爪田ケ谷
日本の埼玉県白岡市の地名
爪田ケ谷(つめたがや)は、埼玉県白岡市の地名(大字)。郵便番号は349-0222(久喜郵便局管区)。 本項では同地域にかつて存在した南埼玉郡爪田ケ谷村(つめたがやむら)についても記す。
爪田ケ谷 | |
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高岩落川(右手が爪田ケ谷) | |
北緯36度1分27.88秒 東経139度42分8.76秒 / 北緯36.0244111度 東経139.7024333度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 白岡市 |
人口 | |
• 合計 | 414人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
349-0222[2] |
市外局番 | 0480[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
※座標は爪田ケ谷集会所付近 |
地理
編集白岡市東部に位置する。西・南で上野田・下野田、北で南埼玉郡宮代町西粂原・東粂原、東で同町逆井に接する。地区の中央を東西に姫宮落川が流れる。地内は北部が東武動物公園やその駐車場の用地に掛かっているほかは主に水田などの農地となっている。
河川
編集歴史
編集つめたがやむら 爪田ケ谷村 | |
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廃止日 | 1895年3月15日 |
廃止理由 |
新設合併 岡泉村、実ケ谷村、千駄野村、小久喜村、上野田村、下野田村、爪田ケ谷村、太田新井村、彦兵衛村 → 日勝村 |
現在の自治体 | 白岡市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 南埼玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 上野田村、下野田村、須賀村、百間村 |
爪田ケ谷村役場 | |
所在地 | 埼玉県南埼玉郡爪田ケ谷村 |
ウィキプロジェクト |
地名の由来
編集隅を意味する「ツマ」が「ツメ」に転じたことから。また、田植えをせず直播を行う「摘田」(つみた)が転じたことから。
沿革
編集- 幕末の時点では埼玉郡に属し、「旧高旧領取調帳」の記載によると明治初年時点では幕府領(大竹左馬太郎支配所)であった[4]。
- 1868年(慶応4年)6月19日(1868年8月7日) - 武蔵知県事・山田政則の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日(1871年12月24日) - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月 - 前年に制定された郡区町村編制法の埼玉県での施行により南埼玉郡の所属となる。郡役所は岩槻町に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行に伴い爪田ケ谷村が単独で自治体を形成。後に日勝村となる9村で町村組合を結成。
- 1895年(明治27年)3月15日 - 町村組合を結成していた岡泉村・実ケ谷村・千駄野村・小久喜村・上野田村・下野田村・太田新井村・彦兵衛村と合併して日勝村が成立、その大字爪田ケ谷となる。自治体としては消滅。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 日勝村が篠津村および大山村の一部(大字下大崎、柴山、荒井新田)と合併して白岡町となり、その大字に継承。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 白岡町が市制施行して白岡市となり、その大字となる。
世帯数と人口
編集2023年(令和5年)7月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
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爪田ケ谷 | 158世帯 | 414人 |
小・中学校の学区
編集番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 白岡市立菁莪小学校 | 白岡市立菁莪中学校 |
施設
編集脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
編集- 埼玉県の廃止市町村一覧
- 埼玉県第13区
- キンシオ - 「からだのなまえの地名の旅」で当地を訪問した。