「カネヒムロ」の版間の差分

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{{馬齢旧}}
{{出典の明記|date=2015年7月}}
{{競走馬
| 画 = no
| 名 = カネヒムロ
| 英 ={{Lang|en|Kane Himuro}}<ref name="JBIS" />
| 性 = [[牝馬|牝]]
| = [[鹿毛牝馬|牝]]<ref name="JBIS" />
| 色 = [[鹿毛]]<ref name="JBIS" />
| 種 = [[サラブレッド]]
| 種 = [[サラブレッド]]<ref name="JBIS" />
| 生 = [[1968年]][[3月28日]]
| = [[19971968年]][[931628日]]<brref name="JBIS" />(29歳没・旧30歳)
| 死 = [[1997年]][[9月16日]](30歳没)
| 父 = [[パーソロン]]
| 父 = [[パーソロン]]<ref name="JBIS" />
| 母 = カネタチバナ
| 母 = [[ヒルメイジ]]ネタチバナ<ref name="JBIS" />
| 母父 = [[ヒカルメイジ]]<ref name="JBIS" />
| 産 = 青森牧場
| = {{JPN}}([[青森県]][[横浜町]])牧場<ref name="JBIS" />
| 国 = {{JPN}}([[青森県]][[横浜町]])<ref name="JBIS" />
| 主 = 金指利明
| 主 = 金指吉昭<ref name="優駿-1990-2-39" /><br/>高萩成子<ref name="JBIS" />
| 調 = [[成宮明光]]([[中山競馬場|中山]])
| 調 = [[成宮明光]]<ref name="JBIS" />([[中山競馬場|中山]]→[[美浦トレーニングセンター|美浦]])
| 績 = 23戦4勝
| 厩= 松村光雄<ref name="優駿-1990-2-43" />
| 金 = 4162万6600円
| 績 = 23戦4勝<ref name="JBIS" />
}}
| 金 = 4162万6600円<ref name="JBIS" />
|medaltemplates={{medal八大競走|[[優駿牝馬]]|1971年}}{{medalオープン|新春4歳牝馬ステークス|1971年}}}}
 
'''カネヒムロ'''(欧字名:{{Lang|en|Kane Himuro}}、[[1968年]][[3月28日]] - [[1997年]][[9月16日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]<ref name="JBIS">{{Cite web|title=カネヒムロ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000024128/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-25}}</ref>。
'''カネヒムロ'''は[[日本]]の[[競走馬]]。[[1971年]]の[[優駿牝馬]](オークス)に優勝。[[繁殖牝馬]]としても[[1978年]]の[[JRA賞|優駿賞]][[JRA賞|年度代表馬]]・[[カネミノブ]]を送り出した。[[岡部幸雄]]が最初に[[八大競走]]を制した騎乗馬としても知られる。
 
[[1971年]]の[[優駿牝馬]](オークス)を優勝。[[繁殖牝馬]]としても[[1978年]]の[[JRA賞|優駿賞]][[JRA賞|年度代表馬]]である[[カネミノブ]](父:バーバー)を産んだ。
 
== 経歴 ==
''馬齢は[[馬齢#旧表記方法(2000年以前)|旧表記]](数え年)とする。''
 
=== デビューまで ===
[[青森県]]生産馬。生産者の青森牧場はかつて二冠牝馬[[カネケヤキ]]も生産した、同地では名門の牧場である。そのカネケヤキの[[半妹]]カネタチバナに、当時新進の種牡馬[[パーソロン]]が種付けされて誕生したのがカネヒムロであるが、出生当時から非常に小柄な馬で、競走馬としてはさほど期待はされていなかった。それでも4歳春までに3勝を挙げて[[クラシック (競馬)|クラシック]]路線を進んだが、[[重賞]]となると精彩を欠き、オークスへの[[トライアル競走]]・[[フローラステークス|4歳牝馬特別]]8着以外は、全て2桁着順を続けていた。
 
[[1968年]][[3月28日]]、[[青森県]][[六戸町]]の青森牧場で[[鹿毛]]の[[牝馬]](後のカネヒムロ)が誕生<ref name="優駿-1990-2-40">『優駿』1990年2月号 40頁</ref>。2歳春には[[上北町]]の牧場に移動、母と同じく金指の所有となった<ref name="優駿-1990-2-40" />。金指は、冠名「'''カネ'''」を馬名の冒頭に用い、末尾には牝馬ならば[[植物|植物名]]を組み合わせる命名ルールが存在した<ref name="優駿-1990-2-41">『優駿』1990年2月号 41頁</ref>。そのルールに則り、仔には「'''カネ'''」に[[ヒノキ科]]の「[[サワラ (植物)|ヒムロ]]」を組み合わせた「'''カネヒムロ'''」という競走馬名が与えられた<ref name="優駿-1990-2-41" />。
4歳牝馬の大目標・オークスは、[[桜花賞]]から手綱を取っていた若手騎手・[[岡部幸雄]]を背に迎えたが、オッズは22頭立ての10番人気と低い評価だった。競走当日は、この前日まで降り続いた雨の影響で泥々の[[馬場状態#不良馬場|不良馬場]]となり、1番人気の桜花賞馬[[ナスノカオリ]]はこの馬場に脚を取られ失速。代わりに中団に控えていたカネヒムロが大外から他馬を抜き去り、2着に1馬身差を付けての優勝を果たした。後に日本を代表する騎手となる岡部、管理[[調教師]]の成宮にとってこれが初めての八大競走制覇となると共に、この時の優勝馬体重384kgは[[競馬の日本一の一覧|史上最軽量でのクラシック競走勝利]]ともなった<ref>[http://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=13395 JRA史上最軽量!334キロ馬デビュー] ウマニティ(提供元:SANSPO.COM 2011年1月23日)</ref>。この記録は、昨今の馬体の大型化から更新の可能性が最も薄い記録となっている。また、この年を皮切りにパーソロン産駒の牝馬が4年連続でオークスを制し、カネヒムロがその先鞭となった。
 
金指は、競走馬デビューに際して、[[阿部正太郎]]調教師や[[野平省三]]調教師に管理を依頼したが、小さく貧しい馬体だったために、両方に断られた<ref name="優駿-1990-2-43">『優駿』1990年2月号 43頁</ref>。そこで金指は、阿部厩舎に入れず、余り物となった馬を多く管理していた若手の[[成宮明光]]調教師に依頼し、成宮厩舎に入厩が決定した<ref name="優駿-1990-2-43" />。カネヒムロは3歳春に[[競馬学校|白井分場]]に入厩、成宮によれば入厩当時は「[[尻尾]]の毛もわずかしかないし、[[ネズミ]]みたいにちっこい馬で商品価値のない馬だなあ<ref name="優駿-1990-2-41" />」と振り返っている。
以後カネヒムロは6歳春まで競走馬を続けたが、再び勝利を挙げる事はなく、[[中山牝馬ステークス]]12着を最後に競走馬を引退。故郷の青森牧場で繁殖牝馬となった。4勝以外には2着、3着が各1回あり、他の17戦は全て4着以下。1番人気になったのも3歳時の1戦のみという競走生活だった。
 
=== 引退後競走馬時代 ===
[[1970年]][[8月30日]]、[[中山競馬場]]の[[新馬戦]](芝1200メートル)に[[蛯沢誠治]]が騎乗して逃げ切り、デビュー戦勝利。2連敗の後、200万円以下のおみなえし賞で2勝目となった<ref name="優駿-1990-2-41" />。再び2連敗を経て年を越して1971年、4歳と始動戦には[[1月23日]]、[[東京競馬場]]の新春4歳牝馬ステークスに、[[加賀武見]]に乗り替わり、9頭立て6番人気の支持で出走。後方待機で直線コースに向かい、追い込みを決めて3勝目とした<ref name="優駿-1990-2-41" />。
繁殖入りしたカネヒムロは、馬格の無さから繁殖牝馬としての成功を不安視する向きもあったが、初仔のカネミノブ(父・バーバー)が、[[1978年]]の[[有馬記念]]を制し母仔での八大競走制覇を果たし、繁殖牝馬としても大成功を収めたのである。その他の産駒にカネミノブほどの活躍は見られなかったが、繁殖牝馬引退後も[[功労馬]]として北海道で余生を送った。以後は長寿を保っていたが、[[1997年]]秋に放牧中転倒し右前脚骨折、[[予後不良 (競馬)|安楽死]]の処置が執られた。30歳。なお、代表産駒のカネミノブであるが、[[1993年]]に繋養先だった北斗牧場を離れた後は行方知れずとなっている。
 
新春4歳牝馬ステークス参戦直前は、[[発情]]を防ぐためにホルモン注射を行っていた<ref name="優駿-1990-2-41" />。発情による精神的不安を解消して勝利に至ったが、その代償として[[生理不順]]を起こし、それから[[クイーンカップ]]12着、蛯沢に戻った[[桜花賞]]の[[トライアル競走]]、[[阪神4歳牝馬特別]]では18着。桜花賞では[[岡部幸雄]]に乗り替わり、15着。[[優駿牝馬]](オークス)の[[東京4歳牝馬特別]]でも8着となり、4連敗と調子を落としていた<ref name="優駿-1990-2-41" />。
 
白井分場で調整された後、6月6日の[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]は不良馬場の中、10番人気で出走した<ref name="優駿-1990-2-39">『優駿』1990年2月号 39頁</ref>。後方の位置から、直線大外に持ち出し追い上げていた。中団から先に抜け出していたサニーワールドを外からかわし、1馬身差をつけて先頭で入線した<ref name="優駿-1990-2-39" />。当時のレコードタイムとは、8秒遅い走破タイムで優勝、岡部にとって自身初となる[[クラシック (競馬)|クラシック]]勝利であった<ref name="優駿-1990-2-40" />。なお、参戦時の馬体重384キログラムは、{{GI}}級競走史上最少記録を更新した<ref>{{Cite web|title=JRA史上最軽量!334キロ馬デビュー|url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=13395|website=競馬予想のウマニティ|accessdate=2021-08-26|language=ja}}</ref>。岡部は「(前略)ただオーバーペース気味だったので展開がカネヒムロ向きだった。とにかく道悪がうまい。それにギリギリに仕上がっていたし、一瞬の切れ味は[[ハクセツ (1965年生)|ハクセツ]]と甲乙つけがたい<ref name="優駿-1990-2-40" />」と証言している。
 
以降、11戦に出走するも勝利することができなかった<ref name="優駿-1990-2-42">『優駿』1990年2月号 42頁</ref>。6歳3月の[[中山牝馬ステークス]]では最下位で11連敗となり、可哀想に思った金指により引退が決定した<ref name="優駿-1990-2-42" />。
 
1981年7月、[[日本中央競馬会]]が主催し、[[松屋 (百貨店)|松屋]]で開催された「あなたが選んだサラブレッドなんでもベスト10」の「雨が降ると思い出を残してくれた馬」部門にて1万834票を集め、1位に輝いている<ref>『優駿』1990年2月号 38頁</ref>。
 
=== 繁殖牝馬時代 ===
引退後は、生まれ故郷の青森牧場で[[繁殖牝馬]]となった。初仔の[[カネミノブ]](父:バーバー)が、[[1978年]]の[[有馬記念]]を制し母仔での[[八大競走]]制覇を果たした。繁殖牝馬引退後も[[功労馬]]として北海道で余生を送り、[[1997年]]秋に放牧中転倒し右前脚骨折、[[予後不良 (競馬)|安楽死]]の処置が執られた。
 
== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref>{{Cite web|title=カネヒムロの競走成績 {{!}} 競走馬データ|url=https://db.netkeiba.com/horse/1955102168/|website=netkeiba.com|accessdate=2021-08-24|language=ja}}</ref>およびJBISサーチ<ref>{{Cite web|title=競走成績:年度別累計成績/主な成績|カネヒムロ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000024128/record/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-24}}</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse:collapse; font-size:90%; text-align:center; white-space:nowrap"
!競走日
!競馬場
!競走名
!格
!距離(馬場)
!頭
!枠
!馬
!オッズ(人気)
!着順
!タイム
!{{0}}騎手
!斤量
[kg]
!1着馬(2着馬)
|-
|[[1970年|1970]].{{0}}[[8月30日|8.30]]
|[[中山競馬場|中山]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|芝1200m(良)
|15
|1
|1
|{{0}}14.4{{0}}(4人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
|{{0}}1:12.5
|{{0}}[[蛯沢誠治]]
|49
|(ヒダプリンス)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[9月13日|9.13]]
|中山
|[[芙蓉ステークス|芙蓉S]]
|
|芝1200m(良)
|6
|4
|4
|{{0}}20.5{{0}}(5人)
|{{0}}{{Color|darkgreen|3着}}
|{{0}}1:12.8
|{{0}}[[大和田稔]]
|52
|パワーエクスプレス
|-
|{{0|0000.}}[[10月4日|10.{{0}}4]]
|中山
|サルビヤ賞
|2下
|芝1200m(稍)
|13
|3
|3
|{{00}}7.9{{0}}(4人)
|{{0}}{{Color|darkblue|2着}}
|{{0}}1:12.1
|{{0}}蛯沢誠治
|52
|[[ナスノカオリ]]
|-
|{{0|0000.}}[[10月17日|10.17]]
|[[東京競馬場|東京]]
|おみなえし賞
|2下
|芝1200m(不)
|13
|4
|4
|{{00}}8.1{{0}}(3人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
|{{0}}1:13.9
|{{0}}蛯沢誠治
|52
|(メジロゲッコウ)
|-
|{{0|0000.}}[[11月23日|11.23]]
|東京
|[[府中3歳ステークス|府中3歳S]]
|
|芝1600m(稍)
|10
|6
|6
|{{00}}8.3{{0}}(4人)
|{{0}}6着
|{{0}}1:41.0
|{{0}}蛯沢誠治
|53
|ヤシマライデン
|-
|{{0|0000.}}[[12月6日|12.{{0}}6]]
|中山
|3歳牝馬S
|
|芝1600m(良)
|11
|4
|4
|{{00}}4.2{{0}}(1人)
|{{0}}9着
|{{0}}1:38.6
|{{0}}蛯沢誠治
|54
|ホウネン
|-
|[[1971年|1971]].{{0}}[[1月23日|1.23]]
|東京
|新春4歳牝馬S
|
|芝1600m(重)
|9
|5
|5
|{{0}}18.8{{0}}(6人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
|{{0}}1:41.2
|{{0}}[[加賀武見]]
|53
|(ヤマアズマ)
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月21日|2.21]]
|中山
|[[クイーンカップ]]
|
|芝1600m(良)
|17
|7
|14
|{{0}}12.5{{0}}(4人)
|12着
|{{0}}1:39.7
|{{0}}加賀武見
|53
|ヤマアズマ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月28日|3.28]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
|[[阪神4歳牝馬特別]]
|
|芝1400m(良)
|21
|8
|20
|144.9(20人)
|18着
|{{0}}1:26.8
|{{0}}蛯沢誠治
|54
|エリモジェニー
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月18日|4.18]]
|阪神
|[[桜花賞|'''桜花賞''']]
|
|芝1600m(不)
|25
|8
|24
|{{0}}23.6{{0}}(9人)
|15着
|{{0}}1:41.8
|{{0}}[[岡部幸雄]]
|55
|ナスノカオリ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月16日|5.16]]
|東京
|[[東京4歳牝馬特別]]
|
|芝1800m(良)
|15
|2
|2
|{{0}}27.3{{0}}(6人)
|{{0}}8着
|{{0}}1:51.0
|{{0}}岡部幸雄
|54
|ナスノカオリ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[6月6日|6.{{0}}6]]
|東京
|[[優駿牝馬|'''優駿牝馬''']]
|
|芝2400m(不)
|23
|6
|17
|{{0}}24.3{{0}}(9人)
|{{0}}{{Color|darkred|1着}}
|{{0}}2:36.0
|{{0}}岡部幸雄
|55
|(サニーワールド)
|-
|{{0|0000.}}[[10月31日|10.31]]
|[[京都競馬場|京都]]
|[[京都牝馬特別]]
|
|芝1600m(不)
|21
|8
|21
|{{0}}38.0(10人)
|11着
|{{0}}1:41.8
|{{0}}岡部幸雄
|53
|ヤマニビーナス
|-
|{{0|0000.}}[[11月21日|11.21]]
|京都
|[[ビクトリアカップ]]
|
|芝2400m(良)
|19
|7
|16
|{{0}}20.9(10人)
|{{0}}4着
|{{0}}2:29.9
|{{0}}岡部幸雄
|55
|タイヨウコトブキ
|-
|[[1972年|1972]].{{0}}[[3月26日|3.26]]
|中山
|[[東京新聞杯]]
|
|芝2000m(不)
|11
|5
|5
|{{00}}8.9{{0}}(3人)
|{{0}}6着
|{{0}}2:09.8
|{{0}}岡部幸雄
|50
|[[アカネテンリュウ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[4月30日|4.30]]
|東京
|[[アメリカジョッキークラブカップ|アメリカJCC]]
|
|芝2400m(良)
|7
|3
|3
|{{0}}30.9{{0}}(6人)
|{{0}}4着
|{{0}}2:30.3
|{{0}}岡部幸雄
|52
|[[メジロアサマ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[5月21日|5.21]]
|中山
|[[ダイヤモンドステークス|ダイヤモンドS]]
|
|芝3200m(良)
|8
|7
|7
|{{00}}9.0{{0}}(5人)
|{{0}}7着
|{{0}}3:25.3
|{{0}}岡部幸雄
|49
|バンライ
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[7月2日|7.{{0}}2]]
|東京
|[[日本経済賞]]
|
|芝2500m(良)
|13
|2
|2
|111.9(12人)
|12着
|{{0}}2:35.4
|{{0}}岡部幸雄
|52
|カツタイコウ
|-
|{{0|0000.}}[[10月29日|10.29]]
|東京
|[[牝馬東京タイムズ杯]]
|
|芝1600m(良)
|15
|1
|1
|{{0}}25.8{{0}}(9人)
|11着
|{{0}}1:37.6
|{{0}}蛯沢誠治
|53
|[[トクザクラ]]
|-
|{{0|0000.}}[[12月9日|12.{{0}}9]]
|中山
|4歳上オープン
|
|芝1800m(重)
|10
|8
|9
|{{0}}15.5{{0}}(7人)
|{{0}}8着
|{{0}}1:52.8
|{{0}}蛯沢誠治
|53
|[[ノボルトウコウ]]
|-
|[[1973年|1973]].{{0}}[[1月7日|1.{{0}}7]]
|東京
|[[金杯(東)]]
|
|芝2000m(不)
|13
|5
|7
|{{0}}17.1{{0}}(7人)
|{{0}}4着
|{{0}}2:06.0
|{{0}}蛯沢誠治
|49
|[[クリイワイ]]
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[2月11日|2.11]]
|東京
|アメジストS
|10下
|ダ1600m(良)
|9
|8
|8
|{{0}}16.7{{0}}(6人)
|{{0}}8着
|{{0}}1:38.7
|{{0}}蛯沢誠治
|54
|メールウイン
|-
|{{0|0000.}}{{0}}[[3月18日|3.18]]
|中山
|[[中山牝馬ステークス|中山牝馬S]]
|
|芝1800m(良)
|12
|2
|2
|{{0}}26.1(11人)
|12着
|{{0}}1:52.6
|{{0}}蛯沢誠治
|51
|[[キョウエイグリーン]]
|}
 
== 繁殖成績 ==
{| class="wikitable" border="1" style="font-size: 90%"
!
!生年
!馬名
!性
!毛色
!父
!戦績
!勝ち鞍、備考
!供用
!出典
|-
|初仔
|1974年
|'''[[カネミノブ]]'''
|牡
|[[鹿毛]]
|[[バーバー]]
|37戦8勝
|1978年:[[有馬記念|'''有馬記念''']]、[[アルゼンチン共和国杯]]、[[日本経済賞]]<br/>1980年:[[目黒記念|目黒記念(春)]]、[[毎日王冠]]
|[[種牡馬]]
|<ref>{{Cite web|title=カネミノブ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000067341/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-26}}</ref>
|-
|
|1975年
|不受胎
|
|
|バーバー
|
|
|
|<ref name="優駿-1990-2-43" />
|-
|2番仔
|1976年
|カネテツセン
|牝
|鹿毛
|バーバー
|2戦0勝
|
|繁殖牝馬
|<ref>{{Cite web|title=カネテツセン|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000088286/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-26}}</ref>
|-
|3番仔
|1977年
|カネスズラン
|牝
|鹿毛
|バーバー
|3戦0勝
|
|繁殖牝馬
|<ref>{{Cite web|title=カネスズラン|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000096491/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-26}}</ref>
|-
|4番仔
|1978年
|プリンセスジュラ―
|牝
|鹿毛
|バーバー
|10戦2勝
|
|
|<ref>{{Cite web|title=プリンセスジュラー|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000106384/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-26}}</ref>
|-
|
|1979年
|不受胎
|
|
|アレツ
|
|
|
|
|-
|5番仔
|1980年
|ネジロオパール
|牝
|鹿毛
|バーバー
|22戦2勝
|
|
|<ref>{{Cite web|title=ネジロオパール|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000126406/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-26}}</ref>
|-
|6番仔
|1981年
|カネバンダイ
|牡
|鹿毛
|バーバー
|25戦1勝
|
|
|<ref>{{Cite web|title=カネバンダイ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000139963/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-26}}</ref>
|-
|7番仔
|1982年
|デビューせず
|牡
|鹿毛
|バーバー
|未出走
|当歳時[[骨折]]のため安楽死<ref name="優駿-1990-2-43" />
|
|<ref>{{Cite web|title=カネヒムロの1982|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000501995/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-26}}</ref>
|-
|
|1983年
|空胎
|
|
|
|
|
|
|<ref name="優駿-1990-2-43" />
|-
|
|1984年
|不受胎
|
|
|バーバー<br/> グッドリー
|
|
|
|<ref name="優駿-1990-2-43" />
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|1985年
|不受胎
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|[[リアルム]]
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|<ref name="優駿-1990-2-43" /><ref name="JBIS-牝系">{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000024128/broodmare/info/|title=繁殖牝馬情報:カネヒムロ|accessdate=2021-8-27|publisher=JBISサーチ}}</ref>
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|1986年
|不受胎
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|マナード
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|<ref name="優駿-1990-2-43" /><ref name="JBIS-牝系" />
|-
|8番仔
|1987年
|ワンアンドレディ
|牝
|鹿毛
|マンオブビィジョン
|未出走
|片目[[失明]]のため競走馬デビューせず<ref name="優駿-1990-2-43" />
|繁殖牝馬
|<ref>{{Cite web|title=ワンアイドレデイ|JBISサーチ(JBIS-Search)|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000199599/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2021-08-26}}</ref>
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|1988年
|不受胎
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|パーフライト<br/>ルイヴィルサミット
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|<ref name="優駿-1990-2-43" /><ref name="JBIS-牝系" />
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|1989年
|不受胎
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|ルイヴィルサミット
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|<ref name="JBIS-牝系" />
|-
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|1990年
|不受胎
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|カネオオエ
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|<ref name="JBIS-牝系" />
|-
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|1991年
|不受胎
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|ルイヴィルサミット
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|<ref name="JBIS-牝系" />
|}
 
== 血統表 ==
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
<references group="注釈" />
 
=== 出典 ===
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
 
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1990年2月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝 48】泥だらけの女王 カネヒムロ」
 
== 外部リンク ==