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{{馬齢旧}}
{{競走馬
|名 = ラッキールーラ
|画=no
|性 = [[牡馬|牡]]<ref name="jbis" />
|色 = [[黒鹿毛]]<ref name="jbis" />
|種 = [[サラブレッド]]<ref name="jbis" />
|生 = [[1974年]][[2月22日]]<ref name="jbis" />
|死 = [[1991年]][[5月12日]]
|父 = ステューペンダス<ref name="jbis" />
|母 = [[トースト (競走馬)|トースト]]<ref name="jbis" />
|母父 = [[ハクリヨウ]]<ref name="jbis" />
|産 = [[高橋農場 (北海道伊達市)|高橋農場]]<ref name="jbis" />
|国 = {{JPN}}
|主 = [[吉原貞敏]]<ref name="jbis" />
|調 = [[尾形藤吉]]<ref name="jbis" />([[東京競馬場|東京]])
|績 = 24戦6勝<ref name="jbis" />
|金 = 1億5350万
|medaltemplates={{medal八大競走|[[東京優駿]]|1977年}}{{medal重賞|[[弥生賞]]|1977年}}|英=Lucky Ruler<ref name="jbis" />
}}
'''ラッキールーラ'''(欧字名:{{Lang|en|Lucky Ruler}}、[[1974年]][[2月22日]] - [[1991年]][[5月12日]])は、[[日本
主な勝ち鞍は、[[1977年]]の[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]、[[弥生賞]]。
== 生涯 ==
=== デビューまで ===
[[トースト (競走馬)|トースト]]は、桜花賞、[[天皇賞 #天皇賞 (秋)|天皇賞(秋)]]、[[有馬記念]]で2着。[[中山金杯|金杯(東)]]・[[中山記念]]・[[アルゼンチン共和国杯|アルゼンチンジョッキークラブカップ]]・[[毎日王冠]]を優勝するなど、39戦17勝の成績で繁殖牝馬となり、1966年に初仔を生産した<ref>{{Cite web|title=トースト|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000006553/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref><ref>{{Cite web|title=繁殖牝馬情報:牝系情報|トースト|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000006553/broodmare/info/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>。それから1973年の配合相手は、イギリスからの輸入初年度であるステューペンダスが選ばれた<ref name="優駿-1988-2-20">『優駿』1988年2月号 20頁</ref>。
ステューペンダスは、[[ボールドルーラー]]を父に持つ[[1963年]]生まれの[[アメリカ合衆国|アメリカ]]産馬で、[[1966年]]に[[プリークネスステークス]]で2着になっている。[[1968年]]から[[イギリス]]で[[種牡馬]]として供用され、1973年に日本に輸入された<ref name="優駿-1988-2-20" />。
[[1974年]][[2月22日]]、[[北海道]][[伊達市 (北海道)|伊達市]]の[[高橋農場 (北海道伊達市)|高橋農場]]で黒鹿毛の牡馬(後のラッキールーラ)が誕生する<ref name="優駿-1988-2-20" />。早生まれで大きく育った仔は牧場で評判が高く、病気せず健康であった<ref name="優駿-1988-2-20" />。早くから[[尾形藤吉]]調教師が注目しており、尾形が[[東京鐵鋼]]社長の[[吉原貞敏]]を紹介し、吉原が800万円購入した<ref name="優駿-1988-2-21">『優駿』1988年2月号 21頁</ref>
仔に競走馬名を与えるにあたり尾形は、吉原がこれまで[[冠名]]として使用していた本業の鉄鋼業に関連する「アイアン」を「アイアンという名はどうも重すぎますよ<ref name="優駿-1988-2-21" />」として敬遠した。そこで代わりに、吉原の「'''吉'''」から「'''ラッキー'''」を連想<ref name="優駿-1988-2-21" />。そして仔の祖父、かつステューペンダスの父であるボールドルーラーから「'''ルーラー'''」を抽出して組み合わせ「'''ラッキールーラー'''」、さらに[[ラッキーセブン]]を考慮して下の長音符を省き7文字の「'''ラッキールーラ'''」と命名された<ref name="優駿-1988-2-21" />。[[1975年]][[11月]]に[[東京競馬場]]の尾形藤吉厩舎に入厩した<ref name="優駿-1988-2-21" />。デビュー前の調教では、ダートコースで好タイムを記録し「尾形の一番馬<ref name="優駿-1988-2-21" />」と評判を集めた。
=== 競走馬時代 ===
==== 3-4歳(1976-77年) ====
1976年6月の[[札幌競馬場]]でデビューを予定していたが、身体が大きいことから先送りとなった<ref name="優駿-1988-2-21" />。8月15日、[[函館競馬場]]の[[新馬|新馬戦]]でデビュー、[[伊藤正徳 (競馬)|伊藤正徳]]が騎乗し3着、続く2戦目の新馬戦も2着に敗れた<ref name="優駿-1988-2-21" />。10月の[[中山競馬場]]の未勝利戦で初勝利、続く白菊賞は[[カネミノブ]]に敗れて2着となったが、さざんか賞で2勝目、ひいらぎ賞は[[プレストウコウ]]に敗れて2着となった<ref name="優駿-1988-2-21" />。
4歳となった1977年、1月の[[京成杯]]2着、2月の[[東京4歳ステークス]]4着とどちらも[[ヒシスピード]]に敗れた。3月の[[弥生賞]]では初めて[[拍車]]を装着して出走、5番人気に支持された。逃げの手に出て、カネミノブやプレストウコウを退けて優勝。弥生賞レコードでの重賞初制覇となった<ref name="優駿-1988-2-21" />。[[皐月賞]]は、4番人気で出走。逃げて先頭で直線に進入したが、[[ハードバージ]]が内からかわされ、それから2馬身半差をつけられた2着に敗れた<ref name="優駿-1988-2-21" />。伊藤は「ゴールまであと600メートル地点では勝てると思ったが、外からくる馬にばかり気を遣っていたら[[福永洋一|(福永)洋一]]の馬に内を衝かれた。じわじわくる馬には強いが、一気にこられてなす術がありませんでした。(カッコ内補足加筆者)<ref name="優駿-1988-2-21" />」と回顧している。続く[[東京優駿]]に向けて、[[トライアル競走]]の[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]に1番人気で出走し、先行したもののプレストウコウとそのほか2頭に交わされ4着に敗れた<ref name="優駿-1988-2-22">『優駿』1988年2月号 22頁</ref>。
5月29日、[[東京優駿]](日本ダービー)に出走。28頭立て7枠24番という外枠からの発走となり、単勝9番人気の支持であった<ref name="優駿-1988-2-22" />。発走直後に先頭に立ったが、大外枠のワールドサバンナにハナを奪われ2番手で進んだ<ref name="優駿-1988-2-23">『優駿』1988年2月号 23頁</ref>。最終コーナーにかけてワールドサバンナとの差を縮め、直線では内から位置を上げたカネミノブと並び、先頭争いとなった<ref name="優駿-1988-2-23" />。やがてカネミノブを下したが、外から1番人気のハードバージが迫り、ラッキールーラに並びかけたところで決勝線を通過した<ref name="優駿-1988-2-23" />。直後にハードバージの[[伊藤雄二]]調教師が勝利を確信していたが、写真判定の結果、ラッキールーラのアタマ差先着が認められた<ref name="優駿-1988-2-23" />。
尾形は、14年ぶりの東京優駿制覇であり、[[フレーモア]](1934年)[[トクマサ]](1936年)[[クリフジ]](1943年)[[クリノハナ]](1952年)[[ハクチカラ]](1956年)[[ハクシヨウ (1958年生)|ハクショウ]](1961年)[[メイズイ]](1963年)に続いて8勝目<ref name="優駿-1988-2-23" />。また伊藤は父伊藤正四郎が[[トクマサ]](1936年)で制しており、親子制覇となった<ref name="優駿-1988-2-23" />。その後は、夏休みを東京競馬場の厩舎で過ごした<ref name="優駿-1988-2-23" />。
秋は10月、中山競馬場の[[オープン競走]]で始動。逃げ切り勝ちし、その3日後に関西に遠征した<ref name="優駿-1988-2-24">『優駿』1988年2月号 24頁</ref>。[[菊花賞]]の前哨戦とした[[京都新聞杯]]は、[[単枠指定制度]]の対象となり1番人気で出走。逃げに出たが、プレストウコウにかわされ1馬身半差の2着<ref name="優駿-1988-2-24" />。目標の菊花賞は追い切りの内容がよかったことも手伝って1番人気で出走した。ハイペースの2番手につけたこともあり、直線では全く伸びず15着に敗れた<ref name="優駿-1988-2-24" />。伊藤は「僕の騎乗ミスだったのかな<ref name="優駿-1988-2-24" />」と振り返る一方、尾形は「(伊藤)正徳に責任はない。結果論かもしれんが、長距離向きではなかった。2400メートルまでの馬だったんですな<ref name="優駿-1988-2-24" />」としている。
12月に入って、左前脚に深管骨瘤を発症<ref name="優駿-1988-2-24" />。長期の戦線離脱となり、[[福島県]][[いわき市]]の[[JRA競走馬総合研究所|JRA競走馬総合研究所常盤支所]]にある「馬の温泉」や北海道[[早来町]]の[[吉田牧場 (北海道)|吉田牧場]]で快復を図った<ref name="優駿-1988-2-24" />。
====
2年間の休養を経て、1979年、6歳12月の中山競馬場で復帰したが最下位<ref name="優駿-1988-2-24" />。1980年、7歳でも現役を続行し、1月から5月にかけて4戦4敗。6月の札幌日経賞では、[[プリテイキャスト]]等相手に逃げ切り、32か月ぶりの勝利となった<ref name="優駿-1988-2-24" />。尾形は、[[天皇賞(秋)]]から[[有馬記念]]に進み、年末に引退すると宣言した<ref name="優駿-1988-2-24" />。しかし、その後は[[札幌記念]]9着、巴賞、[[函館記念]]では連続最下位となり、計画を前倒しして競走馬を引退した<ref name="優駿-1988-2-24" />。[[11月30日]]に中山競馬場にて[[引退式]]が行われた<ref name="優駿-1988-2-24" />。
=== 引退後 ===
引退後は[[日本中央競馬会]]が4500万円で買い上げ、[[日本軽種馬協会]]へ寄贈。[[1981年]]から[[胆振総合振興局|胆振]]種馬場で[[種牡馬]]として供用された<ref name="優駿-1988-2-24" />。馬体重が700kgを越えて、小柄な牝馬の相手が耐えられないこともあった<ref name="優駿-1988-2-25">『優駿』1988年2月号 25頁</ref>。さらにペニスが大きく、射精に至るまでの時間が長いことから、スムーズな種付けすることができなかった<ref name="優駿-1988-2-25" />。[[1986年]]には種付け5頭まで落ち込んだが、[[1987年]]にトチノルーラーが[[きさらぎ賞]]を制し、種付け頭数は39頭まで回復、種付け料も15万円から20万円に値上げした<ref name="優駿-1988-2-25" />。
[[1990年]]、プレストウコウ、[[カツトップエース]]、[[ヤマノスキー]]とともに、所有者の好意で[[大韓民国|韓国]]に輸出され、ソウル郊外の韓国馬事会種馬牧場に繋養された<ref>『優駿』1991年2月号 58-59頁</ref>。[[1991年]][[5月12日]]に事故により死去。残した僅か4頭の産駒の中から[[1996年]]-[[1997年]]韓国最優秀[[内国産馬]]の[[タンディチェイル]](当代第一)を送り出した。
== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=ラッキールーラの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/1974103455/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-08-30|language=ja}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:年度別累計成績/主な成績|ラツキールーラ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000069494/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>、『優駿』1988年2月号<ref>『優駿』1988年2月号 20-25頁</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
!競走日
!競馬場
!競走名
!格
!距離
(馬場)
!頭
数
!枠
番
!馬
番
!オッズ
(人気)
!着順
!タイム
!騎手
!斤量
[kg]
!1着馬
(2着馬)
|-
|[[1976年|1976]].{{0}}[[8月15日|8.15]]
|[[函館競馬場|函館]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|芝1000m(良)
|7
|5
|5
|{{00}}9.1(2人)
|{{Color|darkgreen|{{0}}3着}}
|1:01.1
|{{0}}[[伊藤正徳 (競馬)|伊藤正徳]]
|52
|シロバトミラ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月29日|8.29]]
|函館
|3歳新馬
|
|芝1000m(良)
|6
|3
|3
|{{00}}7.9(3人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:00.1
|{{0}}伊藤正徳
|52
|ユーグランド
|-
|{{0|0000.}}[[10月9日|10.{{0}}9]]
|[[中山競馬場|中山]]
|3歳未勝利
|
|芝1200m(良)
|5
|3
|3
|{{00}}1.8(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:11.1
|{{0}}伊藤正徳
|52
|(スズランタロー)
|-
|{{0|0000.}}[[11月28日|11.28]]
|[[東京競馬場|東京]]
|さざんか賞
|3下
|芝1600m(良)
|11
|6
|7
|{{00}}4.8(2人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:38.8
|{{0}}伊藤正徳
|53
|(テンマオー)
|-
|{{0|0000.}}[[12月19日|12.19]]
|中山
|ひいらぎ賞
|6下
|芝1600m(良)
|6
|1
|1
|{{00}}4.5(2人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:36.8
|{{0}}伊藤正徳
|53
|[[プレストウコウ]]
|-
|[[1977年|1977]].{{0}}[[1月16日|1.16]]
|東京
|[[京成杯]]
|
|ダ1600m(良)
|9
|8
|9
|{{0}}13.5(5人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:36.7
|{{0}}伊藤正徳
|54
|[[ヒシスピード]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月13日|2.13]]
|東京
|[[東京4歳ステークス|東京4歳S]]
|
|芝1800m(良)
|9
|2
|2
|{{00}}6.1(3人)
|{{0}}4着
|1:50.7
|{{0}}伊藤正徳
|55
|ヒシスピード
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月6日|3.{{0}}6]]
|中山
|[[弥生賞]]
|
|芝1800m(良)
|12
|1
|1
|{{0}}10.1(5人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:49.8
|{{0}}伊藤正徳
|55
|([[カネミノブ]])
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月17日|4.17]]
|中山
|[[皐月賞]]
|
|芝2000m(稍)
|20
|2
|4
|{{0}}10.2(4人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:05.5
|{{0}}伊藤正徳
|57
|[[ハードバージ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月8日|5.{{0}}8]]
|東京
|[[NHK杯 (競馬)|NHK杯]]
|
|芝2000m(良)
|17
|3
|6
|{{00}}4.2(1人)
|{{0}}4着
|2:03.5
|{{0}}伊藤正徳
|56
|プレストウコウ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月29日|5.29]]
|東京
|[[東京優駿]]
|
|芝2400m(良)
|28
|7
|24
|
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|2:28.7
|{{0}}伊藤正徳
|57
|(ハードバージ)
|-
|{{0|0000.}}[[10月8日|10.{{0}}8]]
|中山
|4歳上オープン
|
|芝1800m(良)
|6
|5
|5
|{{00}}2.5(1人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:49.2
|{{0}}伊藤正徳
|58
|(シタヤロープ)
|-
|{{0|0000.}}[[10月23日|10.23]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都新聞杯]]
|
|芝2000m(良)
|13
|5
|7
|{{00}}3.6(1人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|2:01.3
|{{0}}伊藤正徳
|57
|プレストウコウ
|-
|{{0|0000.}}[[11月13日|11.13]]
|京都
|[[菊花賞]]
|
|芝3000m(良)
|18
|3
|5
|{{00}}3.9(1人)
|15着
|3:10.4
|{{0}}伊藤正徳
|57
|プレストウコウ
|-
|[[1979年|1979]].[[12月9日|12.{{0}}9]]
|中山
|4歳上オープン
|
|芝1600m(良)
|7
|2
|2
|{{0}}18.3(6人)
|{{0}}7着
|1:37.7
|{{0}}古西勝廣
|54
|マイエルフ
|-
|[[1980年|1980]].{{0}}[[1月27日|1.27]]
|東京
|5歳上オープン
|
|ダ1700m(良)
|10
|4
|4
|{{0}}16.5(6人)
|{{Color|darkblue|{{0}}2着}}
|1:44.4
|{{0}}伊藤正徳
|56
|メジロマーティン
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月24日|2.24]]
|中山
|5歳上オープン
|
|芝1600m(良)
|14
|3
|4
|
|取
|
|{{0}}伊藤正徳
|58
|マイエルフ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月6日|4.{{0}}6]]
|中山
|5歳上オープン
|
|芝1800m(良)
|14
|1
|1
|{{0}}13.5(7人)
|{{0}}7着
|1:53.4
|{{0}}[[森安重勝]]
|56
|マイエルフ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月27日|4.27]]
|東京
|[[京王杯スプリングハンデキャップ|京王杯スプリングH]]
|
|芝1800m(良)
|10
|1
|1
|{{0}}11.3(6人)
|{{0}}7着
|1:48.7
|{{0}}伊藤正徳
|58
|シーバードパーク
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月17日|5.17]]
|東京
|[[ニュージーランドトロフィー|ニュージーランドT]]
|
|芝1800m(重)
|13
|1
|1
|{{00}}9.5(2人)
|11着
|1:52.6
|{{0}}伊藤正徳
|56
|[[ニチドウアラシ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月15日|6.15]]
|[[札幌競馬場|札幌]]
|札幌日経賞
|
|ダ1800m(良)
|7
|1
|1
|{{00}}5.9(3人)
|{{Color|darkred|{{0}}1着}}
|1:52.1
|{{0}}伊藤正徳
|57
|([[プリテイキャスト]])
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月29日|6.29]]
|札幌
|[[札幌記念]]
|
|ダ2000m(良)
|14
|2
|2
|{{00}}5.3(2人)
|{{0}}9着
|2:08.4
|{{0}}伊藤正徳
|59
|マークリシルバー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月3日|8.{{0}}3]]
|函館
|巴賞
|
|芝1800m(良)
|9
|7
|7
|{{0}}13.5(5人)
|{{0}}9着
|1:48.6
|{{0}}伊藤正徳
|57
|[[バンブトンコート]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[8月17日|8.17]]
|函館
|[[函館記念]]
|
|芝2000m(不)
|11
|2
|2
|{{0}}12.8(5人)
|11着
|2:10.5
|{{0}}伊藤正徳
|58
|サーペンプリンス
|}
== 主な産駒 ==
* トチノルーラー - 1987年きさらぎ賞、[[1986年]][[新潟2歳ステークス|新潟3歳ステークス]]・1990年鳥海大賞典([[上山競馬場|上山]])2着<ref>{{Cite web|title=トチノルーラー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000166502/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>
* ダイカツジョンヌ - [[1993年]]・[[1994年]][[フェブラリーステークス|フェブラリーハンデキャップ→フェブラリーステークス]]3着、1993年[[帝王賞]]2着<ref>{{Cite web|title=ダイカツジョンヌ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000213834/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>
* ナエボルーラ - 1987年[[フラワーカップ]]3着、1986年[[北海道2歳優駿|北海道3歳優駿]]2着<ref>{{Cite web|title=ナエボルーラ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000172073/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>
* ラッキーケイアイ - 1994年スプリンターズ賞([[高崎競馬場|高崎]])3着<ref>{{Cite web|title=ラッキーケイアイ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000209516/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>
* ロングランシチー - 1991年新春杯・[[二十四万石賞]]([[高知競馬場|高知]])3着<ref>{{Cite web|title=ロングランシチー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000180999/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-30}}</ref>
== 血統表 ==
{{競走馬血統表|
name = ラッキールーラ|
inf = ボールドルーラー系 / Pharos 5×5
f = *ステューペンダス<br />Stupendous<br />1963 青毛|
m = [[トースト (競走馬)|トースト]]<br />1959 鹿毛|
148 ⟶ 487行目:
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 参考文献 ==
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1988年2月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 24】黒い重戦車 ラッキールーラ」
**1991年2月号
***「ラッキールーラ、カツトップエース、プレストウコウ、ヤマノスキー、韓国に渡って種牡馬に。」
== 外部リンク ==
155 ⟶ 506行目:
{{東京優駿勝ち馬}}
{{DEFAULTSORT:らつきいるうら}}
[[Category:1974年生 (競走馬)|日らつきいるうら]]
|