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  • 最新 11:462023年12月3日 (日) 11:46P9iKC7B1SaKk 会話 投稿記録m 15,968バイト 0 →‎生涯: 違→遠 取り消し
  • 最新 11:362023年12月3日 (日) 11:36P9iKC7B1SaKk 会話 投稿記録m 15,968バイト +798 →‎義信事件: {{Wikisource|松隣夜話|3=義信を上杉の養子に出す武田からの和平提案「甲州穴山梅雪より、越後北の庄龍峯寺迄、空庵といふ僧を差越され、其趣聊か故あるに依り、信玄、近来総領の太郎義信を押下し、庶子伊奈四郎を立てんと仕られ候。其積累猶止まず。矛楯の機、既に顕はれ候。さ候へば、謙信公、義信を養子になされ、取立てまし{{く}}候に於ては、梅雪連れて、城後へ相越ゆべく、信玄家中にも、宗徒の者四五人も、義信を引き申す輩御座候間、更科より御取続け、信州は大方御手に入り申すべく候か。是れ多年御願望の由候。義清を本地へ仕居ゑ給ふ計策の御調達なりとの口達なり」}} 取り消し
  • 最新 11:062023年12月3日 (日) 11:06P9iKC7B1SaKk 会話 投稿記録m 15,170バイト +481 →‎生涯: {{Wikisource|謙信記|3=謙信による義信評「謙信は歯噛をなして、年若なる者に仕懸けられ、殊更、我が勢油断致候事、我等一代の疵なりと、至極無念に存ぜられ候。流石は信玄が子とて、我等に仕懸けける。然れども義信、是を自慢に弓取らば、越度出来せん。信玄が如くしまり、違慮を主(むね)として弓取らば、能き大将となるべしと、申され候」の原文}} 取り消し
  • 最新 10:452023年12月3日 (日) 10:45P9iKC7B1SaKk 会話 投稿記録m 14,689バイト +319 →‎生涯: {{Wikisource|北越耆談|3=上杉方による義信評「此時武田義信の手柄、比類なき事なり。是を甲陽軍鑑の作者知らざるか、記し置かず。若武者の義信に逢ひて不覚を取る、一代の越度なりと、後々まで、無念に口惜がり申されつる由」の原文}} 取り消し

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