面に赤を入れるという作風の影響から、怪獣のデザインにも赤をポイントとして取り入れている[3][2]
  • 『帰ってきたウルトラマン』主演の団時朗は、熊谷が知り合いであった芸能事務所の人物からの売り込みを受け、起用された[3]

主な作品編集

出演編集

テレビ編集

その他編集

  • DVD『帰ってきたウルトラマン』店頭デモ映像(2002年)
  • DVD『ウルトラマンタロウ』「拝啓、ウルトラマンタロウ」(2005年)
  • DVD『ウルトラマンレオ』「スチール写真解説」(2006年) - ナレーション

演じた俳優編集

脚注編集

  1. ^ 熊谷健 作品データベース
  2. ^ a b c d e f g 宇宙船153 2016, pp. 86-87, 「70's円谷怪獣リスペクト検証 栄光の怪獣王国、狂乱のデザイン史 [第2回] 熊谷健が切り開くウルトラ怪獣の新局面」
  3. ^ a b c d e f g h 帰りマン大全 2003, pp. 254-259, 「Interview プロデューサー 斉藤進・熊谷健」
  4. ^ “熊谷健氏が死去 テレビプロデューサー”. 日経電子版. 日本経済新聞社: p. 1. (2018年2月15日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2693118015022018CC0000/ 2018年2月15日閲覧。 

参考文献編集

  • 『帰ってきたウルトラマン大全』白石雅彦、萩野友大、双葉社、2003年1月5日。ISBN 978-4575294941
  • 宇宙船』vol.153(SUMMER 2016.夏)、ホビージャパン、2016年7月1日、 ISBN 978-4-7986-1261-4