愛知環状鉄道線

愛知環状鉄道の鉄道路線

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愛知環状鉄道線(あいちかんじょうてつどうせん)は、愛知県岡崎市岡崎駅から新豊田駅瀬戸市駅を経て、愛知県春日井市高蔵寺駅に至る愛知環状鉄道鉄道路線である。通称愛環線(あいかんせん)、または愛環(あいかん)。

愛知環状鉄道線
2000系電車 (2005年3月7日、八草駅〈当時は万博八草駅〉)
2000系電車
(2005年3月7日、八草駅〈当時は万博八草駅〉)
基本情報
日本の旗 日本
所在地 愛知県
起点 岡崎駅
終点 高蔵寺駅
駅数 23駅
開業 1970年10月1日
旅客営業開始 1976年4月26日
三セク転換 1988年1月31日
全通 1988年1月31日
所有者 愛知環状鉄道
路線諸元
路線距離 45.3 km
軌間 1,067 mm
線路数 複線(中岡崎 - 北岡崎間、北野桝塚 - 三河上郷間、三河豊田 - 新豊田間、瀬戸市 - 高蔵寺間)、単線(左記以外)
電化方式 直流1,500 V 架空電車線方式
最高速度 110 km/h[1]
路線図

※駅をクリックすると駅の記事へ移動します。

岡崎六名中岡崎北岡崎大門北野桝塚三河上郷永覚末野原三河豊田新上挙母新豊田愛環梅坪四郷貝津保見篠原八草山口瀬戸口瀬戸市中水野高蔵寺安城刈谷大府金山名古屋枇杷島東岡崎岡崎公園前新安城知立鳴海神宮前鶴舞千種大曽根勝川上小田井八事赤池日進土橋上挙母豊田市梅坪猿投金城ふ頭高畑八田中村区役所栄本山星ヶ丘藤が丘小幡新瑞橋野並尾張瀬戸
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停車場・施設・接続路線 
STR
JR東海東海道線
0.0 01:岡崎駅
STR ABZg2 STRc3
STR
ABZ4+2f STRc3
STR2 STR2+c3 STR+c13 STR+4
STRc1 STR+4+c1 KRZ2+4u
KRWg+l
ABZl+4g
JR東海:東海道線
BHF
1.7 02:六名駅
hKRZWae
乙川橋梁 193m 乙川
KRZo
名鉄名古屋本線岡崎公園前駅
3.4 03:中岡崎駅
BHF
5.3 04:北岡崎駅
eABZgl exKBSTeq
ユニチカ岡崎工場
BHF
6.5 05:大門駅
hKRZWae
矢作川橋梁 335m 矢作川
BHF
8.7 06:北野桝塚駅
ABZgl STR+r
STR KDSTxe
北野桝塚車両基地
STR exSTRl exKBSTeq
トヨタ自動車上郷工場
BHF
10.7 07:三河上郷駅
SKRZ-Au
伊勢湾岸自動車道
BHF
12.4 08:永覚駅
SKRZ-Au
東名高速道路
TUNNEL2
鴛鴨トンネル 70m
BHF
14.0 09:末野原駅
exSTR2+4 eSTR+c3
名鉄挙母線
exSTRc1 eABZg+4
BHF
15.9 10:三河豊田駅
exSTRc2 eABZg3
ABZ+lx1
STRq
名鉄三河線
17.6 11:新上挙母駅 /左:上挙母駅
19.5 12:新豊田駅 /左:豊田市駅
STR TUNNEL1
平芝トンネル 354m
21.5 13:愛環梅坪駅 /左:梅坪駅
ABZgl KRZu
名鉄豊田線
STR3 STR
名鉄三河線
WASSERq hKRZWae WASSER+r
第1籠川橋梁 123m 籠川
BHF WASSER
23.5 14:四郷駅
WASSERq hKRZWae WASSERr
第2籠川橋梁 130m
BHF
25.5 15:貝津駅
BHF
26.8 16:保見駅
TUNNEL1
保見トンネル 524m
BHF
29.2 17:篠原駅
TUNNEL1
篠原トンネル 392m
32.0 18:八草駅
愛知高速交通東部丘陵線:八草駅
SKRZ-Au
猿投グリーンロード
TUNNEL1
八草トンネル 1347m
hKRZWae
山口川橋梁 101m 山口川
BHF
34.6 19:山口駅
BHF
36.7 20:瀬戸口駅
TUNNEL1
瀬戸トンネル 623m
hKRZWae
瀬戸川
STRq KRZo
名鉄瀬戸線新瀬戸駅
39.1 21:瀬戸市駅
STR
JR東海:中央線
HST STR
多治見駅
eABZgl exLSTRq eABZgr
岡多線未成線
LSTR TUNNEL1
松山トンネル 1793m
WASSERq hKRZWae WASSER+r
水野川
BHF WASSER
41.9 22:中水野駅
TUNNEL1 WASSER
四谷トンネル 1120m
WASSERq hKRZWae WASSERr
WASSERq hKRZWae WASSERq
庄内川橋梁 155m 庄内川
STRc2 ABZg3
JR東海:中央線
STR2
STR+c4
STRc1 KRZ2+4o STR2+c3 STRc3
STR+c1 STR+4+c1 STR+4
XBHF-L XBHF-M XBHF-R
45.3 23:高蔵寺駅
xABZgl ABZg+lr STRr
↓JR東海:中央線
STR
瀬戸線(未成線)

橋梁、隧道の詳細は『愛知環状鉄道の10年』p.107による

なお、この路線の大部分の区間(岡崎 - 新豊田 - 瀬戸市間)の前身となった岡多線(おかたせん)についても本項で記述する。

概要

愛知県中部の都市である岡崎市・豊田市瀬戸市・春日井市を結んでいる。ほぼ全区間が立体交差化され高架線などになっており、愛環線内の踏切は岡崎駅を出てすぐのJRとの並走区間にある1か所のみである。多くの区間で複線化が進められ、2005年(平成17年)3月25日から9月25日まで開催された2005年日本国際博覧会(愛・地球博、愛知万博)会場へのアクセス路線の一つとして、輸送力増強が行われた。「TOICA」及び全国相互利用の交通系ICカードが全線で使用可能である。

沿線には、高校が多く点在するが、県立高校普通科は豊田市(三河学区)と瀬戸市(尾張学区)の市境が学区の境界となっているので(調整特例などはない)、学区境界を越えて通学できるのは、開業時は私立高校か全県学区の公立高校の職業科及び定時制課程だけであったが、2007年(平成19年)4月に豊田東高等学校、2008年(平成20年)4月に岡崎東高等学校、2009年(平成21年)4月に瀬戸北総合高等学校と、全県学区の総合学科の高校が次々設置されたため、沿線全域から通学できる県立高校が増加することになった。また、沿線には大学も多く点在し、愛知工業大学中京大学豊田キャンパスなど、岡多線の開業を当て込んで、1970年代から早々と名古屋市内から沿線に進出した大学もある。さらに、トヨタ自動車本社及び工場群も点在している。

2011年(平成23年)度の輸送密度は約9,816人/日である[2]が、これは旧国鉄路線から転換された第三セクター鉄道では最高であり、輸送密度が8,000人/日以上である[注 1] のもこの路線のみである[注 2]2014年(平成26年)度の輸送密度は約10,081人/日と10,000人以上の大台に到達した[3]。このように近年は輸送密度が毎年のように9,000人以上を記録し、経営状態の苦しい企業が多い第三セクター鉄道の中では珍しく黒字経営が続いている。2012年(平成24年)度は2,660万円の経常損失となったが、補助金等の支援で約2,100万円の利益を計上した[4]

鉄道評論家(鉄道アナリスト)の川島令三は著書にて「1998年度現在の輸送密度(約5,138人)から見て、第三セクターではなくJR東海の路線となっていてもおかしくない路線である。国鉄は各線の事情を考慮せず、一律に(特定地方交通線に)指定して(廃止・第三セクターへの経営分離をして)しまうというミスを犯してしまった」と指摘している[5]

本路線の成り立ち

本路線はいずれも旧日本鉄道建設公団(鉄建公団)が「主要幹線及び大都市における鉄道」(CD線)[注 3]として建設し、日本国有鉄道(国鉄)による運行・経営が予定されていた岡多線の大部分区間(岡崎 - 新豊田 - 瀬戸市)と瀬戸線(せとせん)の一部区間(瀬戸市 - 高蔵寺間)をそれぞれ建設・開業した区間である[6]

そのうち岡崎 - 新豊田間は1976年に国鉄線として開業して1987年の国鉄分割民営化東海旅客鉄道(JR東海)に継承されたものの、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)により第3次特定地方交通線に指定されていたため、高蔵寺延伸とともに第三セクター鉄道に経営転換した区間である。なお同区間は特定地方交通線の中では唯一、第三セクター転換前に電化されていた路線である。一方で新豊田 - 瀬戸市 - 高蔵寺間は、岡崎 - 新豊田間の「岡多線」開業区間と同じく旧鉄建公団がCD線として建設したものの[注 3]、開業直前の1984年に建設が凍結された岡多線(新豊田 - 瀬戸市間)および瀬戸線(瀬戸市 - 高蔵寺)の一部区間である。

岡多線は岡崎から新豊田・瀬戸市を経由し多治見まで至る計画の路線だったが、このうち開業できた区間は名古屋近郊の大環状線として瀬戸線との一体運用が想定されていた岡崎 - 瀬戸市間に留まった(詳細は後述)。なお特定地方交通線指定・新豊田以北の建設凍結以前から岡多線の岡崎 - 瀬戸市間は瀬戸市駅で接続する瀬戸線とともに「岡多・瀬戸線」と呼称され、名古屋周辺部の各都市を結ぶ環状ルートを形成すると同時に名古屋近郊の東海道線岡崎 - 稲沢間をバイパスする大環状線として位置づけられていた一方[7]、残る瀬戸 - 多治見間はその大環状線から外れる形となっていた[8]線路等級に着目しても、現在の愛知環状鉄道線として完成にこぎついた区間を含む「岡多・瀬戸線」(岡崎 - 瀬戸 - 稲沢間)は全線が複線・電化の高規格な「甲線」(最高速度100km/h)として計画されていた一方、未成線に終わった岡多線の瀬戸以北(多治見方面)はより線路規格の低いローカル線(単線・非電化の「丙線」〈最高速度85km/h〉)として計画されていた[9]

国鉄時代に複線の鉄道路線として整備されたため、単線区間の東側にもう1線分の用地があらかじめ確保されており、トンネルなどもそれに準じた規格で作られているため、比較的容易に複線化が行える構造となっている。しかし愛環発足から10年以上経過してから新設された貝津駅愛環梅坪駅に関してはプラットホームが1面1線の片面ホームで作られているため、複線化の際には線路の増設に加えてもう1つホームを新設し、2面2線の相対式ホームとする必要がある(後節も参照)。また、愛環発足時に新設された大門駅に至っては複線化用路盤上にホームが設置されているため[注 4]、同駅周辺の複線化は容易ではない。また普段使われていない東側の用地は、橋の更新工事などを行う際の仮線を敷く際に利用されることがある。

路線データ

  • 管轄(事業種別):愛知環状鉄道(第一種鉄道事業者
  • 路線距離(営業キロ):45.3 km
  • 軌間:1,067mm
  • 駅数:23駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:中岡崎 - 北岡崎間、北野桝塚 - 三河上郷間、三河豊田 - 新豊田間、瀬戸市 - 高蔵寺間
    • 岡崎 - 六名間は通常使用される線路と、JR岡崎駅に接続する線路(旧本線、車両搬入時などに使用)の単線並列となっている。
  • 電化区間:全線電化(直流1500V)
  • 閉塞方式:(複線及び単線)自動閉塞式
  • 保安装置:ATS-ST
  • 最高速度:110km/h[1]

岡多線としての路線データ

  • 路線距離(営業キロ):約59.1 km(岡崎 - 多治見、うち未成区間の瀬戸市 - 多治見は約20 km)
  • 軌間:1,067mm
  • 駅数:22駅(起終点駅含む。岡崎 - 多治見、うち未開業の瀬戸市 - 多治見の途中駅は不確定のため含まず)

運行形態

すべての列車が愛知環状鉄道線内の各駅に停車する普通列車で、ほとんどの時間帯で16分間隔で運行されている。

岡崎駅 - 高蔵寺駅間の直通運転が基本であるが、一部は車両基地のある北野桝塚駅で車両交換が行われ、同一ホームでの乗り換えとなる。早朝・深夜時間帯の一部列車は、瀬戸口駅・新豊田駅・北野桝塚駅を始終着とし、その駅にて夜間滞泊が行われる。前述の北野桝塚駅ですぐに北野桝塚発の列車に乗り継げる列車以外にも日中の一部時間帯に入出庫を兼ねた北野桝塚駅発着列車が運行されている。平日(トヨタカレンダーで稼働日となる一部の休日を含む)朝ラッシュ時、および毎週水曜・金曜の夕方ラッシュ時には三河豊田駅 - 新豊田駅間にシャトル列車「あさシャトル」「ゆうシャトル」がそれぞれ運行され、この区間は上り7 - 8分、下り4 - 12分間隔での運行となっている。岡崎駅 - 高蔵寺駅間の所要時間は約1時間である。

このほか、平日の朝夕のみJR中央本線直通列車が運転されている。朝は瀬戸口発名古屋行きで2本、夕方は名古屋発瀬戸口行きで4本の運行である。すべてJR東海の車両が用いられ、朝は第三セクター鉄道では最長の10両編成が走るが、夕方は3 - 4両編成での運行となる。ホーム長さの関係から、愛環線区間内では高蔵寺方3 - 4両はドア扱いをせず、岡崎方3 - 4両のみに乗車できる。JR中央本線直通列車は、2005年の愛知万博の際に「エキスポシャトル」として運行された後、万博閉幕後の同年10月から名古屋 - 高蔵寺 - 瀬戸口・岡崎間で毎日運行されていたが、2012年3月17日のダイヤ改正から平日のみの直通運転となり、2014年3月15日のダイヤ改正で平日朝夕に名古屋駅 - 高蔵寺駅 - 瀬戸口駅間のみでの運行となった。

シャトル列車・朝夕のJR直通列車を除くと、編成両数や北野桝塚駅乗り換えの有無の違いはあるものの、基本的には平日・土曜・休日とも同一ダイヤである。

他の多くの第三セクター鉄道とは異なり、全列車で車掌が乗務する。車内補充券発行機で発行された乗車券は自動改札機を利用可能であったが、機器更新後は感熱レシートタイプの非磁気券となった。JR線と接続する岡崎駅や高蔵寺駅に到着する直前で必ず車内改札を行う。この際、自動改札機を通せない乗車券(無人駅で発行された乗車駅証明書等含む)や入場記録のない回数券は降車駅証明と引き換えとなる。これは岡崎駅や高蔵寺駅でJR東海と完全に改札口を共用しているため、不正乗車の防止のほか、有人改札口の混雑を防止するためである。

使用車両

車種は特記がなければ電車。JR中央本線直通列車はすべてJR東海の車両。

※愛知環状鉄道2000系車両では自動車内放送が行われるが、JR東海車両は車掌による放送となる。

過去の使用車両

  • 愛知環状鉄道線内普通列車
  • JR中央本線直通列車
    • 113系2000番台 - 2006年11月10日をもって乗り入れを終了。
    • 383系 - 万博輸送で使用。2005年2月27日に乗務員訓練と試運転で入線、開会式(3月24日)における要人用団体臨時列車に充当された。

岡多線時代

※車両の受け持ちは、電車が神領区、電気機関車が浜松機関区

旅客営業の開始当時は、神領電車区所属の70系電車が使用された。新規開業路線に旧形国電が使用されたケースは当線が最後である。また1980年代に入るともっぱら113系2000番台電車の運用になり、冷房車の普及も早かった。その後同車は東海道本線へ転出、当時余剰となっていた165系電車に置き換えられる。なお、開業時より電化されているため気動車は岡多線時代を含めて営業運用に入ったことはない(キヤ95系が検測のために入線した程度)。

お召し列車入線の際には三河豊田駅での機回しが不可能なため、帰途はEF58形61号機が北野桝塚駅まで徐行による推進運転を行い、同駅からは60号機が先頭に立ち通常運転となった。お召し列車での推進運転はきわめて異例であり、踏切のない区間ならではの特例と言える。

事業用車両

利用状況

輸送実績

愛知環状鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

運転本数は、当該年度に実施された最終のダイヤ改正以降の平日1日あたりの営業旅客列車(貨物列車、臨時列車、非営業列車を含めない)の本数を記す。

年度別輸送実績
年度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 運転本数 輸送密度
(人/日)
特記事項
通勤定期 通学定期 定期外 合計
1987年(昭和62年) 19.2 12.6 36.7 68.5 79 JR東海より転換 開業
1988年(昭和63年) 122.9 194.0 154.9 471.8 3,298
1989年(平成元年) 140.9 218.8 203.8 563.5 3,756
1990年(平成2年) 143.2 244.2 238.8 626.2 4,162
1991年(平成3年) 122.3 261.9 284.2 668.4 4,384
1992年(平成4年) 128.2 269.4 314.3 711.9 4,675
1993年(平成5年) 127.3 277.8 326.5 731.6 4,861
1994年(平成6年) 128.2 284.4 322.2 734.8 4,934
1995年(平成7年) 126.9 290.3 334.4 751.5 85 5,066
1996年(平成8年) 129.1 294.4 338.4 761.9 5,178
1997年(平成9年) 133.4 275.6 335.0 744.0 5,032
1998年(平成10年) 135.1 277.3 342.7 755.1 5,138
1999年(平成11年) 129.7 274.0 337.7 741.4 5,035
2000年(平成12年) 129.8 274.4 346.9 751.1 5,152
2001年(平成13年) 142.0 266.7 379.1 787.8 88 5,379 一部区間複線化
2002年(平成14年) 152.6 263.5 420.6 836.7 93 5,743
2003年(平成15年) 162.3 266.9 441.1 870.3 6,064
2004年(平成16年) 192.9 271.9 523.5 988.3 212 6,948 一部区間複線化 愛・地球博開催
2005年(平成17年) 257.5 294.9 1413.6 1966.0 123 15,453 愛・地球博開催
2006年(平成18年) 1116.2 8,446
2007年(平成19年) 637 633 1270.9 153 9,124 一部区間複線化
2008年(平成20年) 697 708 1406.4 160 9,537
2009年(平成21年) 341.5 366.9 673.9 1382.3 9,339
2010年(平成22年) 348.7 383.0 683.0 1414.7 9,601
2011年(平成23年) 1456.1 9,816
2012年(平成24年) 373.7 402.8 776.5 1497.2 9,997
2013年(平成25年) 393.0 422.0 747.3 1562.3
2014年(平成26年) 416.6 393.8 728.1 1538.4 10,081
2015年(平成27年) 449.6 409.2 799.4 1658.2
2016年(平成28年) 465.8 407.2 838.4 1711.4[10] 10,930[10]
2017年(平成29年) 501.7 403.2 885.2 1,790.1[11] 11,408[11]
2018年(平成30年) 533.9 407.8 904.0 1,845.7

鉄道統計年報、『数字でみる鉄道』(国土交通省鉄道局監修)及び国土交通省中部運輸局統計情報より

収入実績

愛知環状鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度別収入実績
年度 旅客運賃収入:千円/年度 鉄道線路
使用料
千円/年度
運輸雑収
千円/年度
総合計
千円/年度
通勤定期 通学定期 定期外 手小荷物 合 計
1987年(昭和62年) 44,557 21,374 138,857 0 204,788 216 8,831 213,835
1988年(昭和63年) 255,235 239,693 631,583 0 1,126,511 1,108 72,624 1,200,243
1989年(平成元年) 298,657 281,678 643,391 0 1,223,726 1,715 124,926 1,350,367
1990年(平成2年) 314,158 296,550 745,172 0 1,355,880 1,240 165,883 1,523,003
1991年(平成3年) 249,773 333,944 873,613 0 1,457,330 1,252 250,969 1,709,551
1992年(平成4年) 257,051 350,313 946,737 0 1,554,101 1,410 293,200 1,848,711
1993年(平成5年) 251,826 379,258 976,704 0 1,607,788 1,708 298,317 1,907,813
1994年(平成6年) 249,442 398,481 970,560 0 1,618,483 2,209 301,870 1,922,562
1995年(平成7年) 247,346 405,139 1,003,776 0 1,656,261 1,968 299,210 1,957,439
1996年(平成8年)
1997年(平成9年) 260,408 383,851 1,013,290 0 1,657,549 1,963 317,148 1,976,660
1998年(平成10年) 266,551 386,911 1,049,445 0 1,702,902 1,963 316,397 2,021,267
1999年(平成11年) 252,832 381,238 1,041,587 0 1,675,657 1,005 321,998 1,998,660
2000年(平成12年) 256,129 388,230 1,061,272 0 1,705,631 0 317,518 2,023,149
2001年(平成13年) 283,532 376,641 1,135,525 0 1,795,698 0 311,286 2,106,984
2002年(平成14年) 309,084 376,158 1,254,981 0 1,940,223 0 311,490 2,251,713
2003年(平成15年) 331,293 383,872 1,347,419 0 2,062,584 0 311,681 2,374,265
2004年(平成16年) 391,674 396,675 1,587,675 0 2,376,024 0 324,246 2,700,270
2005年(平成17年) 977,973 4,479,786 0 5,457,760 0 343,336 5,801,097
2006年(平成18年) 1,018,308 1,729,482 0 2,747,791 0 326,598 3,074,390
2007年(平成19年) 1,123,679 1,878,424 0 3,002,104 0 332,894 3,334,998
2008年(平成20年) 1,226,124 2,060,516 0 3,286,640 0 324,805 3,611,446
2009年(平成21年) 1,235,887 1,958,193 0 3,194,080 0 326,702 3,520,783
2010年(平成22年) 1,276,374 2,002,473 0 3,278,847 0 320,865 3,599,712

歴史

本路線は、鉄道敷設法で「愛知県岡崎ヨリ挙母ヲ経テ岐阜県多治見ニ至ル鉄道」として計画された岡多線と、「愛知県瀬戸ヨリ稲沢ニ至ル鉄道」として計画された瀬戸線が元になっている。

戦前の恐慌ムードの中、1930年昭和5年)に鉄道の先行バス路線として岡崎 - 多治見間に初の鉄道省営バス(のちの国鉄バス、現在のJR東海バス)路線が開設された。この路線を走った国鉄バス第1号車は交通博物館を経て2007年(平成19年)から埼玉県さいたま市鉄道博物館に展示されていたが、2011年(平成23年)にリニア・鉄道館に移されて展示されている。

国鉄岡多線

 
岡多線着工決定を告げる岡崎市の広報紙(1959年12月)

国鉄バス開業後も岡多線(岡崎 - 瀬戸 - 多治見間)の鉄道線としての計画・建設は進められ、1957年(昭和32年)4月3日付で調査線に指定され、1959年(昭和34年)11月9日付で工事線に指定された[12]。そして1965年(昭和40年)4月に運輸大臣が岡多線(岡崎 - 豊田間)の工事実施計画を認可し、同年8月には岡多線(豊田 - 瀬戸間)も運輸大臣から認可された[7]。一方、瀬戸 - 多治見間(AB線・約20 km)は第三セクター転換問題が浮上する前の1979年(昭和54年)6月、運輸省の決定により工事が凍結された[13]。これにより、岡多線は瀬戸線とともに大環状線を形成する岡崎 - 瀬戸間のみが建設されることになり、事実上「岡瀬線」になった[14]

一方で瀬戸線(瀬戸 - 稲沢間)も1962年に「敷設予定鉄道」・1964年(昭和39年)に工事線として指定され[15]、1966年(昭和41年)に着工した[7]。このころ、日本鉄道建設公団は岡多線(岡崎 - 瀬戸間:瀬戸以南)および瀬戸線を一体の環状線「岡多・瀬戸線」として重要視した一方、愛知県も鉄建公団と同じく瀬戸以北は岡多線(多治見方面)より高蔵寺を経由して稲沢・名古屋方面へ向かう瀬戸線を重要視しており、瀬戸 - 多治見間の岡多線は「岡多・瀬戸線」の整備より遅れを取るようになった[注 5][16]。岡多線(多治見方面)の経由地となることが予想されていた品野地区に名古屋学院大学を誘致していた瀬戸市側は当初こそ岡多線多治見方面の早期整備を望んでいたが[17]、次第にその重点は岡多線に限らず「環状線としての瀬戸線の早期建設・完工および瀬戸市をめぐる交通網の整備一般」へ変化し、岡多線期成同盟の運動も「名古屋市を中心とした環状鉄道の早期実現」へと重点を移していった[18]

鉄建公団が1964年(昭和39年)に発足し、工事を継承してからは同公団が主要幹線(C線)として岡多線(岡崎 - 瀬戸)および瀬戸線(全区間:瀬戸 - 高蔵寺 - 勝川 - 稲沢)の建設を進めた。1970年(昭和45年)10月1日トヨタ自動車の自動車輸送を目的に、貨物線として岡崎 - 北野桝塚間が開業した。1971年(昭和46年)からは岡崎 - 北岡崎間のユニチカ岡崎工場向けの原料輸送も行われている。1973年(昭和48年)に並行路線の名鉄挙母線が廃止され、一部が岡多線の用地に転用されたのを契機に工事が進み、1976年(昭和51年)4月26日新豊田駅まで路線が延長され、旅客営業も開始された。

 
1982年度当時の北野桝塚駅付近一帯。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

延長路線は岡崎市、豊田市の中心市街地を通過しているものの、部分開業であり、かつ旅客営業開始後も列車本数は少なく、最終列車も早かったため、従来から存在する路線バス(国鉄・名鉄)に対抗できず、利用は伸び悩んだ。また、国鉄時代、名鉄名古屋本線の新名古屋(現・名鉄名古屋) - 岡崎公園前 - 東岡崎間に対抗して設定された特定運賃が名古屋 - 中岡崎(岡崎公園前駅に隣接)間ではなく名古屋 - 岡崎(岡崎市南郊に所在)間を対象に設定されたことも、岡多線の国鉄線としての存在を希薄化させることとなった。

第三セクター化へ

岡多線は岡崎 - 新豊田間で部分開業したものの、平均断面輸送密度は国鉄再建法により廃線対象となる基準の4,000人/日を下回る2,757人/日であった。また、岡多線として開業時から行われていた岡崎 - 北野桝塚間のトヨタ自動車の自動車輸送は1984年(昭和59年)末限りで終了したため、貨物需要も当て込むことができなくなった。このため、国鉄は特定地方交通線第3次廃止対象線区として廃止承認を申請した。

さらに主要幹線(C線)として鉄建公団が早期開業を目指して建設を進めていた岡多線新豊田 - 瀬戸間と瀬戸線瀬戸 - 稲沢枇杷島間の平均断面輸送密度も3,600人/日程度と廃止・転換対象の基準を下回ることが予想されていた。前記の輸送密度は、名古屋近郊都市を結ぶ短絡線としての効果が(そもそも中央線高蔵寺方面と東海道線岡崎以東の、沿線間の短絡需要自体がそれほどないのではあるが)発揮できないことを意味し、また、工事区間沿線の開発がほとんど進んでいなかったため、開通による沿線利用客の増加も見込めない状況であった。

これらのことから、国鉄は1984年(昭和59年)7月に廃止承認の申請前より沿線自治体に対し第三セクターによる運営を申し入れ、当初自治体は「国鉄による早期開業を」と反対を表明したが、後にそれらの営業を受け入れる第三セクターとして愛知環状鉄道を設立し、鉄建公団に支払う賃借料を国鉄分割民営化国鉄清算事業団が継承し転換・開業させることで決着をみた(地方開発線・地方新線のAB線は無償で国鉄に貸与・譲渡されるのに対し、C線は有償貸与であり、実際に国鉄は岡崎 - 新豊田間の賃借料を支払っていた)。なお、瀬戸線のうち勝川 - 枇杷島間は、国鉄分割民営化で東海旅客鉄道(JR東海)への継承が決まったものの、同社の子会社東海交通事業城北線として開業させている。

なお、1979年6月に運輸省の決定で建設が凍結されたままだった岡多線の瀬戸 - 多治見間(AB線・約20 km)については、1985年(昭和60年)10月16日に開かれた関連2組織[注 6]の合同定期総会で、それまで建設を求めていた岐阜県と関係6市町(多治見市など)が建設を事実上断念(建設推進のための総会・陳情活動の見合わせ)する方針を決定[13]。鉄道敷設法の廃止に伴い計画そのものが消滅した。国鉄バスとして先行開業した瀬戸市 - 多治見駅前間に運行されていたJR東海バスの瀬戸北線は、2002年(平成14年)に下半田川 - 多治見駅前間を東濃鉄道(東鉄バス)に譲渡、下半田川 - 品野間を廃止し、2009年(平成21年)までに残る区間も名鉄バスが代替運行する形で、全線廃止となっている。

愛環発足後

1988年(昭和63年)1月30日、岡崎 - 新豊田間はJR東海の岡多線として最後の日を迎え、翌1月31日、岡崎 - 新豊田 - 高蔵寺間が愛知環状鉄道線として開業した。

同年2月3日の大雪で瀬戸口、中水野などの駅のポイントが不転換となった。これを教訓にポイントのある10駅に3年がかり(1988年 - 1991年10月)で融雪器を設置した。以後、積雪によるトラブルはない。

愛知環状鉄道線となった後は、岡多線時代より列車本数を増加した。愛環発足後も岡崎 - 新豊田 - 瀬戸間で運行していたJR東海バスは、乗車実績が年々減少したことから、2000年(平成12年)以前に廃止しており、その後は夜行高速バス「ドリームとよた号」のみ運行されている。

愛知万博開催を控え、会場アクセス拠点駅となる八草駅2004年(平成16年)10月10日から万博閉幕後の2005年(平成17年)9月30日まで「万博八草駅」と一時改称された。万博が開催された2005年には、会場アクセス列車として名古屋 - 万博八草駅間にJR中央本線直通列車「エキスポシャトル」が3月1日から9月30日まで毎時3往復運転された。車両はJR東海の211系5000番台(日によっては113系)が使用された。また、これを機に万博終了後の同年10月1日のダイヤ改正から名古屋 - 瀬戸口・岡崎間に直通列車が新設された。この年は輸送密度が(万博による「特需」の影響とはいえ)史上最高の15,453人/日を記録し[19]、その後も毎年のように9,000人/日以上を記録し続けている。

貨物輸送は、1971年(昭和46年)から行われていた岡崎 - 北岡崎間のユニチカ岡崎工場向けの原料輸送が1999年(平成11年)9月で終了した。将来的には、トヨタ自動車が貨物輸送を愛知環状鉄道で行う予定と報道され、全区間複線化して三河豊田駅からトヨタ自動車本社工場に貨物専用線を設ける計画予定もありとされていたが、貨物輸送終了後も日本貨物鉄道(JR貨物)が許可を有していた岡崎 - 北岡崎間の第二種鉄道事業は2010年(平成22年)4月1日で廃止された。

マイカー通勤転換プロジェクト

沿線のトヨタ自動車がマイカー通勤から公共交通機関利用に転換を進めていることに対応し、2008年(平成20年)完成予定で三河豊田駅 - 新豊田駅間を複線化して同駅間にシャトル列車を運行する計画が立てられた。同区間の工事は2006年(平成18年)6月から三河豊田駅構内で開始され、9月には三河豊田 - 新豊田間の工事が本格化、複線対応の架線柱新設、10月からは新上挙母駅構内で複線対応に伴うホームの基礎工事が開始され、2007年(平成19年)12月までにはレールも敷設され同区間の工事が終了した。2008年(平成20年)1月27日始発列車から複線運転が開始された。同3月15日ダイヤ改正より朝通勤時間帯にシャトル列車が設定され、この区間で既存列車と合わせて約8分間隔で列車が運行されるようになった。

三河豊田駅 - 新豊田駅間 配線変更・ホーム移設と複線化の推移

岡崎方面
 
高蔵寺方面
凡例
出典:[20]


年表

  • 1927年昭和2年)3月31日 - 予定線に編入される。
  • 1930年(昭和5年)12月20日 - 鉄道省(当時)が、岡崎 - 多治見間と瀬戸記念橋 - 高蔵寺間で自動車(バス)による旅客貨物の運輸事業を開始。省営バス第1号(以下「バス路線」と記す)。
  • 1957年(昭和32年)4月3日 - 調査線となる。
  • 1959年(昭和34年)11月9日 - 工事線となる。
  • 1964年(昭和39年)4月22日 - 日本鉄道建設公団(鉄建公団)調査線となる。
  • 1965年(昭和40年)8月 - 岡崎 - 新豊田間が着工される。
  • 1970年(昭和45年)10月1日 - 国鉄岡多線 岡崎 - 北野桝塚間 (8.7 km) が開業[21](貨物営業のみ)。北野桝塚駅開業。途中に北岡崎信号場を開設。
  • 1971年(昭和46年)10月1日 - 北岡崎信号場を駅に格上げし、北岡崎駅開業。
  • 1976年(昭和51年)4月26日 - 北野桝塚 - 新豊田間 (10.8 km) が延伸開業[21]。全線で旅客営業開始。中岡崎駅、三河上郷駅、永覚駅、三河豊田駅、新豊田駅開業。
  • 1979年(昭和54年)5月27日 - 豊橋 - 岡崎 - 新豊田間で第30回全国植樹祭に出席する昭和天皇の便を図って、お召し列車運行。
  • 1985年(昭和60年)1月1日 - 北岡崎 - 北野桝塚間貨物営業廃止。
  • 1986年(昭和61年)
    • 5月27日 - 第3次特定地方交通線として承認。
    • 8月11日 - 岡多線を愛知環状鉄道へ転換することが決定される。新豊田 - 瀬戸市間と瀬戸線瀬戸市 - 高蔵寺間の工事区間を引き継ぐことが決定した。
    • 9月19日 - 愛知環状鉄道設立。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が承継。日本貨物鉄道(JR貨物)が岡崎 - 北岡崎間の第二種鉄道事業者となる。
  • 1988年(昭和63年)1月31日 - 愛知環状鉄道に転換。新豊田 - 高蔵寺間 (25.8 km) が延伸開業[21]。既存区間に六名駅、大門駅、末野原駅、新上挙母駅開業。新規開業区間に四郷駅、保見駅、篠原駅、八草駅、山口駅、瀬戸口駅、瀬戸市駅、中水野駅開業。
  • 2001年平成13年)12月23日 - 中岡崎 - 北岡崎間、北野桝塚 - 三河上郷間複線化。
  • 2002年(平成14年)
    • 3月31日 - バス路線のJR東海バス岡多線の最終営業日。
    • 4月1日 - バス路線の下半田川 - 多治見駅間を東濃鉄道バスに移管。
  • 2004年(平成16年)
  • 2005年(平成17年)
    • 3月1日 - 愛環梅坪駅、貝津駅開業。高蔵寺より名古屋からのエキスポシャトルが乗り入れ開始(9月30日まで)。
    • 10月1日 - 万博八草駅を八草駅に再改称。愛環線と中央本線(岡崎 - 高蔵寺 - 名古屋)間の本格直通運転を開始。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月27日 - 三河豊田 - 新豊田間複線化。
    • 3月15日 - 三河豊田 - 新豊田間でシャトル列車運行開始。
  • 2009年(平成21年)3月14日 - ホームも含め終日禁煙化。
  • 2010年(平成22年)4月1日 - 岡崎 - 北岡崎間の日本貨物鉄道の第二種鉄道事業廃止。
  • 2012年(平成24年)3月17日 - 土休日の中央本線との直通運転を廃止。
  • 2014年(平成26年)3月15日 - 平日昼間の中央本線との直通運転を廃止。
  • 2019年(平成31年)3月2日 - ICカード「TOICA」および、全国交通系ICカードが利用可能になる[24]
  • 2020年令和2年)7月8日 - 令和2年7月豪雨の影響で永覚 - 末野原間で土砂流入が発生し、北野桝塚 - 三河豊田間が不通となる。翌7月9日正午頃復旧[25][26][27]

駅一覧

全駅愛知県に所在。

凡例
有人駅…○:終日有人駅、△:駅員時間配置駅、空欄:無人駅
駅施設…○:あり、空欄:なし
線路…|・◇:単線区間(◇は列車交換可能)、∥:複線区間、∧:これより下は複線、∨:これより下は単線
駅番号 駅名 駅間
キロ
営業
キロ
接続路線 有人駅 自動改札機 自動券売機 エレベーター 線路 所在地
01 岡崎駅 - 0.0 東海旅客鉄道CA 東海道本線 (CA52) 岡崎市
02 六名駅 1.7 1.7          
03 中岡崎駅 1.7 3.4 名古屋鉄道NH 名古屋本線岡崎公園前駅:NH14)  
04 北岡崎駅 1.9 5.3    
05 大門駅 1.2 6.5      
06 北野桝塚駅 2.2 8.7      
07 三河上郷駅 2.0 10.7       豊田市
08 永覚駅 1.7 12.4          
09 末野原駅 1.6 14.0      
10 三河豊田駅 1.9 15.9  
11 新上挙母駅 1.7 17.6 名古屋鉄道:MY 三河線上挙母駅:MY06)  
12 新豊田駅 1.9 19.5 名古屋鉄道:MY 三河線(豊田市駅:MY07)
13 愛環梅坪駅 2.0 21.5    
14 四郷駅 2.0 23.5      
15 貝津駅 2.0 25.5    
16 保見駅 1.3 26.8      
17 篠原駅 2.4 29.2          
18 八草駅 2.8 32.0 愛知高速交通東部丘陵線(リニモ) (L09)
19 山口駅 2.6 34.6       瀬戸市
20 瀬戸口駅 2.1 36.7    
21 瀬戸市駅 2.4 39.1 名古屋鉄道:ST 瀬戸線新瀬戸駅:ST18)
22 中水野駅 2.8 41.9      
23 高蔵寺駅 3.4 45.3 東海旅客鉄道:CF 中央本線 (CF09) (名古屋駅まで一部直通運転) 春日井市
  • 岡崎駅と高蔵寺駅以外の各駅で、接近放送前に駅ごとに異なる接近メロディが上下別で流れている。

未成区間の通過予定地

瀬戸市駅から北東へ進路を取り、瀬戸市品野町付近を通って県境を越え、岐阜県旧笠原町(現多治見市笠原町)へ。笠原町からは旧東濃鉄道笠原線と1 - 2km東側へ離れたところを併走し、中央本線の中津川方から多治見駅へ進入する予定であった。

日本鉄道建設公団(鉄建公団)の位置づけでは、岡多線岡崎 - 瀬戸市間と、同区間と一体運用される瀬戸線(瀬戸 - 稲沢間)が東海道本線(岡崎 - 稲沢間)のバイパスを構成する名古屋近郊の大環状線として、複線・電化の主要幹線(C線)及び線路等級「甲線」と高い線路規格で計画されていた一方で、大環状線から外れる岡多線瀬戸以北多治見方面は単線・非電化の地方開発線(A線)として計画されており、線路等級も「丙線」と低く、建設の優先順位も岡多・瀬戸線(岡崎 - 瀬戸市 - 高蔵寺 - 〈中央本線と並行〉 - 勝川 - 小田井〈当駅で2方向に分岐〉 - 稲沢・枇杷島)より低かった[28]

途中の設置駅などは詳しく決まっておらず、建設予定線のまま、工事はほとんどされずに建設は事実上中止となったため、瀬戸市駅付近のごくわずかを除いて、未成区間の痕跡を辿ることは非常に困難である。

国鉄時代の逸話

  • 国鉄時代の路線名である「岡多(おかた)線」は湯桶読みである。国鉄は従来、2つの地名から1文字ずつを取った線路名称は、実際の読み方に関係なく音読みのみ(一部訓読みのみの例外あり)としてきたが、当路線は初めてこれを破った路線名となった。宮福線(みやふくせん)は国鉄路線としては開業しなかったので(宮福鉄道として開業)、岡多線が湯桶読みの国鉄路線の最初で最後である。ただし、実際には存在せず運行系統上のみ存在する路線としては埼京線も該当する。
  • 歴史」の節で記した通り、トヨタ自動車の自動車輸送を目的として開業し、国鉄末期にトヨタ側がこれを取りやめた。スト権ストなどで国鉄への信頼が失われたせいもあるが、これに関して、国鉄改革を推進する側は「国鉄の非効率」(トヨタが見限る)の典型例として取り上げ、逆にそれを批判する側は「大企業の都合で敷いた鉄道が、その企業の都合で使うのをやめられてしまう」鉄道施策の無定見ぶりとして取り上げた。

複線化

 
愛環梅坪駅付近では複線路盤のうち西側のみに単線の線路(スラブ軌道)が敷設され、その線路に面して1面1線の片面ホームがある。線路に隣接しているのが複線化用の路盤で、複線化の際には路盤上への線路敷設に加え、新たにホームを増設して2面2線の相対式ホームとなる。

開業当初は全線が単線であったが、2001年に中岡崎 - 北岡崎間および北野桝塚 - 三河上郷間で、続く2004年には瀬戸市 - 高蔵寺間、2008年には三河豊田 - 新豊田間が相次いで複線化された。それ以外の区間は2019年時点でも単線のままであり、貝津駅・永覚駅など行き違いのできない駅もあるが、それらの駅を含めほぼすべての区間で複線化のための用地が確保されている。これは将来の全線複線化を見越してのことであるが、その目途は立っていない。

脚注

注釈

  1. ^ 仮にこの数値を国鉄再建法により規定された区分に当てはめた場合、「地方交通線」ではなく「幹線系線区」に該当する。
  2. ^ 2010年(平成22年)度は北越急行ほくほく線もこれに該当していた。
  3. ^ a b 根岸線石勝線長崎本線長崎トンネル経由の新線〈浦上線〉)・伊勢線などと同ランク[6]
  4. ^ 三河豊田 - 新豊田間に位置する新上挙母駅もかつては大門駅と同じ構造であったが、同区間の複線化にあたって2面2線の相対式ホームに改築する際に旧ホームが撤去され、新ホームに付け替えられている。
  5. ^ 実際に1970年時点では岡多線(瀬戸以南)と瀬戸線がそれぞれ既に着工されていた一方、岡多線(瀬戸以北・多治見方面)は路線ルートすら確定していなかった[7]
  6. ^ 「岡多線鉄道敷設推進協力連合会」(会長:多治見市長・加藤直樹)と、「岡多線瀬戸−多治見間鉄道敷設期成同盟会」(会長:岐阜県知事上松陽助[13]

出典

  1. ^ a b 愛知環状鉄道殿向け 2000系 - 日本車輌製造
  2. ^ 国土交通省鉄道局監修、運輸政策研究機構発行『数字でみる鉄道 2013』(ISBN 978-4-903876-51-1 2013年10月31日発行) p.66
  3. ^ 国土交通省鉄道局監修、運輸政策研究機構発行『数字でみる鉄道 2016』(ISBN 978-4-903876-71-9 2016年10月1日発行) p.66 - 67
  4. ^ 平成24年度決算賃借対照表 (PDF) - 愛知環状鉄道
  5. ^ 川島令三『全国鉄道事情大研究 名古屋東部篇』(第1刷発行)草思社、2002年6月、211頁。ISBN 978-4794211408 
  6. ^ a b 開業実績一覧” (PDF). 鉄道・運輸機構. 2018年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月13日閲覧。
  7. ^ a b c d 名古屋学院大学 2012, p. 35.
  8. ^ 名古屋学院大学 2012, p. 37.
  9. ^ 日本国有鉄道 1966, p. 317.
  10. ^ a b 『数字でみる鉄道2018』(2019年1月発行 発行元:一般財団法人 運輸総合研究所、監修:国土交通省鉄道局)68頁
  11. ^ a b 『数字でみる鉄道2019』(2020年2月発行 発行元:一般財団法人 運輸総合研究所、監修:国土交通省鉄道局)68頁
  12. ^ 名古屋学院大学 2012, p. 30.
  13. ^ a b c 『中日新聞』1985年10月17日朝刊「国鉄岡多線 瀬戸−多治見間の建設“断念” 岐阜県と関係6市町 凍結から6年余 陳情見合わせ決定」(中日新聞社)
  14. ^ 中日新聞』1984年7月24日朝刊「どこへ行く 岡多・瀬戸線 <上> 大誤算 ジリ貧自動車輸送 旅客だけが“頼みの綱”」(中日新聞社
  15. ^ 名古屋学院大学 2012, p. 32.
  16. ^ 名古屋学院大学 2012, pp. 33–35.
  17. ^ 名古屋学院大学 2012, p. 34.
  18. ^ 名古屋学院大学 2012, pp. 37–38.
  19. ^ データでみる地域 輸送密度・営業収支率にみる地方鉄道・路面電車事業者の経営体力 p.35 (PDF) - 日本経済新聞社産業地域研究所 (主任研究員 市川 嘉一)
  20. ^ 愛知環状鉄道20年史編纂委員会、『愛知環状鉄道20年史』、pp.111-112、2008年
  21. ^ a b c “日本鉄道建設公団30年略史”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 8. (1993年3月23日) 
  22. ^ “愛知環状鉄道「駅番号制」を導入”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2004年4月7日) 
  23. ^ a b 「鉄道記録帳」『RAIL FAN』第52巻第1号、鉄道友の会、2005年1月号、24頁。 
  24. ^ "「TOICA」乗車券のサービス開始日について" (PDF) (Press release). 愛知環状鉄道. 12 December 2018. 2019年6月2日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年11月8日閲覧
  25. ^ 鉄道・高速、混乱相次ぐ 愛環鉄道線路に土砂流入”. 中日新聞社 (2020年7月8日). 2020年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月11日閲覧。
  26. ^ 遅延証明書” (pdf). 愛知環状鉄道 (2020年7月8日). 2020年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月11日閲覧。
  27. ^ 遅延証明書” (pdf). 愛知環状鉄道 (2020年7月9日). 2020年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月11日閲覧。
  28. ^ 名古屋学院大学 2012, pp. 27–53.

参考文献

関連項目

外部リンク