熾仁親王妃董子
熾仁親王妃董子(たるひとしんのうひ ただこ、1855年6月25日(安政2年5月12日) - 1923年(大正12年)2月7日)は、明治時代から大正時代にかけての皇族。有栖川宮熾仁親王の2番目の親王妃である。
熾仁親王妃董子 | |
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![]() 熾仁親王妃董子 | |
続柄 | 溝口直與次女→溝口直溥養女 |
身位 | 親王妃 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1855年6月25日![]() |
死去 |
1923年2月7日(67歳没) |
配偶者 | 有栖川宮熾仁親王 |
子女 | なし |
父親 | 実父:溝口直與・養父:溝口直博 |
役職 | 東京慈恵医院幹事長 |
生涯編集
1855年6月25日(安政2年5月12日)、第10代越後新発田藩主溝口直諒の六男・直與の次女として生まれ、その後伯父・直溥の養女となる。幼名は栄姫[1]。
1873年(明治6年)、貞子妃を病気で亡くした熾仁親王と結婚する。董子は、夫と共に佐野常民らを助けて博愛社(後の日本赤十字社)の創設に尽くし、東京慈恵医院幹事長を10年間務めた。1923年(大正12年)2月7日に67歳で薨去した。
栄典編集
脚注編集
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 『官報』第1605号「叙任及辞令」明治21年11月2日