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メタコメットは飢えや病気で苦しんでいた[[プリマス (マサチューセッツ州)|プリマス]]入植地の[[ピルグリムファーザーズ]]の[[イギリス]]人を救ったとして有名なワンパノアグ族の酋長[[マサソイット]]の次男であり、(メタコメット本人も[[1621年]]にピルグリムファーザーズと友になったチーフでもある。)[[ワムサダ]](白人からアレキサンダーと呼ばれていた)の弟である。
 
マサソイット死後は長男のワムサダがワンパノアグ族の新酋長になるが、白人側はマサソイットと結んだ両者の平和とプリマス植民地のための12,000エーカー(48.5 km²)の土地を譲渡する条約を無視して入植地を拡大して行った。そのためワムサダは不快感をあらわにしていた。白人との入植地の土地について話し合い、村に帰る途中、ワムサダは謎の死(病気になって死んだらしい)を遂げてしまった。そのため同年に新酋長はワムサダの弟メタコメットに受け継がれた。[[1674年]]12月白人側に付き[[キリスト教]]に改宗したワンパノアグ族の[[ジョン・ササモン]]がメタコメット酋長が白人に対して戦闘準備をしているとプリマス入植地の総督[[ジョシア・ウィンスロー]]に告げた。(ササモンは後に別部族の者に殺害された。)そして[[1675年]]6月にメタコメットは入植地を拡大し自分達の土地を奪おうとする白人に対抗するためメタコメットを支持しワンパノアグ族と同盟を結んでいた部族と共に白人の入植地を攻撃し、白人と戦い、白人入植者達との間で戦争が勃発した。この戦争はフィリップ王戦争と呼ばれた。結局[[1676年]]8月12日メタコメット酋長が戦死し、白人側の勝利で戦争は終結するが、死んだメタコム酋長の遺体は白人達により八つ裂きにされ、切断された首は槍の先に突き刺され、白人達の村に約20年近く見せしめとして飾れた。そして捕虜となったメタコメット酋長の家族は奴隷として[[バミューダ諸島]]に送られた。