「山谷えり子」の版間の差分

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[[1973年]][[聖心女子大学]]文学部を卒業、[[出版社に]]入社、のち渡米。[[1985年]]3月[[サンケイリビング新聞]]編集長になる。テレビキャスター、エッセイスト。中央児童福祉審議会委員などを歴任。
[[1989年]]第[[15回参議院議員通常選挙]]の[[民社党]]比例候補。[[2000年]]6月の[[第42回衆議院議員総選挙]]に[[民主党 (1996-)|民主党]][[比例区]][[東海ブロック]]より出馬し初当選 。2002年12月、[[熊谷弘]]らとともに民主党を離党。[[保守新党]]結党し参加。[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]では東京4区から出馬し落選。[[2004年]]7月の[[第20回参議院議員通常選挙]]自民党より比例区に出馬し当選。2005年11月[内閣府]][[大臣政務官]]に就任。[[日本会議]]国会議員懇談会監事、[[神道政治連盟]]国会議員懇談会の副幹事長として首相の靖国神社参拝を求める運動を推進している。[[カトリック教会|カトリック]]信徒。
 
 
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父親は[[ニッポン放送]]で「お早うニッポン」を担当、「パーソナリティ」という言葉を日本で初めて使ったといわれる故・山谷親平(元[[福井新聞]]、産経新聞記者)。
 
[[ジェンダーフリー]]を排撃する運動をやっているため女性著名人では唯一[[永六輔]]に噛み付かれている事で知られている(?)。
 
 
== 関連項目 ==