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'''土岐 頼煕'''('''とき よりおき'''、[[享保]]4年([[1719年]]) - [[宝暦]]5年[[3月25日 (旧暦)|3月25日]]([[1755年]][[5月6日]]))は、[[上野国|上野]][[沼田藩]]の第2代藩主。初代藩主・[[土岐頼稔]]の子。正室は[[松平近貞 (豊後国府内藩主)|松平近貞]]の娘、継室は[[堀直恒]]の娘。官位は従五位下[[伊予国|伊予]]守。
 
1719享保4年(1719、田中で生まれる。幼名は儀八郎。兵部。[[延享]]元年([[1744年]]、父の死去により後を継ぐ。宝暦2年([[1752年]]4)4月に[[奏者番]]となるが、1755宝暦53(1755年)3月25日、37歳の若さで江戸にて死去し、後を弟の[[土岐定経]]が継いだ。墓所:[[東京都]][[品川区]]北品川の東海寺春雨庵。
 
詩歌の才に優れ、錦州という号で多くの詩文集を残している。