サクラローレル

日本の種牡馬、元競走馬

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サクラローレル(欧字名:Sakura Laurel1991年5月8日 - 2020年1月24日)は[1]日本競走馬種牡馬である。1996年JRA賞年度代表馬JRA賞最優秀5歳以上牡馬

サクラローレル
2000年9月、静内スタリオンステーション
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栃栗毛[1]
生誕 1991年5月8日[1]
死没 2020年1月24日(29歳没)
Rainbow Quest[1]
ローラローラ[1]
母の父 Saint Cyrien[1]
生国 日本の旗 日本北海道静内郡静内町[1]
生産者 谷岡牧場[1]
馬主 (株)さくらコマース
全尚烈[1]
調教師 境勝太郎美浦
→小島太(美浦)[1]
厩務員 小島良太
競走成績
タイトル JRA賞年度代表馬(1996年)
JRA賞最優秀5歳以上牡馬(1996年)
生涯成績 22戦9勝
中央競馬)21戦9勝[1]
フランス)1戦0勝[1]
獲得賞金 6億2699万1000円[1]
IC 115L(1996年)[2]
118E(1997年)[3]
勝ち鞍
GI 天皇賞(春) 1996年
GI 有馬記念 1996年
GII 中山記念 1996年
GII オールカマー 1996年
GIII 金杯(東) 1995年
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1996年の天皇賞(春)GI)、有馬記念GI)など9勝、重賞5勝を挙げた。

経歴

デビュー前

ローラローラは、全演植が所有し、フランスで競走馬として6戦1勝[4]、1988年のセーヌ賞(L)では3着に入った[5]。引退後はイギリス繁殖牝馬となった。初年度はファビュラスダンサーが種付けされ、1990年初仔となる牝馬(後のSakura Fabulous)が誕生。2回目の種付けにはレインボウクエストを選択、受胎した身で日本に渡航した[4]。1991年5月8日、北海道静内町(現在の新ひだか町)の谷岡牧場にて、2番仔となる牡馬(後のサクラローレル)が誕生する[4]

谷岡牧場で育成を担当した小島良太は、牧場時代について「ひょろっとした馬。細くて長い不格好[4]」と評していた。誕生直後を見ていた境勝太郎は、皮膚の薄さと馬相が良いと回想している[4]。しかし、「サクラ」の冠名を有する馬を数多く管理し「『サクラ』の主戦厩舎」の境は、実際にこの牡馬を厩舎に受け入れることを躊躇していた[4]。2歳でようやく厩舎が決まり、結局境厩舎に預けられることとなった[4]

脚部不安を抱えており、ひどい骨膜炎がある中で成長が遅れて、出走可能な状態となるには時間を要した[4]

4歳(1994年)

1994年1月6日、中山競馬場の新馬戦でデビュー、単勝オッズ1.8倍の1番人気という支持を集めたが、人気を裏切り9着に敗退[4]。再び中山の新馬戦に出走するも3着に敗れた[4]。1月30日の3戦目では、脚部への負担を考えて、ダートの1400メートルの未勝利戦に出走し初勝利を挙げた[4]

その後、5月の東京優駿(日本ダービー)を目指し、果敢に出走を続け、3月26日の500万円以下(ダート1800メートル)で2勝目を挙げた[4]。続いて、東京優駿のトライアル競走である青葉賞GIII)で勝利したエアダブリンに0.1秒差の3着。東京優駿への優先出走権を獲得したものの、直前でかねてより不安のあった右後肢の球節炎を発症し、出走を諦めて休養に入った[4]

秋は9月4日の新潟競馬場、佐渡ステークス(900万円以下)で復帰し3着。菊花賞のトライアル競走であるセントライト記念GII)では8着となった[4]

その後脚の状態が良化し、900万下と1500万下の条件戦を連勝した[4]。この1着になった900万は、この日にマイルチャンピオンシップに出走の同厩の先輩、サクラバクシンオー帯同馬としてのだった。

この年は、13戦に出走しオープンクラスに昇級した。

5歳(1995年)

古馬となり1月5日、中山競馬場の金杯(東)に出走。最終コーナーで2番手から抜け出し、後続を2馬身半突き放して勝利[6]重賞初制覇、4連勝となった。続く目黒記念GII)では、単勝オッズ1.5倍の1番人気の支持を受けた。直線で早めに先頭に抜け出したが、外から追い込んだハギノリアルキングにクビ差遅れて、2着となった[6]

その後、京都競馬場で行われる天皇賞(春)を目指し、栗東トレーニングセンターに移動し、調教が行われていた[6]。ところが、調教中に両前脚深管[注釈 1]を骨折。「両前脚第三中手骨骨折[6]」との診断され、獣医師は「競走能力喪失に等しい[6]」と見立てていた。境は、サクラローレルの持つ血統、能力を諦めることができず、競走馬を引退せず、現役続行することとなった[6]。治療が行われることになり、長期の休養に入った。

調教師の境は金杯の直後に海外遠征を考えていたものの、「GIIIを勝ったばかりのサクラローレルで海外に行くといったら笑われる気がして言い出せなかった」として断念したという話がある。境はのちに井崎脩五郎に対し「あの時に行っていれば、海外でGIを勝っていたと思う。このヘボ調教師がチャンスの芽を摘んじゃったのさ。ローレルに悪いことをしたと、ずっと頭から離れないよ」と語ったことを、境の死後に井崎が明らかにしている[7]

6歳(1996年)

競馬場に姿を見せたのは故障から1年1か月後のことであった[6]。これまで新馬戦から騎乗を続け、主戦騎手小島太は引退し、調教師転身。それにより、新たに横山典弘を鞍上に迎えた[6]

中山記念GII)に出走、9番人気と評価であった[6]。第3コーナーまで後方で待機し、直線にて内から抜け出した1番人気の皐月賞優勝馬、ジェニュインなどを「怒涛の末脚(三好達彦[8])」でかわして、先頭となった[8]。手綱を抑えたまま入線、後方に1馬身4分の3差をつけて勝利した[8]

前年に出走することのできなかった天皇賞(春)(GI)に参戦。単勝オッズ1.7倍の1番人気に推されたナリタブライアン、2.8倍の2番人気に支持されたマヤノトップガンの2頭による「一騎討ち」の様相を呈した中で、3番人気に推された。レースでは直線で力強い末脚を見せて、先に先頭に立っていたナリタブライアンを差し切って優勝。初のGI勝利となった。(レースの詳細は第113回天皇賞を参照)

この年から7月に施行時期が変更になった宝塚記念を回避し、秋に備えた。休養明けのオールカマーでは、人気を二分したマヤノトップガンを相手に快勝、目標とする天皇賞(秋)に出走した。

天皇賞(秋)では1番人気に支持されたものの、スタートで出遅れて後ろからの競馬[注釈 2]になった上、直線で馬群の間に進路を取った結果、窮屈なところに閉じ込められてしまい、優勝したバブルガムフェローどころかマヤノトップガンにも先着を許して3着に敗れた。これは鞍上の横山も「最高に下手に乗った」と自戒し、境からも大目玉を食らった。

天皇賞後、ジャパンカップを回避して有馬記念に出走。1番人気に応えてマーベラスサンデー以下を下し、GI2勝目を挙げた。数々の大レースを制してきた境にとっても、有馬記念はこれまで縁がなかった。その上、調教師生活通算700勝目をこの有馬記念で飾ったので、翌年2月での調教師勇退に最高の餞となった。GI2勝を挙げ、1996年のJRA賞年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬を受賞した。

7歳(1997年)

軽度の骨折の影響で有馬記念から、ぶっつけで天皇賞(春)連覇を狙うことになった。が、3分14秒4と従来の記録を2秒7更新するレコードタイムで駆け抜けたマヤノトップガンの2着に敗れ、連覇を逃した。(このレースの詳細は第115回天皇賞を参照)

小島が後日語った内容によると、この時、横山がスランプに陥っていると判断し、海外遠征経験の豊富さからも予定されていた凱旋門賞挑戦に関しては、最初はフランスの名手フレディー・ヘッドに騎乗を依頼していた。ところが、ヘッドの回答が「突然の現役引退宣言」だったため、急遽武豊に乗り替わることになった。

だが、凱旋門賞を目指して渡仏するも、前哨戦のフォワ賞でレース中に右前脚に屈腱不全断裂[注釈 3]を発症し、最下位8着に敗れた。また、この海外遠征に際し、日本で普段担当していた装蹄師を帯同せずに現地の装蹄師が担当したことと馬場が固かったことが、もともと脚元に不安のあったことが、故障の原因になったと言われている。この際、サクラローレルの価値を知らない現地の獣医師が「競走馬としてはもう使い物にならないから、薬殺してもいいか」とフランス語で問いかけ(但し、それだけ怪我の状態が酷く予後不良レベルであったということでもある)、意気消沈した現地スタッフが言葉の意味も分からず同意しかけてしまい、フランス語が分かるスタッフが慌てて「馬鹿野郎!ローレルを殺す気か!!」と叫んだことで、危うく難を免れたというエピソードが残る。

故障の2日後の9月16日、引退。12月20日、中山競馬場で引退式が行われた。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comの情報に基づく[9]

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上がり3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬) 馬体重

[kg]

1994. 01. 06 中山 4歳新馬 芝1600m(良) 15 4 7 01.8 (1人) 9着 1:37.9 (37.6) -1.0 小島太 55 シャインフォード 488
01. 15 中山 4歳新馬 芝1600m(重) 13 8 13 06.7 (2人) 3着 1:37.8 (38.1) -0.7 小島太 55 マツブリジャンテ 480
01. 30 東京 4歳未勝利 ダ1400m(重) 14 4 6 02.7 (1人) 1着 1:26.6 (37.1) -0.5 小島太 55 (シクレノンヴォルク) 480
02. 19 東京 春菜賞 5下 芝1600m(良) 12 7 10 08.6 (4人) 6着 1:35.9 (35.7) -0.4 小島太 55 インディードスルー 480
03. 06 中山 4歳500万下 ダ1800m(良) 7 3 3 04.4 (2人) 2着 1:54.1 (38.7) -0.1 O.ペリエ 55 タイキブリザード 480
03. 26 中山 4歳500万下 ダ1800m(良) 10 7 7 01.2 (1人) 1着 1:53.9 (37.7) -0.4 小島太 55 (キャンドルタイム) 480
04. 30 東京 青葉賞 GIII 芝2400m(良) 17 5 9 07.1 (3人) 3着 2:28.9 (35.0) -0.1 小島太 56 エアダブリン 480
09. 04 新潟 佐渡S 9下 芝2000m(良) 9 5 5 03.4 (2人) 3着 2:01.3 (36.0) -0.6 小島太 56 ダイゴウソウル 490
09. 25 中山 セントライト記念 GII 芝2200m(重) 11 7 9 02.9 (2人) 8着 2:17.0 (36.9) -1.1 的場均 56 ウインドフィールズ 484
10. 15 東京 六社特別 9下 芝1800m(良) 9 6 6 01.2 (1人) 2着 1:47.5 (34.5) -0.3 小島太 56 バースルート 490
10. 30 東京 秋興特別 9下 芝2000m(良) 10 6 6 01.4 (1人) 2着 2:01.5 (34.1) -0.1 小島太 55 ブランドミッシェル 488
11. 20 京都 比良山特別 9下 芝2200m(良) 7 1 1 01.5 (1人) 1着 2:14.1 (34.4) -0.3 小島太 55 (メジロスズマル) 488
12. 18 中山 冬至S 15下 芝2500m(良) 14 8 14 02.1 (1人) 1着 2:33.5 (35.1) -0.3 小島太 56 (ハヤテマジシャン) 486
1995. 01. 05 中山 金杯(東) GIII 芝2000m(重) 16 6 11 04.9 (2人) 1着 2:00.5 (36.4) -0.4 小島太 55 (ゴールデンアイ) 490
02. 19 東京 目黒記念 GII 芝2500m(良) 12 4 4 01.5 (1人) 2着 2:31.2 (35.9) -0.1 小島太 56.5 ハギノリアルキング 490
1996. 03. 10 中山 中山記念 GII 芝1800m(良) 15 3 5 19.5 (9人) 1着 1:47.2 (34.8) -0.3 横山典弘 57 ジェニュイン 496
04. 21 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 16 1 1 14.5 (3人) 1着 3:17.8 (34.7) -0.4 横山典弘 58 ナリタブライアン 484
09. 15 中山 オールカマー GII 芝2200m(重) 9 8 9 01.9 (2人) 1着 2:16.7 (36.6) -0.4 横山典弘 59 (ファッションショー) 492
10. 27 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 17 8 16 02.5 (1人) 3着 1:58.9 (34.1) -0.2 横山典弘 58 バブルガムフェロー 496
12. 22 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 14 4 6 02.2 (1人) 1着 2:33.8 (36.5) -0.4 横山典弘 56 マーベラスサンデー 502
1997. 04. 27 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 16 4 8 02.1 (1人) 2着 3:14.6 (35.0) -0.2 横山典弘 58 マヤノトップガン 488
09. 14 ロンシャン フォワ賞 G3 芝2400m(稍) 8 1 - (1人) 8着 2:32.4 - -0.0 武豊 58 Yokohama 計不

種牡馬として

現役時に総額11億9000万円のシンジケートを組まれ、引退後は種牡馬となり静内スタリオンステーションで供用された。初年度産駒からローマンエンパイア2002年京成杯)を出した。ほかにはサクラセンチュリー2004年鳴尾記念2005年日経新春杯アルゼンチン共和国杯)がいる。初年度から芝の重賞勝ち馬を出してはいるが、産駒にはスタミナ豊富なダート巧者が多い。静内スタリオンステーションの閉鎖に伴い、2005年から2009年まではアロースタッドで、2010年・2011年は新和牧場で供用された。2012年に種牡馬を引退した後も引き続き新和牧場で繋養され[10]余生を過ごしていたが、2020年1月24日朝、老衰のため死亡した[11]

代表産駒

ブルードメアサイアーとしての産駒

血統表

サクラローレル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ブラッシンググルーム系
[§ 2]

Rainbow Quest
1981 鹿毛
父の父
Blushing Groom
1974 栗毛
Red God Nasrullah
Spring Run
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
父の母
I Will Follow
1975 鹿毛
Herbager Vandale
Flagette
Where You Lead Raise a Native
Noblesse

*ローラローラ
Lola Lola
1985 栗毛
Saint Cyrien
1980 鹿毛
Luthier Klairon
Flute Enchantee
Sevres Riverman
Sartoga
母の母
Bold Lady
1974 栗毛
*ボールドラッド
Bold Lad
Bold Ruler
Misty Morn
Tredam High Treason
DamasiF-No.14
母系(F-No.) 14号族(FN:14) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah4×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ サクラローレル 5代血統表2017年8月26日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com サクラローレル 5代血統表2017年8月26日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ サクラローレル 5代血統表2017年8月26日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ サクラローレル 5代血統表2017年8月26日閲覧。

脚注

注釈

  1. ^ 深管とは管骨の裏側。管骨とは膝から下にある中手骨を指す。
  2. ^ この時のサクラローレルの位置どりは、3コーナーで12番手、4コーナーで10番手だった。
  3. ^ 屈腱が腫れるだけではなく、かなりの比率で切れてしまった状態を指す。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o サクラローレル|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年2月18日閲覧。
  2. ^ 優駿』、日本中央競馬会、1997年2月、23頁。 
  3. ^ 優駿』、日本中央競馬会、1998年2月、121頁。 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『優駿』2020年10月号 通巻922号 119頁
  5. ^ 競走成績:年度別累計成績/主な成績|ローラローラ(FR)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2021年2月18日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i 『優駿』2020年10月号 通巻922号 120頁
  7. ^ 東京中日スポーツ・2009年4月14日付「井崎脩五郎の競馬探偵」
  8. ^ a b c 『優駿』2020年10月号 通巻922号 121頁
  9. ^ サクラローレルの競走成績 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 2021年2月18日閲覧。
  10. ^ 引退名馬/サクラローレル”. 名馬.jp. 2013年12月30日閲覧。
  11. ^ 96年の年度代表馬サクラローレルが死ぬ - デイリースポーツ online 2020年1月24日
  12. ^ ローマンエンパイア”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  13. ^ デンゲキヒーロー”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  14. ^ タフネスゴールド”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  15. ^ サクラセンチュリー”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  16. ^ シンコールビー”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  17. ^ キヌガササファイヤ”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  18. ^ ギルガメッシュ”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  19. ^ ロングプライド”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  20. ^ ウエスタンローレル”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  21. ^ ピンクゴールド”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  22. ^ スイングエンジン”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。
  23. ^ ケイティブレイブ”. JBISサーチ. 2018年3月15日閲覧。

参考文献

外部リンク