「忠犬ハチ公」の版間の差分

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== 銅像 ==
[[ファイル:Shibuya Station in Pre-war Showa era.JPG|thumb|left|180px|かつての渋谷駅<br />(※:写真は大正-昭和初期頃)]]
{{Anchors|忠犬ハチ公像}}
 
=== 当初 ===
新聞報道によって「忠犬ハチ公」が広く知られるようになった翌年である[[1933年]]([[昭和]]8年)頃、ハチの美談に感動した[[帝展]]彫刻審査委員も務める彫塑家・[[安藤照]]は、かねてより知り合いであった[[斎藤弘吉]]にハチの銅像を作りたい希望を伝えた。この結果、[[日本犬保存会]]からの依頼によりハチの像が作成されることとなり、上野の死後、[[1927年]](昭和2年)からハチの飼い主となっていた小林菊三郎はモデルとなるハチを連れて代々木富ヶ谷の自宅から[[初台駅|初台]]にある安藤のアトリエまで毎日通った<ref name="naruhodo">2010年9月30日放送、[[テレビ東京]]『[[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]:なるほど再発見!明治〜昭和の写真でめぐる東京散歩』内、安藤士・談</ref>。しかし、安藤がハチ公像を作っている最中、ハチに関する件を全て上野家から託されたと自称する老人が現れ、美術院同人の大内青圃にハチ公木像製作を依頼するための資金集めと称して絵葉書を売り始める事態が発生した。そのため、安藤はそれを阻止する意図でより早く銅像を作らなければならなくなり、ハチが生きているうちに銅像が建てられた経緯がある<ref>[http://welcome-shibuya.net/history/hachiko/idol2.htm 忠犬ハチ公のおはなし]</ref>。動物の銅像がその存命中に建てられるのは極めて異例である<ref>{{Cite book |和書 |author=渋谷駅 |title=渋谷駅100年史―渋谷駅開業100周年記念 |publisher=日本国有鉄道渋谷駅 |date=1985-03-01 |id={{全国書誌番号|86042361}} |page=84}}</ref>。