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'''イナクセシブル島'''(Inaccessible Island)とは南[[大西洋]]に浮かぶ[[イギリス]]領土[[セントヘレナ]]に属する[[トリスタン・ダ・クーニャ]]にある多岩の無人[[]]ある。「近寄りがたい島」を意味する。面積10km<sup>2</sup>、島の最高峰は561m。[[ゴフ島]]と共に[[ユネスコ]][[世界遺産]]に自然遺産として登録されている。
 
[[火山]]性で険しい断崖が多い多岩の島である。[[科学者]]が時折島に訪れる以外は無人島である。面積10km<sup>2</sup>、島の最高峰は561m。島独特の豊かな自然があり、3000羽以上の野生の[[鳥]]が生息している。トリスタン・ダ・クーニャ島民の宣教師ロジャースが島に訪問した時、世界で最も小さな飛べない[[クイナ科]]の鳥を発見した。[[ゴフ島]]と共に[[ユネスコ]][[世界遺産]]に自然遺産として登録されている。
 
==歴史==
[[1652年]][[オランダ]]船t'Nachtglasにより発見され、その船に因んでイナクセシブル島と命名された。[[1816年]]トリスタン・ダ・クーニャ島に駐留していたイギリス駐留隊は島から撤退したが、駐留隊員の一人[[ウィリアム・グラス]]伍長は彼の家族と共にトリスタン・ダ・クーニャ島に残り家畜をしながら家族と共に暮らした。その時、家畜の[[ヤギ]]や[[ブタ]]もイナクセシブル島に導入された。[[1871年]]に[[ドイツ]]のストルテンホフ兄弟がイナクセシブル島に住み着いた。島にいるヤギやブタを食料にして何とか生活していたが、島の入植は失敗し、[[イギリス海軍]]HSMによる救助されなければならない状態になり島から去った。[[1938年]]に[[ノルウェー]]の科学探険隊は島に3週間過ごし、島の植物や鳥および石の広汎な標本を作った。農場として島を開発する計画があったが、[[第二次世界大戦]]後、その開発計画は駄目になり、島独特の豊かな植物や動物を存続を保障するようになる。[[1962年]]トリスタン・ダ・クーニャの会社が島の地図を描くためにイナクセシブル島に科学者を上陸させ探検を行った。 不運にも科学者は島の内部に得てなかった。 船からの島の地図を描く代わりとなる試みはまた余分な雲量のために失敗した。 島の最も正確な科学的な調査はイギリスの[[デンストン大学]]から島に航海して来た教師と男の生徒で[[1982年]]10月25日に島に上陸し、[[1983年]]2月9日に島から去るまで、島で詳しく述べられ、その間に詳しく地図を描き作り、植物や動物群は調査され、イナクセシブル島の地質学は調査された。デンストン大学によるイナクセシブル島の調査は他のどの探険よりも貢献した。
 
[[Category:大西洋の島|いなくせしふる]]