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{{出典の明記|date=2015年7月}}
{{馬齢旧}}
{{競走馬
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|主 = 竹田辰一<ref name="jbis"/>
|調 = [[布施正]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]])<ref name="jbis"/>
|厩 = 西村俊明<ref name="優駿-1989年JRA賞">『優駿』1990年2月号 52-57頁</ref>
|績 = 12戦5勝<ref name="jbis"/>
|金 = 1億8995万6900円<ref name="jbis"/>
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{{MedalGII|[[京都新聞杯]]|1989年}}
}}
'''バンブービギン'''(欧字名:{{Lang|en|Bamboo Begin}}、[[1986年]][[4月19日]] - [[2012年]][[7月28日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186582/ |title= バンブービギン |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-28}}</ref>は[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]である。[[1989年]]の[[菊花賞]]に優勝し、[[JRA賞]]の[[JRA賞最優秀父内国産馬|最優秀父内国産馬]]部門を受賞した
 
1989年の[[JRA賞最優秀父内国産馬]]である。主な勝ち鞍は、1989年の[[菊花賞]]({{GI}})、[[京都新聞杯]]({{GII}})。
== 戦績 ==
[[1988年]][[11月]]、[[京都競馬場]]でデビュー。初戦は勝ち馬から3秒も離された大敗であった。その後は好走するも勝ちきれないレースが続き、2月には管骨に全治3ヶ月の[[骨折]]を負った。
 
1982年の[[東京優駿]](日本ダービー)優勝馬である[[バンブーアトラス]]を父に持ち、父と同じ[[調教師]]、[[主戦騎手]]が関わった。4歳5月に故障から復帰して初勝利を挙げて、以降3連勝。父が故障するきっかけとなった[[神戸新聞杯]]で[[重賞]]初出走を果たし2着。続く京都新聞杯を優勝し、父が出走できなかった菊花賞でも優勝した。
しかし、結果としてこの時の休養が幸いした。5月に復帰すると、それまでの主戦[[騎手]]だった[[岩元市三]]の引退のため、[[南井克巳]]にコンビが替わっての未勝利戦を5馬身差で勝利した。さらに、400万下条件、やまゆりステークス(900万下)と連勝。
 
== 戦績生涯 ==
秋の初戦となった[[神戸新聞杯]]こそ、[[オサイチジョージ]]の2着に敗れたが、続く[[京都新聞杯]]では、オサイチジョージの他、[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]の勝ち馬[[ウィナーズサークル]]、同2着の[[リアルバースデー]]といった有力馬を相手に勝利した。この勝利と[[ステイヤー]]血統も相まって、バンブービギンは一躍菊花賞の最有力候補に躍り出た。そして、1番人気に推された菊花賞では、スローペースを見越して終始好位につけ、直線では粘る[[レインボーアンバー]]を交わし優勝した。調教師の[[布施正]]は、菊花賞を前に故障で引退した[[バンブーアトラス]]の子で菊花賞を勝つという長年の悲願を成し遂げた。また、騎手の南井は、これが初の[[クラシック (競馬)|クラシック]]制覇であった<ref name="nikkan120731"/>。
 
=== デビューまで ===
バンブービギンは、これまで使い詰めだったこともあって、菊花賞の後休養に入り、[[有馬記念]]は回避した。休養から明けて、[[天皇賞|天皇賞(春)]]に目標を定め調教が再開されたが、右前脚を骨折するという悲運に見舞われる。長期休養を経て、ようやく調教が可能となるまでに回復した矢先、今度は左前脚に[[屈腱炎]]を発症してしまう。それでも関係者は再起に向け懸命の努力を傾けたが、[[1991年]][[6月]]に引退が発表された。
フィールドバンブーは、1972年に[[北海道]][[浦河町]]の[[バンブー牧場]]で生産された牝馬である。竹田辰一が所有し競走馬として37戦5勝<ref>{{Cite web|title=フイールドフブキ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000050740/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-11-09}}</ref>。引退後は、バンブー牧場で[[繁殖牝馬]]となり、1978年に初仔の牝馬(父:ラナーク)を生産した<ref>{{Cite web|title=繁殖牝馬情報:牝系情報|フイールドフブキ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000050740/broodmare/info/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-11-09}}</ref>。2年目には、当初、バンブー牧場の竹田春夫場主が次に来る血統を[[ノーザンダンサー系]]だと見越していたことから、当時、[[日高地方]]に繋養されていた唯一のノーザンダンサー系種牡馬・ミンスキーを交配するつもりであった<ref name="優駿-1989-12-136137">『優駿』1989年12月号 136-137頁</ref>。しかし、ミンスキーが1977年に急死。代わりに[[社台ファーム]]の導入した輸入新種牡馬[[ノーザンテースト]]を交配した<ref name="優駿-1989-12-136137" />。1979年に生産された2番仔の牝馬は、フォローバンブーと命名され、同様に竹田辰一が所有し、競走馬として26戦4勝<ref>{{Cite web|title=フオローバンブー|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000114857/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-11-09}}</ref>。引退後は繁殖牝馬となり、初年度の1985年は同様に竹田辰一が所有した競走馬で、1982年の[[東京優駿]](日本ダービー)を制した[[バンブーアトラス]]を交配した<ref>{{Cite web|title=バンブーアトラス|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000114852/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-11-09}}</ref>。
 
競走馬としてのバンブーアトラスは、東京優駿を勝利した後、[[菊花賞]]の前哨戦である[[神戸新聞杯]]出走時に故障して引退していた<ref name="優駿-1989-9-104105" />。菊花賞への出走が叶わなかったことから、バンブーアトラスの管理[[調教師]]である[[布施正]]は、バンブーアトラスの仔で菊花賞を勝利することを決意<ref name="優駿-1989-9-104105">『優駿』1989年9月号 104-105頁</ref>。布施は所属騎手で、バンブーアトラスの[[主戦騎手]]を務めた[[岩元市三]]に対し「市三、ワシはこの馬の子で菊花賞をなんとしても取りたい。それが叶うまで、この仕事はやめられん<ref name="優駿-1989-9-104105" />」と宣言した。布施は竹田などオーナーの協力も取り付けて、自ら交配する相手を選択<ref name="優駿-1989-9-104105" />。布施は1985年にフォローバンブーを選り抜いた<ref name="優駿-1989-9-104105" />。1986年4月19日、北海道浦河町のバンブー牧場にて、[[鹿毛]]の[[牡馬]](後のバンブービギン)が誕生する<ref name="優駿-1989-9-104105" />。竹田辰一の所有となり、竹田の用いる[[冠名]]「バンブー」に「ビギン」を組み合わせた「'''バンブービギン'''」という競走馬名が与えられ、[[栗東トレーニングセンター]]の布施厩舎に入厩した<ref name="jbis" />。
 
=== 競走馬時代 ===
1988年11月13日、[[京都競馬場]]の[[新馬戦]](芝1600メートル)でデビュー。父バンブーアトラスと同様に岩元が騎乗し、10頭立て7着、勝利したフレッシュナムラとは3秒差の入線であった<ref name="優駿-1989-9-104105" />。その後は、2戦目の新馬戦で2着。以降、4歳となる1989年2月までに、京都、[[阪神競馬場]]、[[小倉競馬場]]の未勝利戦に併せて4回出走。2着1回、3着2回、着外1回でデビュー6連敗とした<ref name="優駿-1989-9-104105" />。その後は左前脚の管骨にヒビが入り、3か月の休養となった<ref name="優駿-1989-12-136137" /><ref name="優駿-1989-9-104105" />。
 
5月13日、京都競馬場の未勝利戦(芝2000メートル)で復帰。岩元が調教師試験に合格したため{{#tag:ref|同1989年3月、調教師免許を取得。以降しばらくは、布施調教師に帯同し、バンブービギンの世話を行った。<ref name="優駿-1989-12-811">『優駿』1989年12月号 8-11頁</ref><ref name="優駿-1990-1-126129">『優駿』1990年1月号 126-129頁</ref>|group="注釈"}}、新たに[[南井克巳]]とのコンビを結成して参戦した<ref name="優駿-1989-9-104105" />。スタートで出遅れるも巻き返して、後方に5馬身差をつけて初勝利<ref name="優駿-1989-9-104105" />。それから6月4日、阪神競馬場の400万円以下では、第3コーナーから抜け出して後方に4馬身差の2勝目<ref name="優駿-1989-9-104105" />。7月9日、やまゆりステークス(900万円以下)は、大外からまくり後方に3馬身半差をつけて連勝、3勝目とした<ref name="優駿-1989-9-104105" />。この後、竹田は小倉への遠征を提案したが<ref name="優駿-1989-12-136137" />、布施は「小倉に行く馬じゃない<ref name="優駿-1989-12-136137" />」とそれを断り、目標を菊花賞に定め<ref name="優駿-1989-9-104105" />、約3か月出走しなかった<ref name="jbisrcd" />。
 
続いて9月24日の[[神戸新聞杯]]({{GII}})に、単勝オッズ5.7倍の3番人気で出走<ref>{{Cite web|title=神戸新聞杯|1989年9月24日|url=https://db.netkeiba.com/race/198909040611/|website=db.netkeiba.com|accessdate=2021-11-09}}</ref>。中団から追い上げ、先に抜け出していた[[単枠指定制度|単枠指定]]・1番人気の[[オサイチジョージ]]には3馬身半差をつけられて及ばなかったが<ref name="優駿-1989-11-146147">『優駿』1989年11月号 146-147頁</ref>、一緒に追い上げた[[ムービースター (競走馬)|ムービースター]]との競り合いを制し、ムービースターに1馬身半先着する2着<ref name="優駿-1989-11-146147" />。それから10月15日、菊花賞の[[トライアル競走]]である[[京都新聞杯]]({{GII}})に単勝オッズ11.2倍の5番人気で出走<ref>{{Cite web|title=京都新聞杯|1989年10月15日|url=https://db.netkeiba.com/race/198908040411/|website=db.netkeiba.com|accessdate=2021-11-09}}</ref>。オサイチジョージと、東京優駿の勝ち馬で秋始動戦となった[[ウィナーズサークル]]が単枠指定制度の対象となり、2頭はそれぞれ単勝1、2番人気となった<ref name="優駿-1989-12-136137" />。スタートから中団後方に控えたオサイチジョージの背後に位置して「徹底したマーク戦法」([[久保房郎]]<ref name="優駿-1989-12-136137" />)を実行。最終コーナーでは大外から進路を見出して末脚を見せると、オサイチジョージや先行馬を差し切り、オサイチジョージに1馬身4分の1差をつけて勝利、[[重賞]]初勝利となり、菊花賞への[[優先出走権]]を獲得した<ref name="優駿-1989-12-136137" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=niS_VSx_t5Y&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1989年 菊花賞({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}11月5日、菊花賞({{GI}})に、単勝オッズ3.8倍の1番人気で出走<ref>{{Cite web|title=菊花賞|1989年11月5日|url=https://db.netkeiba.com/race/198908050210/|website=db.netkeiba.com|accessdate=2021-11-09}}</ref>。スタートで先手を主張するも控えて好位の6、7番手に位置<ref name="優駿-1990-1-126129" />。最初の1000メートルは63.1秒、2回目の1000メートルは65.0秒で通過するスローペースが形成<ref name="優駿-1989-12-811" />。そんな中、最終コーナーで追い出して位置を上げて、外に持ち出した<ref name="優駿-1989-12-811" />。直線では末脚を見せると、先に抜け出していた[[レインボーアンバー]]を差し切り、後方に1馬身半差をつけて先頭で入線<ref name="優駿-1990-1-126129" /><ref name="優駿-1989-12-811" />。{{GI}}初勝利となり、南井にとっては初の[[クラシック (競馬)|クラシック]]競走優勝であった<ref name="nikkan120731">{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120731-992543.html|title=バンブービギン26歳老衰死 89年菊花賞V|work=競馬 - ニュース|publisher=日刊スポーツ|date=2012-07-31|accessdate=2019-08-28}}</ref>。その後について、布施は[[有馬記念]]としていたが<ref name="優駿-1990-1-126129" />、出走することはなかった<ref name="jbisrcd" />。
 
この年の[[JRA賞]]表彰では、有効投票172票中125票を集めて、[[JRA賞最優秀父内国産馬]]を受賞<ref name="優駿-1989年JRA賞" />。[[JRA賞最優秀4歳牡馬]]選考では59票を集め、103票で受賞したウィナーズサークルの次点となった<ref name="優駿-1989年JRA賞" />。さらに[[美浦トレーニングセンター]]、栗東トレーニングセンター、JRA本部のハンデキャッパーが定める「フリーハンデ」では、東京優駿優勝馬のウィナーズサークルと並んで世代首位タイとなる「62」を獲得<ref name="優駿-1990-フリーハンデ">『優駿』1990年2月号 66-71頁</ref>。東京優駿優勝馬が原則として首位に格付けられていたが、ウィナーズサークルが制した良馬場で行われた東京優駿と、稍重馬場で行われた[[優駿牝馬]](オークス)の決着タイムがほぼ同じであったこと、そしてウィナーズサークルが菊花賞で10着に敗れたことから評価を落とし、バンブービギンと同等に扱われた<ref name="優駿-1990-フリーハンデ" />。菊花賞優勝馬に「62」が与えられたのは、1977年の[[プレストウコウ]]、1978年の[[インターグシケン]]以来であった<ref name="優駿-1990-フリーハンデ" />。また、前年の菊花賞を優勝し「61」が与えられた[[スーパークリーク]]との比較においては、バンブービギンが前哨戦で勝利し、人気を背負った上で勝利を挙げたことが評価され、スーパークリークを「1」上回った<ref name="優駿-1990-フリーハンデ" />。
 
5歳となった1990年は、[[天皇賞(春)]]を目指したが、骨折<ref name="JBIS-追悼">{{Cite web|title=追悼~バンブービギン|url=https://uma-furusato.com/news/68960.html|website=uma-furusato.com|accessdate=2021-11-09}}</ref>。6歳となった1991年、[[高松宮記念 (競馬)|高松宮杯]]で復帰する予定で調教を進んでいたが、[[屈腱炎]]が判明して断念し、競走馬を引退した<ref>{{Cite web|title=89年の菊花賞馬バンブービギンが死去 |url=https://www.keibalab.jp/topics/13752/|website=www.keibalab.jp|accessdate=2021-11-09|language=ja}}</ref><ref>『優駿』1991年8月号 101頁</ref>。
 
=== 種牡馬時代 ===
引退後は6歳春から北海道[[新冠町]]のCBスタッドで[[種牡馬]]となった<ref name="JBIS-追悼" />。年間40近い種付け頭数を集めたが、産駒は、[[東海ダービー|名古屋優駿]]2着のトウカンイーグル<ref>{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000284457/ |title=トウカンイーグル |publisher=JBISサーチ|accessdate=2019-08-28}}</ref>、サラブレッド大賞典を制するなど[[金沢競馬場|金沢競馬]]で活躍したリードジャイアンツ<ref>{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000291925/ |title=リードジャイアンツ |publisher=JBISサーチ|accessdate=2019-08-28}}</ref>が目立つ程度でいるが、JRAの重賞勝ち馬は出せなかった<ref name="nikkan120731" />。2005年には種牡馬からも引退<ref>{{Cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/07/30/kiji/K20120730003794370.html|title=89年菊花賞馬 バンブービギンが老衰で死ぬ…26歳|work=スポニチアネックス ギャンブル|publisher=スポーツニッポン|date=2012-07-30|accessdate=2019-08-28}}</ref>。生まれ故郷の[[バンブー牧場]]に戻って余生を送り<ref name="nikkan120731" />、[[去勢]]は実施されなかった<ref name="JBIS-追悼" />。2012年7月28日に[[老衰]]のため26歳で死亡<ref name="nikkan120731" />。
 
==競走成績==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/1986100672/ |title= バンブービギンの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2019-08-28}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186582/record/ |title= バンブービギン 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-28}}</ref>に基づく。
 
{| style="font-size: 90%; text-align: center; border-collapse: collapse;white-space:nowrap"
|-
!年月日!!競馬場!!競走名!!格!!距離(馬場)!!頭<br />数!!枠<br />番!!馬<br />番!!オッズ(人気)!!着順!!タイム<br />(上り3F/''4F'')!!着差!!騎手!!斤量<br />(kg)!!勝ち馬/(2着馬)
!馬体重
[kg]
|-
|[[1988年|1988]].[[11月13日|11.13]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|芝1600m(稍)
51 ⟶ 69行目:
|1
|27.5(7人)
|{{0}}7着
|1:41.6 (''51.3'')
|{{0|-}}13.80
|{{0}}[[岩元市三]]
|54
|フレッシュナムラ
|478
|-
|{{0|0000.}}[[11月26日|11.26]]
|京都
|3歳新馬
67 ⟶ 86行目:
|1
|83.4(8人)
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|1:26.2 (''49.1'')
|{{0|-}}0.4
|{{0}}岩元市三
|54
|タニノジュニアス
|480
|-
|{{0|0000.}}[[12月10日|12.10]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|3歳未勝利
83 ⟶ 103行目:
|10
|10.6(5人)
|{{0}}9着
|2:06.9 (''49.7'')
|{{0|-}}0.7
|{{0}}岩元市三
|54
|リュウファルコン
|484
|-
|{{0|0000.}}[[12月24日|12.24]]
|阪神
|3歳未勝利
99 ⟶ 120行目:
|14
|28.3(13人)
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|2:05.4 (''49.2'')
|{{0|-}}0.2
|{{0}}岩元市三
|54
|カミノコウマン
|480
|-
|[[1989年|1989]].{{0}}[[1月13日|1.13]]
|京都
|4歳未勝利
115 ⟶ 137行目:
|6
|{{0}}5.8(3人)
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|1:53.6 (''50.5'')
|{{0|-}}0.3
|{{0}}岩元市三
|55
|クリフジリュウ
|476
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月11日|2.11]]
|[[小倉競馬場|小倉]]
|4歳未勝利
131 ⟶ 154行目:
|11
|{{0}}6.3(4人)
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|2:07.6 (39.0)
|{{0|-}}1.0
|{{0}}[[清水英次]]
|55
|セイントホーク
|468
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月13日|5.13]]
|京都
|4歳未勝利
147 ⟶ 171行目:
|6
|10.1(6人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:06.6 (''50.5'')
| -0.9
|{{0}}[[南井克巳]]
|55
|(ユートベスト)
|490
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月4日|6.{{0}}4]]
|阪神
|4歳400万下
163 ⟶ 188行目:
|9
|{{0}}2.2(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:03.4 (''48.4'')
| -0.7
|{{0}}南井克巳
|55
|(シゲルモンテ)
|484
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月9日|7.{{0}}9]]
|[[中京競馬場|中京]]
|やまゆりS
|9下
|{{small|900}}
|芝1800m(稍)
|16
179 ⟶ 205行目:
|14
|{{0}}2.3(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|1:48.2 (36.3)
| -0.6
|{{0}}南井克巳
|54
|(エイシンファイヤー)
|478
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月24日|9.24]]
|阪神
|[[神戸新聞杯]]
|{{GII}}
|芝2000m(良)
|14
195 ⟶ 222行目:
|13
|{{0}}5.7(3人)
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|2:00.9 (''47.6'')
|{{0|-}}0.6
|{{0}}南井克巳
|54
|[[オサイチジョージ]]
|494
|-
|{{0|0000.}}[[10月15日|10.15]]
|京都
|[[京都新聞杯]]
|{{GII}}
|芝2200m(良)
|15
211 ⟶ 239行目:
|6
|11.2(5人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|2:13.4 (''47.0'')
| -0.2
|{{0}}南井克巳
|57
|(オサイチジョージ)
|490
|-
|{{0|0000.}}[[11月5日|11.{{0}}5]]
|京都
|[[菊花賞]]
|{{GI}}
|芝3000m(良)
|18
227 ⟶ 256行目:
|5
|{{0}}3.8(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|3:07.7 (''46.5'')
| -0.2
|{{0}}南井克巳
|57
|([[レインボーアンバー]])
|490
|}
 
== 引退後 ==
引退後は、CBスタッドで[[種牡馬]]となった。年間40近い種付け頭数を集めたが、産駒は、[[東海ダービー|名古屋優駿]]2着のトウカンイーグル<ref>{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000284457/ |title=トウカンイーグル |publisher=JBISサーチ|accessdate=2019-08-28}}</ref>、サラブレッド大賞典を制するなど[[金沢競馬場|金沢競馬]]で活躍したリードジャイアンツ<ref>{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000291925/ |title=リードジャイアンツ |publisher=JBISサーチ|accessdate=2019-08-28}}</ref>が目立つ程度で、JRAの重賞勝ち馬は出せなかった<ref name="nikkan120731"/>。
 
[[2005年]]には種牡馬からも引退<ref>{{Cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2012/07/30/kiji/K20120730003794370.html |title= 89年菊花賞馬 バンブービギンが老衰で死ぬ…26歳|work= スポニチアネックス ギャンブル|publisher= スポーツニッポン|date=2012-07-30|accessdate=2019-08-28}}</ref>。生まれ故郷の[[バンブー牧場]]に戻って余生を送り、2012年7月28日に老衰のため26歳で死亡した<ref name="nikkan120731">{{Cite web|url= https://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20120731-992543.html |title= バンブービギン26歳老衰死 89年菊花賞V|work= 競馬 - ニュース|publisher= 日刊スポーツ|date=2012-07-31|accessdate=2019-08-28}}</ref>。
 
== 血統表 ==
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==脚注==
 
=== 注釈 ===
 
<references group="注釈" />
=== 出典 ===
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
 
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1989年9月号
*** 井上泰司([[スポーツニッポン]]大阪支社)「【全調査 秋をめざす有力馬たち】伏兵馬をさがせ!? 4歳も古馬も新しいヒーローの誕生があるか!?」
** 1989年11月号
*** 渡辺武夫([[神戸新聞]])「【今月の記録室】第37回神戸新聞杯({{GII}}) オサイチジョージ」
** 1989年12月号
*** 「【第50回菊花賞詳報】ダービー馬が生んだ。第50代菊花賞馬。父仔の夢がかなって、バンブービギン」
*** 久保房郎([[京都放送|KBS京都]])「【今月の記録室】第37回京都新聞杯({{GII}})<菊花賞トライアル> バンブービギン」
** 1990年1月号
*** 梶山隆平「【げっかん評論(西)】秋の主役はやっぱりオグリキャップ! マイルチャンピオンSで奇跡の差し脚」
*** 寺田文雄([[デイリースポーツ]])「【今月の記録室】第50回菊花賞({{GI}}) バンブービギン」
**1990年2月号
***「【1989年度JRA賞】年度代表馬は{{GI}}3勝のイナリワン オグリキャップには特別賞」
***優駿編集部「【1989年度フリーハンデ決定】4歳 ダービー馬ウィナーズサークル、菊花賞馬バンブービギンともに62キロ」
** 1991年8月号
*** 「【今月のトピックス】菊花賞馬バンブービギンついに引退。父仔三代のクラシック馬誕生に期待しよう。」
 
== 外部リンク ==