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{{Infobox adult biography
'''ボブ・グッチョーネ'''([[:en:Bob Guccione|Bob Guccione]],[[1930年]][[12月17日]] - [[2010年]][[10月20日]])は、[[アメリカ]]の男性向けの月刊雑誌「[[ペントハウス (雑誌)|ペントハウス]]」誌のオーナー。
| name = ボブ・グッチョーネ
| native_name = Bob Guccione
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| birth_name = Robert Charles Joseph Edward Sabatini Guccione
| birth_date = {{Birth date|1930|12|17|mf=yes}}
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| occupation = 雑誌発行者
| known_for = 『[[ペントハウス (雑誌)|ペントハウス]]』誌創刊
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'''ボブ・グッチョーネ'''(Bob Guccione)こと'''ロバート・チャールズ・ジョセフ・エドワード・サバティーニ・グッチョーネ'''(Robert Charles Joseph Edward Sabatini Guccione({{IPAc-en|ɡ|uː|ˈ|tʃ|oʊ|n|i}} {{respell|goo|CHOH|nee}})、[[1930年]][[12月17日]] - [[2010年]][[10月20日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[写真家]]、雑誌発行者。1965年に成人向け雑誌『[[ペントハウス (雑誌)|ペントハウス]]』を創刊した人物。
 
『ペントハウス』は[[ヒュー・ヘフナー]]の『[[PLAYBOY|プレイボーイ]]』に対抗することを目的とし、『プレイボーイ』よりも極端なエロティックなコンテンツ、ソフトフォーカス写真の特別なスタイル、そして政府の汚職やスキャンダルの詳細な報道を特徴としていた。1982年には『[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]』誌の長者番付「[[フォーブス400]]」に掲載されるようになり、[[マンハッタン]]でも有数の豪邸を所有していた。しかし、奔放な投資の失敗と1990年代の無料のオンライン・ポルノの成長により、グッチョーネの市場シェアは大きく縮小した。2003年、グッチョーネの出版社は破産を申請し、グッチョーネは会長を辞任した。
長男の{{仮リンク|ボブ・グッチョーネJr.|en|Bob Guccione, Jr.}}は音楽雑誌[[スピン (雑誌)|スピン]]の創刊者である。
 
== 人物 若年期==
グッチョーネは[[ニューヨーク]]・[[ブルックリン区|ブルックリン]]のシチリア島出身のイタリア系移民の家に生まれ、[[ニュージャージー州]]{{仮リンク|バーゲンフィールド (ニュージャージー州)|en|Bergenfield, New Jersey|label=バーゲンフィールド}}でカトリック教徒として育った。父親のアンソニーは会計士で、母親のニーナは主婦だった。グッチョーネは聖職者になろうとしたが、拒絶された<ref name=NYTObit>McFadden, Robert D. (October 20, 2010). [https://www.nytimes.com/2010/10/21/business/media/21guccione.html "Bob Guccione, Penthouse Founder, Dies at 79"]. nytimes.com, October 21, 2010; accessed October 1, 2014.</ref>。グッチョーネは、ニュージャージー州{{仮リンク|ブレアスタウン (ニュージャージー州)|en|Blairstown, New Jersey|label=ブレアスタウン}}の[[予科]]学校、ブレアアカデミーに通っていた<ref>{{cite web|url=http://www.penthouse.com/exclusives/caligula/cast_and_crew.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20010124060000/http://www.penthouse.com/exclusives/caligula/cast_and_crew.html|archivedate=January 24, 2001|publisher=Penthouse|title=Caligula: Special 20th Anniversary - Cast and Crew of Caligula|quote="Coming from a conventional background--he was born in Brooklyn, raised in Bergenfield, New Jersey, and educated at Blair Academy -- Guccione became interested in less than conventional activities after he left school."|accessdate=2020-10-12}}</ref>。
もともとは画家志望だったが、留学先のイギリスで男性向け月刊誌「ペントハウス」を創刊、同誌は後にライバル誌の「[[PLAYBOY|プレイボーイ]]」を発行部数で追い抜くまでになった。
 
10代の頃に最初の妻リリアン・ベッカーと結婚し<ref name=NYTObit/>、娘を1人もうけたが結婚生活は上手く行かなかった。グッチョーネは妻子を残し、画家を目指してヨーロッパに渡った。ヨーロッパでイギリス人女性ミュリエル(Muriel)と出会い、ミュリエルと一緒にロンドンに移り住んで結婚した。2人の間には4人の子供がいた。
その後は映画製作に関心を移し、1980年には巨費を投じて豪華なキャスト、スタッフを起用したハード・ポルノ映画『[[カリギュラ (映画)|カリギュラ]]』を製作、ヒットを飛ばした。
 
家族を養うためにグッチョーネは[[コインランドリー]]のチェーン店を経営していたが、後にアメリカの週刊紙『ロンドン・アメリカン』で漫画家としての仕事を得、ミュリエルも[[ピンナップ]]のポスターを売るビジネスを始めた。また、{{仮リンク|スタジオ・カード|en|Studio cards|label=ボックス・カード}}のためにグリーティングカード用の漫画も描いた<ref name = Observer>Anthony Haden-Guest [https://www.theguardian.com/theobserver/2004/feb/01/features.magazine87 "Boom and Bust"], ''The Observer'', February 1, 2004.</ref><ref>Bob Guccione episode on ''[[E! True Hollywood Story]]''</ref><ref>[http://www.penthouse.com/exclusives/caligula/cast_and_crew.html Bob Guccione profile] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20010124060000/http://www.penthouse.com/exclusives/caligula/cast_and_crew.html |date=January 24, 2001 |accessdate=2020-10-12}}, penthouse.com; accessed September 20, 2007. "Coming from a conventional background--he was born in Brooklyn, raised in Bergenfield, New Jersey, and educated at Blair Academy — Guccione became interested in less than conventional activities after he left school."</ref>。
2010年10月20日、[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]][[ダラス]]郊外の[[プラーノ]]の病院で[[肺癌|肺がん]]のため死去<ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/person/news/20101021k0000e060046000c.html |title=訃報:ボブ・グッチョーネさん79歳=ペントハウス創刊者 |newspaper=mainichi.jp |publisher=毎日新聞社 |date=2010-10-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101025025857/http://mainichi.jp/select/person/news/20101021k0000e060046000c.html |archivedate=2010年10月25日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。{{没年齢|1930|12|17|2010|10|20}}。
 
== 脚註 キャリア==
グッチョーネは1965年にイギリスで、1969年に北米で『[[ペントハウス (雑誌)|ペントハウス]]』を創刊した。これは、[[ヒュー・ヘフナー]]の『[[PLAYBOY|プレイボーイ]]』に対抗しようとしたものだった。『プレイボーイ』は常にリベラルな傾向を持ち、[[公民権運動]]やその他の社会正義運動を支持していた。それに対しグッチョーネは、よりセンセーショナルな記事を提供し、他の男性誌よりもはるかに調査的に雑誌を執筆し、政府の隠蔽工作やスキャンダルについての記事も掲載した。クレイグ・S・カーペル、{{仮リンク|ジェームズ・デイル・デビッドソン|en|James Dale Davidson}}、アーネスト・ヴォルクマン、そして[[シーモア・ハーシュ]]などのライターは、アメリカ政府の数々のスキャンダルや汚職を暴露した。一方、『プレイボーイ』はある種の保守主義を維持し、アメリカの主流の消費者主義を拒絶するのではなく、それを受け入れた。『プレイボーイ』は、ヒュー・ヘフナーが熱中していたスポーツの取材に大々的に力を入れていたが、グッチョーネはスポーツには全く興味がなかったため『ペントハウス』でスポーツの結果やスポーツ選手を取り上げることはなく、その代わりにアートの世界を取材することを好んでいた。
{{Reflist}}
 
リソースがなかったため、グッチョーネは雑誌の創刊号に登場するモデルのほとんどを自分で撮影した<ref name=Observer/>。グッチョーネは、写真撮影の専門的な訓練を受けていなかったため、絵画の知識を写真撮影に応用した。その結果生まれた[[ソフトフォーカス]]の写真は、『ペントハウス』の特徴となった<ref name=2013NYPHomlish>{{cite news|last1=Erikson|first1=Chris|title=The woman behind the porn boss|url=https://nypost.com/2013/04/11/the-woman-behind-the-porn-boss/|website=NYPost.com|publisher=New York Post|accessdate=July 1, 2014|date=April 11, 2013}}</ref>。グッチョーネは、撮影が完了するまでに数日かかることもあった。
 
雑誌の成功により、グッチョーネは公然と贅沢な生活をするようになった。グッチョーネは[[マンハッタン]]の[[アッパー・イースト・サイド]]に2千平方メートルの豪邸を構えた。しかし、ヘフナーが{{仮リンク|プレイボーイ・マンション|en|Playboy Mansion}}で乱痴気騒ぎを繰り広げていたのとは対照的に、1970年代の[[性の革命]]の絶頂期にあっても、グッチョーネの豪邸での生活は驚くほど落ち着いていた<ref name=Observer/>。グッチョーネは、DJとして雇われていた地元のラジオパーソナリティをボディガードに追い出してもらい、裸でプールに飛び込んだこともあったと報じられている<ref name="Rolling Stone">[https://www.rollingstone.com/culture/news/17389/224042 "The Twilight of Bob Guccione"], rollingstone.com; accessed October 9, 2014.</ref>。
 
『ペントハウス』は当時一般的に販売されていた多くの男性誌よりも、より露骨な内容を提供していた。女性の陰毛を見せたのはこの雑誌が初めてで、その後、正面からの全裸、そして外陰部と肛門を露出したものがそれに続いた。1960年代の終わりまで、公に流通する出版物で女性の臀部や乳房以上のものを表示することは認められておらず、猥褻罪に問われる危険性があった。低予算の[[地下出版|アングラ雑誌]]のみが女性の性器や露骨なポーズを掲載していた。しかし、[[カウンターカルチャー]]運動により、性的態度がますます自由になり、一連の裁判所の判決により、ポルノに対する法的規制のほとんどが廃止された<ref name = Observer/>。また『ペントハウス』は、長年にわたり、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]や[[ヴァネッサ・ウィリアムス]]のような有名人の写真について、未承諾のものも掲載してきた。どちらの場合も、その写真はキャリアの早い時期に撮影され、マドンナやウィリアムズが有名になってから『ペントハウス』に販売されたものである。ウィリアムズの場合は、これが原因で[[ミス・アメリカ]]1984を一時強制的に辞退させられることになった。1990年代後半になると同誌は排尿、緊縛などのフェティッシュな内容をより多く掲載するようになった<ref name=Observer/>。
 
1970年代初頭、グッチョーネは[[ユーゴスラビア]]の[[アドリア海]]沿岸の{{仮リンク|マリンスカ|en|Malinska}}の北の[[クルク島]]にある高級ホテルリゾート、[[ハルドヴォ・パレス・ホテル]]内のカジノの開設に約4500万ドルを投資し、さらに広告に50万ドルを投資した。ユーゴスラビアは名目上は[[共産主義]]国であるにもかかわらず、外国からの投資を奨励していた。ホテルはユーゴスラビアの建築家{{仮リンク|ボリス・マガシュ|en|Boris Magaš}}によって設計され、1972年に正式にオープンした。カジノのスタッフには約50人の[[ペントハウス・ペット]]を含み、ホテルにはイラクの[[サダム・フセイン]]元大統領も宿泊した。だが、このカジノはオープン翌年には倒産してしまった<ref>http://www.blic.rs/vesti/reportaza/uspon-i-pad-jugoslovenskog-hotela-mira-i-pornografije-od-bazena-punjenih-sampanjcem/vvet61s Blic: "Uspon i pad jugoslovenskog hotela mira i pornografije: Od bazena punjenih šampanjcem do ruine", accessed at 27-03-17 (in Serbian)</ref><ref>http://hotelijeri.com/hotel-haludovo-palas-najraskosniji-hotelski-kompleks-bivse-jugoslavije/ Hotelijeri: "Hotel Haludovo Palas – najraskošniji hotelski kompleks bivše Jugoslavije", accessed at 27-03-17 (in Serbian)</ref>。
 
1976年、グッチョーネは個人的な財産約1,750万ドルを使ってポルノ映画『[[カリギュラ (映画)|カリギュラ]]』の制作を開始した。[[マルコム・マクダウェル]]、[[ヘレン・ミレン]]、[[ジョン・ギールグッド]]、[[ピーター・オトゥール]]といった豪華なキャストを起用し、イタリアのポルノ映画界の巨匠・[[ティント・ブラス]]が監督を務めた。1979年に公開され、大ヒットを記録した。
 
また、グッチョーネは雑誌『[[オムニ (雑誌)|オムニ]]』『{{仮リンク|ビバ (雑誌)|en|Viva (magazine)|label=ビバ}}』『ロングライフ』も創刊した<ref name = Observer/>。後にアメリカ版『[[ヴォーグ (雑誌)|ヴォーグ]]』の編集長となる[[アナ・ウィンター]]の編集者としての最初の仕事は、『ビバ』のファッションエディターだった。
 
さらに、文章を中心とした『{{仮リンク|ペントハウス・フォーラム|en|Penthouse Forum}}』を創刊した。2000年代初頭には、性的に露骨なストーリーが特徴の[[コミック・ブック]]『{{仮リンク|ペントハウス・コミックス|en|Penthouse Comix}}』を創刊したが、短命に終わった。
 
1982年、グッチョーネは『[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]』の長者番付「[[フォーブス400]]」に掲載され、その純資産額は4億ドルと報告された<ref>Munk, Nina (September 25, 2005).[https://www.nytimes.com/2005/09/25/business/yourmoney/25trail.html?ei=5090&en=77b8995bfdcfff3c&ex=1285300800&adxnnl=1&partner=rssuserland&emc=rss&pagewanted=print&adxnnlx=1170651846-aAbtNROzyxQPjdoeXOpasA "Don't Blink. You'll Miss the 258th-Richest American"]. ''The New York Times''.</ref>。2002年4月の『[[ニューヨーク・タイムズ]]』の記事によると、『ペントハウス』は30年間で35億ドルから40億ドルの収益を上げ、純利益は5億ドル近くになったとグッチョーネは述べている<ref>Carr, David (April 8, 2002). [https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C02E2D7153DF93BA35757C0A9649C8B63 "Cybersmut and Debt Undermine Penthouse"], ''The New York Times''; accessed October 9, 2014.</ref>。
 
===賞と栄誉===
グッチョーネの論説は、学術分野の一部で賞賛され認められた。例えば、1975年には「[[ベトナム帰還兵]]の福祉や現代社会における犯罪の問題など現代の重要な問題に編集上の注意を向けたこと」が評価され、[[ブランダイス大学]]から表彰された<ref>{{cite news|title=Bob Guccione Obituary |url=http://penthouseforum.com/2011/01/in-memoriam-bob-guccione-1930-2010 |newspaper=Penthouse Forum |accessdate=October 9, 2014 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140701120546/http://penthouseforum.com/2011/01/in-memoriam-bob-guccione-1930-2010/ |archivedate=July 1, 2014 }}</ref>。
 
2013年、{{仮リンク|バリー・アヴリッチ|en|Barry Avrich}}はグッチョーネの人生を描いたドキュメンタリー映画''[[:en:Filthy Gorgeous: The Bob Guccione Story|Filthy Gorgeous: The Bob Guccione Story]]''(卑猥で豪華: ボブ・グッチョーネの物語)を製作した。この映画は2013年9月9日に[[トロント国際映画祭]]でプレミア上映された<ref name=CPAug2013>{{cite news|url=http://www.ctvnews.ca/entertainment/tiff-documentary-explores-life-of-penthouse-founder-bob-guccione-1.1435111|title=TIFF: Documentary explores life of Penthouse founder Bob Guccione|date=August 31, 2013|first=Victoria|last=Ahearn|publisher=[[The Canadian Press]]/[[CTV News]]|accessdate=August 31, 2013}}</ref>。その後、2013年11月にカナダとアメリカでテレビ放映された<ref>{{cite news|url=http://realscreen.com/2013/08/30/epix-to-premiere-filthy-gorgeous-in-november|title=Epix to premiere "Filthy Gorgeous" in November|first=Adam|last=Benzine|date=August 30, 2013|publisher=Realscreen|accessdate=August 31, 2013}}</ref>。
 
===衰退と辞任===
1億6千万ドルの損失を出した{{仮リンク|ペントハウス・ボードウォーク・ホテル・アンド・カジノ|en|Penthouse Boardwalk Hotel and Casino}}<ref name=Observer/>や建設されなかった[[核融合発電]]所など、グッチョーネの投資は失敗に終わり、出版社の財政難に拍車をかけることになった<ref name=autogenerated1>[https://www.rollingstone.com/culture/news/17389/224042 ''Rolling Stone'', "The Twilight of Bob Guccione"]; accessed October 20, 2010.</ref>。[[モニカ・ルインスキー]]に雑誌のためにポーズを取らせようとしたり(1998年の[[サタデー・ナイト・ライブ]]のスケッチでパロディ化された<ref>[http://snl.jt.org/detail.php?i=6422 ''Saturday Night Live'' website] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20051205211517/http://snl.jt.org/detail.php?i=6422 |date=December 5, 2005 }}</ref>)、[[セオドア・カジンスキー|ユナボマー]]に無料のフォーラムを提供したりといったことで悪評を集めた。グッチョーネは汚名を払拭し売上を回復させようと努力したが、読者増にはつながらなかった。1990年代後半には、オンライン・ポルノ(多くの場合無料)にアクセスできるようになったため、『ペントハウス』の発行部数はさらに減少した。
 
2003年、『ペントハウス』の出版元であるゼネラル・メディア社は[[破産]]を申請した。グッチョーネもペントハウス・インターナショナル社の取締役会長兼CEOを辞任した。ゼネラル・メディア社の親会社である{{仮リンク|フレンドファインダー・ネットワーク|en|Friend Finder Networks}}も、2013年9月17日に破産を申請した<ref>{{cite news|title=Penthouse magazine owner files for bankruptcy|url=https://www.latimes.com/business/money/la-fi-mo-penthouse-magazine-owner-files-for-bankruptcy,0,581995.story|publisher=LA Times|accessdate=18 September 2013|first=Stuart|last=Pfeifer|date=September 17, 2013}}</ref>。これらの会社は2013年12月に3億ドルの負債を解消し、破産保護から脱却した。再編の一環として株式は上場廃止された<ref>{{cite web|url=https://ca.finance.yahoo.com/news/friendfinder-networks-announces-effective-date-120000577.html |title=Archived copy |accessdate=2014-09-19 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20141006161241/https://ca.finance.yahoo.com/news/friendfinder-networks-announces-effective-date-120000577.html |archivedate=2014-10-06 }}</ref>。『ペントハウス』の発行は継続されている<ref>[http://www.businessweek.com/articles/2013-09-18/when-sex-doesnt-sell-friendfinder-networks-files-for-bankruptcy Guccione files for bankruptcy], businessweek.com, September 18, 2013; accessed October 9, 2014.</ref>。
 
===その他の業績===
1974年の映画『[[チャイナタウン (映画)|チャイナタウン]]』や1975年の映画『[[イナゴの日]]』に、グッチョーネは出資した<ref>Bosworth, Patricia. [https://www.vanityfair.com/culture/features/2005/02/guccione200502?currentPage=4 "The X-Rated Emperor"]. ''[[Vanity Fair (magazine)|Vanity Fair]]''. February 2005; accessed October 9, 2014.</ref>。
 
==私生活==
===家族===
グッチョーネの長男の{{仮リンク|ボブ・グッチョーネ・ジュニア|en|Bob Guccione Jr.}}(1955年生)は音楽誌『[[スピン (雑誌)|スピン]]』を創刊し編集長を務めたが、すぐに編集方針を巡って父と対立し、最終的には息子が独自に投資家を見つけて雑誌の資金調達を継続した。以来、父と息子は疎遠になったままだったが、2010年の父の死の前に和解したと報じられている<ref>{{cite news|publisher=Rolling Stone|date=2004-04-01|page=58|title=The twilight of Bob Guccione|author=John Colapinto|author-link= John Colapinto}}</ref>。
 
===結婚===
グッチョーネは4回結婚している。最初に10代のときにリリアン・ベッカー(Lilyanne Becker)と結婚した。その後 1966年にミュリエル・ハドソン(Muriel Hudson)と結婚し、ボブ・ジュニアを始め4人の子をもうけたが、1979年に離婚した。
 
1965年にロンドンで南アフリカ出身の[[キャシー・キートン]](Kathy Keeton)と出会い、雑誌編集者として長年に渡る協力者となった。1988年にキャシーと結婚し、グッチョーネにとっては3度目の結婚となったが、1999年に手術の合併症により58歳で亡くなった<ref>{{cite news|url=https://www.nytimes.com/1997/09/23/business/kathy-keeton-guccione-58-president-of-magazine-company.html|work=The New York Times|first=Robin|last=Pogrebin|title=Kathy Keeton Guccione, 58, President of Magazine Company|date=September 23, 1997}}</ref>。
 
キャシーは死の数ヶ月前にエイプリル・ドーン・ウォーレン(April Dawn Warren)という元モデルと親しくなり、ウォーレンがキャシーによって選ばれた後継者であると噂された<ref name="RS2010">[https://www.rollingstone.com/culture/news/the-twilight-of-bob-guccione-20101021?page=5 The Twilight of Bob Guccione|Rolling Stone Culture], October 21, 2010; accessed October 1, 2014.</ref>。長い婚約期間を経て、グッチョーネは2006年にウォーレンと結婚した。
 
グッチョーネはキャシーの死後も『ペントハウス』の{{仮リンク|マストヘッド|en|Masthead (American publishing)}}にキャシー・キートンの名前を社長として掲載し続けたが、ウォーレンが10年間同誌のクリエイティブ・ディレクターを務めた後、マストヘッドにウォーレンの名を加えた。グッチョーネは2010年に79歳で亡くなるまで、ウォーレンとともに回想集''Good to Know''に取り組んでいた<ref>{{cite news|url=http://www.nypost.com/p/pagesix/guccione_and_april_thriving_q5KPpBsFp1s7N1OfQyit3O|work=New York Post|title=Guccione and April thriving|date=July 5, 2010|accessdate=October 9, 2014}}</ref>。
 
===邸宅===
グッチョーネはフランスとイタリアから職人を呼び寄せ、マンハッタンの[[アッパー・イースト・サイド]]に、マンハッタン最大の私邸を建設した。邸宅の入口の大理石の柱には、グッチョーネと妻の顔が掘られていた。『[[ニューヨーク・マガジン]]』は「マンハッタン最大級の私邸で、部屋数は30室、維持費は年間500万ドルかかる」と報じた<ref name=PornKingWinter>Haden-Guest, Anthony (February 9, 2004). [https://nymag.com/nymetro/news/media/features/n_9815/#ixzz0ZQmp3nh5 "The Porn King in Winter"], nymag.com; accessed October 1, 2014.</ref>。
 
2003年11月、この邸宅は抵当権者であるニュージャージー州のケネディ・ファンディングと、数十億ドル規模のヘッジファンド、{{仮リンク|エリオット・アソシエイツ|en|Elliott Management Corporation}}の関連会社によって差し押さえられた<ref>''[[Real Estate Weekly]]'', [http://findarticles.com/p/articles/mi_m3601/is_46_50/ai_n6149872 "Kennedy's funds get around"], June 23, 2004; accessed October 1, 2014.</ref>。2004年1月、立ち退きの際に投資家グループがグッチョーネを支援した。ロンドンに拠点を置く投資家のジェイソン・ガラニス(Jason Galanis)が投資グループを率いて、この物件を現金2650万ドルで購入した<ref>[http://www.adult-dvd-x.com/adult_news/3885/ibill-settles-with-penthouse-founder-guccione.html "IBill Settles With Penthouse Founder Guccione"] {{webarchive |url=https://web.archive.org/web/20080117173544/http://www.adult-dvd-x.com/adult_news/3885/ibill-settles-with-penthouse-founder-guccione.html |date=January 17, 2008 }}, adult-dvd-x.com, May 19, 2006; accessed October 9, 2014.</ref><ref>[http://realestalker.blogspot.com/2007/02/house-that-porn-bought-udate.html "The House that Porn Built"], February 2007; accessed October 1, 2014.</ref><ref>Dash Hamilton.[http://www.spamdailynews.com/publish/printer_Porn_biller_denies_data_leak.asp "I Bill, You Bill, We All Scream for iBill: Is the check finally in the mail?"], ''Spam Daily News'', September 1, 2005; accessed October 1, 2014.</ref> 。豪邸を購入したのは、豪邸の取得のために設立されたNYリアルエステートLLCだった。ガラニスは260万ドルを拠出し、ニューヨークのヘッジファンド2社、ローラス・ファンドとアレクサンドル・アセット・マネジメントが、ゼネラル・メディアの親会社であり債務者でもあるペントハウス・インターナショナルが所有するNYリアル・エステートLLCに2400万ドルの住宅ローンを組んだ。
 
破産をめぐる訴訟が1年以上にわたって続いた結果、ローラス社への約束手形は技術的な契約違反とみなされ、800万ドルを超える厳しい罰金が課せられた。ペントハウス・インターナショナルは、違約金とグッチョーネに付与された年間1.00ドルの終身リースのために、この物件を市場に出すことができなくなり、借り換えを見送ることを選択した。ローラス社は、家の所有権を奪うためにグッチョーネを訴えた<ref>[http://southflorida.bizjournals.com/southflorida/stories/2006/02/27/story3.html ''South Florida Business Journal'', "Penthouse owner sued by Guccione", February 24, 2006; accessed October 9, 2014.]</ref>。この物件は、希望価格の5900万ドルを大幅に下回る4900万ドルで、ウォール街の投資家{{仮リンク|フィリップ・ファルコーネ|en|Philip Falcone}}に売却されたと報じられている<ref>{{cite news|url=http://www.nypost.com/seven/03052008/news/regionalnews/the_49m_town_house_100518.htm |work=New York Post |title=The $49M Town House |first=Braden |last=Keil |date=March 5, 2008 |accessdate=October 9, 2014 |url-status=dead |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090821064827/http://www.nypost.com/seven/03052008/news/regionalnews/the_49m_town_house_100518.htm |archivedate=August 21, 2009 }}</ref>。
 
グッチョーネはニューヨークのスタッツバーグにあるカントリーハウス(現在は{{仮リンク|ローカスト・オン・ハドソン|en|Locusts on Hudson}}として知られている。)を売却せざるを得なかった。その屋敷は、女優の[[ユマ・サーマン]]とホテル経営者の{{仮リンク|アンドレ・バラッツ|en|André Balazs}}が購入した<ref>Tuman, Diane (October 21, 2010). [http://www.zillow.com/blog/2010-10-21/not-just-porn-for-bob-guccione-real-estate-porn-too "Not Just Porn for Bob Guccione: Real Estate Porn, Too"], zillow.com; accessed October 9, 2014.</ref>。グッチョーネが所有していた、[[ハドソン川]]沿いの75エーカーの敷地にある15室のバロック様式の漆喰の邸宅も差し押さえられ、400万ドルで売却された<ref>Schiffman, Betty. [https://www.forbes.com/2004/08/27/cx_bs_0827movers.html Bob Guccione sells off real estate ownings], forbes.com, August 27, 2004; accessed October 22, 2010.</ref>。
 
===美術===
グッチョーネは画家でもあり、その作品は{{仮リンク|ナッソー郡美術館|en|Nassau County Museum of Art}}や{{仮リンク|バトラー・アメリカンアート美術館|en|Butler Institute of American Art}}で初公開された。彼の作品は現在もボルギ・ファイン・アート・ギャラリーに展示されており、{{仮リンク|POBA|en|POBA}}のオンラインコレクションでも紹介されている<ref>[https://poba.org/poba_portfolios/bob-guccione/ POBA: Where the Arts Live, Bob Guccione] from Shareholder.com</ref>。
 
グッチョーネは世界的に有名な美術品コレクターである<ref>Marks, Peter (February 18, 1994). [https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D01E2D6173BF93BA25751C0A962958260 "From Bob Guccione, an Exhibition in Shocking Good Taste"], ''The New York Times''; accessed October 9, 2014.</ref>。グッチョーネのコレクションの目玉は、[[アメデオ・モディリアーニ]]の肖像画や、[[パブロ・ピカソ]]による息子パウロを描いた肖像画などである。
 
グッチョーネの美術品コレクションは、[[アトランティックシティ]]のカジノの事業で発生したグッチョーネの個人的な負債を返済するために、2002年11月に[[サザビーズ]]のオークションで売却された<ref>[http://www.shareholder.com/bid/news/20021001-91333.cfm Sotheby's Auction] from Shareholder.com</ref>。このコレクションは、その2年前に[[クリスティーズ]]によって総額5,900万ドルと査定されていた。しかし、[[アメリカ同時多発テロ事件]]の影響で美術品市場が落ち込み、売却総額は査定を大きく下回る1,900万ドルとなった。これは貸主である[[スイス・リー]](スイス再保険会社)への支払いに充てられた。スイス・リーは、負債の返済が400万ドル不足しているとして、ニューヨーク州裁判所にグッチョーネを提訴した。
 
グッチョーネの美術品、写真、記念品などの残りの個人コレクションの多くは、2012年初頭に起業家の{{仮リンク|ジェレミー・フロマー|en|Jeremy Frommer}}によって買収された<ref name="New York Post - Page Six">{{cite news|title=Bob Guccione's Penthouse Secrets Bared|url=http://www.nypost.com/p/pagesix/penthouse_secrets_bared_CHSrxmM28GIVscDbKM7C6H|work=New York Post|accessdate=30 January 2013|date=January 28, 2013}}</ref>。このコレクションには、60点以上のグッチョーネの油絵のほかにもアーサー・カミングス、ビル・リー、[[スーズ・ランドール]]、アール・ミラー、{{仮リンク|バース・ミルトン・シニア|en|Berth Milton Sr.}}などのアーティストによるオリジナルのイラストや写真が含まれていた。コレクションの目玉は、60年代、70年代、80年代を通してグッチョーネが自ら撮影した25万枚の写真である<ref>{{cite web|title=INTRODUCING THE GUCCIONE ARCHIVES ISSUE|url=https://www.vice.com/read/introducing-the-guccione-archives-issue|website=Vice Magazine|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130915054433/https://www.vice.com/read/introducing-the-guccione-archives-issue|archivedate=2013-09-15|accessdate=2020-10-12}}</ref>。フロマーが入手した品々は、フロマーの会社であるJerrick Ventures LLCが2013年6月に開設したウェブサイト「Filthy Gorgeous Media」を制作するきっかけとなった<ref>{{cite web|url=http://www.filthygorgeousmedia.com|title=Filthy Gorgeous|accessdate=2013-12-27|last=Frommer|first=Jeremy|authorlink=Jeremy Frommer|date=2013-06-15|publisher=Jerrick Ventures}}</ref>。
 
===死去===
2004年にグッチョーネは[[咽頭癌]]の手術を受けた<ref name=PornKingWinter/>。その後、グッチョーネは末期の[[肺癌]]と診断され<ref name="MSNBC">Wallace, Terry (October 20, 2010). [https://web.archive.org/web/20121213205049/http://today.msnbc.msn.com/id/39770106/ns/today-entertainment/t/penthouse-magazines-guccione-dies-age#.T6VwH78sFL0 "Penthouse magazine's Guccione dies at age 79"]. [[MSNBC]]/''[[Today (NBC program)|Today]]''; accessed October 9, 2014.</ref>、80歳の誕生日の2か月前の[[2010年]][[10月20日]]、[[テキサス州]][[プレイノ]]の病院で妻のエイプリルに看取られながら息を引き取った<ref name="NYTObit"/><ref name="MSNBC"/><ref>{{YouTube|Oxh6RfgpehM|"Bob Guccione dies"}}. October 21, 2010. Retrieved May 5, 2012.</ref><ref>{{Cite news |url=http://mainichi.jp/select/person/news/20101021k0000e060046000c.html |title=訃報:ボブ・グッチョーネさん79歳=ペントハウス創刊者 |newspaper=mainichi.jp |publisher=毎日新聞社 |date=2010-10-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101025025857/http://mainichi.jp/select/person/news/20101021k0000e060046000c.html |archivedate=2010年10月25日 |deadurldate=2017年9月 }}</ref>。
 
==脚注==
{{reflist|30em}}
 
== 関連項目 ==
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* [[PLAYBOY|プレイボーイ]]
 
==外部リンク==
{{people-stub}}
* [https://archive.is/20130216043816/http://guccionecollection.com/ Bob Guccione profile]; accessed October 9, 2014.
{{DEFAULTSORT:くつちよね ほふ}}
* [https://archive.today/20130102053520/http://www.biography.com/search/article.do?id=273678&page=1 Bob Guccione biography], biography.com; accessed October 9, 2014.
* [https://www.forbes.com/maserati/billionaires2004/cx_bs_1010home.html Most Expensive Homes In America 2003], forbes.com; accessed October 9, 2014.
* [http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/uk/2000/newsmakers/1926516.stm Bob Guccione: Penthouse king laid low], bbc.co.uk; accessed October 9, 2014.
* {{findagrave|60388164}}
* {{AllMovie name|92793}}
* {{IMDb name|0345579|Bob Guccione}}
* {{Afdb name|id=926|gender=male|name=Bob Guccione}}
 
{{Authority control}}
{{DEFAULTSORT:くつちよおね ほふ}}
[[Category:1930年生]]
[[Category:2010年没]]
[[Category:アメリカ合衆国の実業家]]
[[Category:アメリカ合衆国の雑誌編集者]]
[[Category:イタリア系アメリカ人]]
[[Category:アメリカ合衆国の映画プロデューサー]]
[[Category:ニューヨーク市出身の人物]]
[[Category:肺癌で亡くなった人物]]
[[Category:1930年生]]
[[Category:2010年没]]