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'''紫微中台'''(しびちゅうだい)は[[藤原仲麻呂]](恵美押勝)が[[749年]]に創設した、[[光明子]](紫微中台創設当時、既に夫の[[聖武天皇]]は娘の[[孝謙天皇]]に譲位していたため、光明[[皇太后]]である)の家政機関。[[令外官]]。
== 概要 ==
元来、皇后宮職・皇太后宮職と呼ばれていた組織が唐風に改称された。家政機関であったが光明皇太后の命令(詔勅)を施行・兵権を発動する機能を持ち、仲麻呂の権力拡大とともに国家の実質的な最高権力機関・軍事機関へと変貌した。太政官に準じた位置にあり、長官の紫微令は準大納言待遇、のちに紫微内相と呼称がかわると準大臣待遇になった。[[758年]]に[[官職の唐風改称]]が行われると'''坤宮官'''と改称され名実共に太政官と並ぶ機関となった。長官職は創設以来仲麻呂が務めていたが、758年に仲麻呂が大保([[右大臣]])に転じると空位になると、次第に重要性が低下し[[760年]]の光明皇太后の死によって廃止された。
 
== 職員 ==