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  • 最新 03:332022年10月22日 (土) 03:33240f:68:904d:1:cdd6:3a71:48c1:5fae 会話 8,727バイト 0 58.191.46.89 (会話) による ID:92068010 の版を取り消し 荒らし 取り消し タグ: 取り消し
  • 最新 03:302022年10月22日 (土) 03:3058.191.46.89 会話 8,727バイト 0 →‎概説: インドシナ三国からの難民の総数は約144万人に達し、その内約130万人がアジア地域の難民キャンプを経て、アメリカ・オーストラリア・カナダ・フランス・日本など第三国に定住した。1979年にピークを迎え、同年からは、ベトナム政府と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)との間で締結された「合法出国に関する了解覚書」に準拠し、合法出国計画(ODP)が開始され、その結果、人道的ケースや家族再会に限定し、ベトナムからの合法出国を認められることとなった。ベトナム脱出の手段としてボートを用いた人々を特にボート・ピープルと呼ぶ。ボート・ピープルは1979~82年頃にピークが見られる。 これらの人々の多くは中国系であり、1979年前後には、急激な社会主義化による資産制限・国有化に加え、中越戦争による民族的緊張から、都市部で商業を営む華人が大量に国外脱出し国際的問題となった。1975年以前、南北ベトナムに在住していた145万人の華人のうち、26万人は中国に帰国、111万1000人がアメリカ・カナダなどに移住し、在ベトナムの華人人口は1987年には28.5万人にまで減少した。統一前、南部に 取り消し タグ: 差し戻し済み ビジュアルエディター

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