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アンブロワーズ・ヴォラール
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1898年、アカデミー・カリエールに入学。そこでマティスや[[アルベール・マルケ|マルケ]]と知り合う。1900年、独学で絵を描いていた[[モーリス・ド・ヴラマンク]]と知り合う。ドランとヴラマンクはシャトゥーに共同のアトリエを設け、以後しばらく共同制作をする。<br>
1905年には、マティスとともにコリウールに滞在し制作する。地中海に面した港町コリウールの豊かな色彩は2人の画家の作風に決定的な影響を与えた。この年の秋、サロン・ドートンヌで、彼らグループの作品が集められた部屋は批評家ルイ・ヴォークセルによって「野獣の檻」と称せられた。これが野獣派(フォーヴィスム)の名の由来である。<br>
1905年末から1906年初めにかけて、[[画商]][[アンブロワーズ・ヴォラール]]の勧めでロンドンに滞在し、テムズ川沿いの風景を描く。1907年からは[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]など「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)の画家たちとも交流するようになる。
 
1919年に[[バレエ・リュス]](ディアギレフ主宰)の「風変わりな店」の美術と衣装を手掛けたのを最初として、晩年までバレエやオペラの衣装や舞台装飾も手掛けた。また、挿絵、彫刻なども手掛けている。<br>