牧野 雅己(まきの まさみ、1965年1月6日[1] - )は、日本のDJ音楽プロデューサートラックメーカー[1][2]。「日本のクラブシーン創世期を築いた功労者の一人」[3][2]「日本ハウス界の重要人物のひとり」[4]であるとされる。

略歴・人物 編集

東京都出身[1]。1984年に大貫憲章らがDJをつとめるディスコ「新宿ツバキハウス」でDJデビュー[1][3][2]。以降、80年代から90年代に六本木玉椿、西麻布TOOLS BAR、六本木ODEON、渋谷CAVE、新宿MILOS GAREGEなどのクラブでメインDJを務める[1][3][2]。中でも自身でプロデュースした新宿MILOS GAREGEは今も伝説クラブとして名を残す[1][2]

代表作に自身のプロデュースユニット"INNER CITY JAM ORCHESTRA"の大ヒットハウス"WE GOT THE LOVE" などがある[1][2]

2001年経営者として六本木"ソノラ"を開店した[1][3]。2013年11月に閉店[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i MASAMI MAKINO 公式サイト、2017年6月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 牧野雅己 Shibuya CLUB BALL、2017年6月5日閲覧。
  3. ^ a b c d アーティスト詳細 VIVID SOUND(アーカイブ)、2017年6月5日閲覧。
  4. ^ 「新宿ツバキハウス」~「クラブD」~「原宿モンクベリーズ」クラブカルチャーはここから始まった。 Rock Chipper Record、2017年6月5日閲覧。

外部リンク 編集