国際興業

日本のバス事業を中心とした企業

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国際興業こくさいこうぎょう)とはバス事業(東京・埼玉及び大阪・神戸地区)をはじめ、タクシー(大阪・神戸地区)、ハイヤー(東京地区)、不動産開発販売、観光事業、ゴルフ用品販売、輸入自動車販売(北海道札幌地区でBMWポルシェフェラーリなどを取り扱い)などを手がける総合商社。

路線バス事業は東京では、城北城西地区を拠点としており、池袋豊島区)、板橋区赤羽北区)を中心に、また埼玉では川口市蕨市戸田市鳩ヶ谷市さいたま市浦和大宮)、飯能市名栗村地区を中心に事業展開をしている。

沿革

田中角栄刎頚の友と呼ばれた小佐野賢治1917年2月15日 - 1986年10月27日)が、1940年5月15日に興した自動車部品販売業「第一商会」を淵源とする。軍需省の出入り商人として活動し、大いに蓄財した。終戦直後に駐留米軍を相手に中古車を展示販売し大成功を収め、商売相手を駐留米軍に転換。まず根津財閥から熱海ホテル富士山麓電気鉄道から山中湖ホテル東京急行電鉄から強羅ホテルを買収し、主として駐留米軍を相手にした観光事業に進出。更に東京急行電鉄から東京観光自動車・東都乗合自動車を買収。これを足掛かりとして駐留米軍のための送迎バス事業を請け負う。1947年に現在の社名に改め、更にアメリカから中古車と農機具の輸入・販売を手がけ、在米事業の基盤を築く。
1960年先に買収した大阪交通(大阪タクシーを源流とする大阪ハイタク界の大手)へ逆さ合併を行い、関西にも拠点を持つ事になる。

その後、山梨交通富士屋ホテル・国民相互銀行・日本電建などを買収・傘下に収めるなどして事業を拡大。海外でもシェラトン・プリンセス・カイウラニホテルなどハワイで5つのホテルを経営するなどしている。

  • 国際興業」の名の由来は、上記の通り戦後駐留米軍を相手に活動してきた事からと思われがちだが、実は小佐野が戦前関与していた「国際自動車」(Km)の「国際」の響きが気に入って自分の会社名にも採用してしまった事によるものである。
  • 国際興業の観光バスのカラーリングも、大阪交通と共に買収した神戸タクシーが運行していたのを、やはり小佐野が気に入って以来国際興業グループ全社で採用される事になった。
  • 小佐野賢治の生存中は、「KKK」と略されていたが、現在では年配の人以外ほとんど使わない。「KKK」とは「KokusaiKogyoKabushikigaisya」の略であり、関係の深かった東京急行電鉄の「TKK」に倣った物で、採用した昭和20年代当時は、このローマ字三文字の略称が流行していた。
    以前はバス車体にローマ字略称が記されていたが、2002年に行われた日韓ワールドカップの際の観客輸送を行うにあたり、クー・クラックス・クランの略称と同一であることを配慮し、全車両の略称標記を消した。以後は公式にはローマ字の略称は用いられていない(但し、国際興業バスの一部バス停に「KKK」のロゴが残っている所がある)。

2004年UFJホールディングスUFJ銀行をはじめとする金融機関からの単体での有利子負債が3300億円に上り、経営不振に陥っているという情報が、大手新聞社を中心に一斉に流れた。同年11月30日米国投資ファンドサーベラスが買収・傘下に収める。2005年には資本金14億円を大幅増強1030億円としてサーベラス主導の再建がはじまっているが先行きは未知数である。近年ではJR東日本びゅうプランに国際興業グループの花巻温泉をつけたプランを共同で行っている。

関連会社

※かつては日本電建という住宅産業の会社を所有していたが、2002年9月に大東建託に事業を譲渡し「新日本電建」(現在は大東住託)という社名に改め、国際興業傘下から離れた。また、国民銀行も経営破綻し、八千代銀行に営業譲渡し、同行本体は特別清算した。

※1990年には岩手県和賀町(現、北上市)と共同で夏油スキー場を開発・運営するために設立した「夏油高原開発」も多額の赤字から2002年に撤退した(現在は加森観光へ経営権を譲渡している)。

※一時さいたま国際バスを分社したが、2004年4月に再び本体に吸収した。

関連項目

外部リンク

ホテル

不動産

ゴルフコース

ゴルフクラブ

自動車教習所