「ピルグリム・ファーザーズ」の版間の差分

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入植当初の状況は厳しく、半年で半数程が病死したが、[[インディアン|先住民]][[ワンパノアグ|ワンパノアグ族]]の協力を得て、ニュー・プリマスはやがて、発展するニュー・イングランドの最初の植民地となった。
 
しかし後に、ピルグリムとインディアンとの間でトラブルが起きたりして、インディアンと戦闘なども起きた。ワンパノアグ族の酋長[[マサソイト]]は平和と友好を保つためにピルグリムと条約を結ぶが、ピルグリムはこの条約は彼らインディアンの土地を自分達が領有して入植してもよいと言う神の暗黙の許可であるとも解釈もしていた。そのため、ピルグリムは入植地を拡大しようと、まず1630年に[[マサチューセッツ族]]が住む土地に進入し、ピルグリムの白人が持ち込んだ[[天然痘]]により、天然痘に対して[[免疫]]力があまりなかったマサチューセッツ族のほとんど多くの者は死んでしまった。[[1636年]]には1人のピルグリムの白人が[[ピクォート|ピクォート族]]に殺された事が切っ掛けで起きた[[ピクォート族の]]が翌年の[[1634年]]に起きた。ピルグリムは殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し大集落を崩壊した。しかしピルグリムの白人殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくピルグリムの白人であった。さらに、平和の条約を結んでいたワンパノアグ族とも悪化していった。ピルグリムが「フィリップ王」と呼んでいた、マサソイトの息子でもあった、酋長[[メタコメット]]が父マサソイトが結んだあの条約は結局は部族にとって不正であり、ピルグリムは自分達、部族の土地を奪っているとし、[[1675年]]にピルグリムのプリマス入植地を攻撃して[[フィリップ王戦争]]が勃発した。この戦争により周辺部族も巻き込み、[[1676年]]に終結するまで、ピルグリムとインディアンの両方共に多くの犠牲者が出る悲劇をもたらした。