特別養護老人ホーム汚職事件

特別養護老人ホーム汚職事件(とくべつようごろうじんホームおしょくじけん)とは、1996年に発覚した日本厚生省官僚による汚職事件

概要 編集

岡光序治厚生省老人保健福祉部長(後に厚生事務次官)とC・埼玉県高齢者福祉課長(厚生省から出向、同省元年金局企画課長補佐)が特別養護老人ホームへの補助金交付に便宜を図った見返りに、複数の社会福祉法人を運営するK・彩(あや)福祉グループ代表から賄賂を受け取った贈収賄事件である。戦後中央省庁事務次官経験者が実刑判決確定に至った初めての汚職事件であった。

1996年11月18日、警視庁捜査二課は、Cが埼玉県高齢者福祉課長当時、Kから現金1000万円を受け取ったとして、Cを収賄容疑、Kを贈賄容疑で逮捕した。Cは同年10月の第41回衆議院議員総選挙埼玉県第6区から立候補するため、逮捕時既に厚生省を退官していた。KはCを通じて政界に力を得ようとし、資金提供など彩福祉グループがCを全面支援。同選挙区において自由民主党の公認を争っていた元上尾市議会議長の浅野目義英(後に立憲民主党埼玉県議会議員)を退け、Cが自民党公認候補となったが、選挙では比例復活もならず落選した(浅野目は出馬を断念。Cの不分明な公認決定過程に対し不信感を表明したため自民党を除名され、民主党に入党した[1])。もともとKは玉置和郎・元自民党参議院議員秘書であった。秘書当時に岡光と知り合い、同省の内部事情に通じていた。Kは同省幹部と医療福祉政策を勉強すると称する研究会なるものを作って岡光を会長に据え、接待に精を出していた。同省に人脈を広げたKは、1987年に玉置が死去し秘書を辞した後病院経営に乗り出した。更に1990年2月の第39回衆議院議員総選挙埼玉県第5区から立候補し政界進出をも狙ったが、自民党の公認を得られず落選している。

岡光はKの医療事業支援のため、1992年、部下のCを埼玉県に出向させた。しかしKの病院経営は1993年に破綻した。岡光は老人保健福祉部長だった1989年、「高齢者保健福祉推進10カ年戦略(ゴールドプラン)」を立案しており、Kに多額の補助金や低金利の融資が受けられる特別養護老人ホームの経営に進出するよう助言した。Kは岡光から有利な情報を事前に聞き出し、福祉事業を展開していった[2]。Kの社会福祉法人設立申請は早々かつ次々に認可され、埼玉県と山形県の合計8カ所に特別養護老人ホームを開設。施設の建設もKが経営するジェイ・ダブリュー・エム株式会社が独占していた[3]

CとKの逮捕と同日の1996年11月18日付『朝日新聞』は、同年8月に厚生事務次官に就任した岡光が老人保健福祉部長在職時、Kからゴルフ会員権などを受け取っていた、と報道。翌19日、岡光は事務次官を辞任。同年12月4日、警視庁捜査二課は岡光を収賄容疑で逮捕。Kを贈賄容疑で再逮捕した。事務次官経験者の逮捕は、リクルート事件高石邦男・文部事務次官と加藤孝・労働事務次官が東京地方検察庁特捜部に摘発されて以来、戦後3人目のことであった。本件は収賄側が贈賄側に公然と賄賂を要求するという異例の事案であった。岡光とその妻はKにたびたび利益供与を求めていた。岡光はKから現金6000万円を厚生省官房長室で受け取るという大胆な犯行に及んだほか、350万円相当の乗用車の3年間無償提供、1600万円相当のゴルフ会員権、海外旅行接待など様々な賄賂を受けていた。岡光の妻は彩福祉グループの社会福祉法人において理事に名を連ね、報酬を得ていた。妻も乗用車の提供を受けており、気に入らない車であれば別の車に取り替えさせたり、マンション購入資金や改築費まで出させていた、と報じられ、「おねだり妻」という新語が生まれるほどその無法ぶりが話題となった。またKは厚生省幹部と料亭で頻繁に酒宴を催すなどしており、岡光とCのほかにも厚生省幹部多数がKからゴルフや飲食などの接待を受けていたことが明らかとなった。このうちW審議官がKから現金100万円を受け取っていたとして懲戒免職、このほか15人の厚生省幹部が処分を受けた[4]

岡光、C、Kはいずれも起訴された。一審初公判では3人とも起訴事実を認めたが、岡光は公判途中で一転してKへの便宜供与を否定した。1998年6月、東京地方裁判所は岡光に懲役2年、追徴金6369万円、またKに懲役1年6カ月、追徴金200万円のいずれも実刑判決を言い渡した。またCに懲役1年6月、執行猶予4年、追徴金1122万円の有罪判決を言い渡した。Cは控訴せず有罪確定。岡光とKは判決を不服として控訴するも、2000年11月、東京高等裁判所は一審判決を支持し両名の控訴を棄却。両名とも上告した。岡光は上告中の2002年9月、「これは『弁解』の書ではない」と銘打った弁解の書[5]『官僚転落―厚生官僚の栄光と挫折』(廣済堂出版ISBN 4331509249)を著した。2003年6月4日、最高裁判所は両名の上告を棄却し、刑が確定した[6]。岡光とKは同月収監され、2004年に出所した。岡光夫妻は事件後離婚している。また埼玉県の住民らが、Kとジェイ・ダブリュー・エム株式会社に対し、県から補助金を不正に受け取ったとして約19億4500万円の県への返還を求めた住民代位訴訟を起こし、さいたま地方裁判所2006年3月22日、Kに約4億1410万円、ジェイ・ダブリュー・エム株式会社に約4億8700万円の支払いを命じる判決を言い渡した[7][8]

特筆事項 編集

脚注 編集

  1. ^ プロフィール埼玉県議会議員 浅野目義英 ホームページ 【自己紹介】に「衆議院議員候補者として浮上。厚生官僚と公認を争う。浅野目と自民党公認を争い立候補を果たした、厚生省年金局企画課長補佐・C被告(当時41)は、新進党候補(若松謙維)に敗れ落選。その後有名な「厚生省汚職」の中心人物として収賄罪に問われた彼は、東京地裁から、懲役1年6ヶ月、執行猶予4年、追徴金1122万円の有罪判決が言い渡される。」「自民党公認決定に不快感を内外に表明。同党除名される。」とある。 
  2. ^ 「特別養護老人ホーム汚職事件」の衝撃トラブルは現場で起きている! 公益法人・非営利法人の税務事件簿 2018年10月23日 日税ジャーナルオンライン(田中義幸)
  3. ^ 平成8年度決算検査報告 平成8年度| 第3章 特定検査対象に関する検査状況 老人福祉施設等の整備事業の実施について 第2 老人福祉施設等の整備事業の実施について1997年 会計検査院
  4. ^ 「「福祉汚職」K被告(旧彩福祉グループ代表)が初めて沈黙を破った!岡光前次官だけではない私にたかった厚生官僚16人の実名」1999年5月1日 週刊現代 第41巻16号 40-43頁
  5. ^ 日経ビジネス』2002年11月11日号(日経BP企画)では「帯には「これは『弁解』の書ではない」とあるが、事件については終始利己的な弁解が展開されている。自らの脇の甘さを省みておらず、最高裁判決を待つ身とはいえ、潔さは感じられない」と評されている。参考
  6. ^ 2003年6月4日 日本経済新聞
  7. ^ 判決文さいたま地方裁判所第4民事部
  8. ^ 「彩福祉グループ元代表らに補助金返還命じる判決 埼玉」2006年3月22日 朝日新聞
  9. ^ アンケート結果 第51位~100位 - 警視庁ホームページ

関連項目 編集