牧野 忠永(まきの ただなが、明治44年(1911年5月21日[1] - 昭和51年(1976年11月22日)は、明治から昭和にかけての越後長岡藩牧野家の第16代当主。貴族院議員子爵。妻は高倉永則の娘・元子。

牧野忠永

生涯 編集

明治44年(1911年)、大給松平家の宗家である旧三河西尾藩主家の子爵・大給松平乗統の次男として生まれた。初名は松平義夫。先代当主・牧野忠篤の死後、親族などの協議により養子に迎えられた。なお、牧野忠篤の長男・牧野忠康は、相続人からはずされていた。

昭和10年(1935年4月21日、養父の死去により家督を継いで、越後長岡藩牧野家の第16代当主となった。そして、爵位を襲爵し子爵となる。同年、京都帝国大学経済学部を卒業し、三井生命保険に入社。以後、日本石油帝国石油で勤務。昭和21年(1946年)6月、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[2]研究会に属した[3]。昭和22年(1947年)5月2日、華族制度廃止で爵位を失効し、貴族院も廃止され議員を失職した[3]

昭和51年(1976年)に死去した。享年66。長男の牧野忠昌(現当主)が跡を継いだ。

系譜 編集

牧野忠永の曾祖父である松平乗全は、先代の子爵牧野忠篤の実父である越後長岡藩牧野忠恭の長兄であり、忠永の祖父松平乗承が忠篤と従兄弟という関係にある。また、越後三根山領の第8代領主だった牧野家分家の旗本牧野忠衛も、松平乗全の弟・忠恭の兄である。このように三河牧野氏宗家の越後長岡藩牧野家は、忠恭の代から大給松平家宗家の三河西尾藩主家とは密接な関係にあった。

松平乗寛
大給松平14
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
松平乗全
大給松平15
牧野忠衛
三根山牧野8
牧野忠恭
長岡牧野12
松平乗秩
大給松平16
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
松平乗承
大給松平17
 
 
 
牧野忠毅
長岡牧野14
牧野忠篤
長岡牧野15
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
松平乗統
大給松平18
 
 
 
牧野忠治 牧野忠康 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
松平乗光
大給松平19
牧野忠永
長岡牧野16
 
 
 
 
 
 

脚注 編集

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.551
  2. ^ 『官報』第5843号、昭和21年7月8日。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』55頁。

参考文献 編集

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。

外部リンク 編集

日本の爵位
先代
牧野忠篤
子爵
長岡牧野家第2代
1935年 - 1947年
次代
華族制度廃止