「ピクォート戦争」の版間の差分

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争いの原因は1人のニューイングランドの白人貿易業者が殺害された事が発端で、白人側の報復としてピクォート族を攻撃して起きたものである。それにより犠牲となったピクォート族はほとんど一掃されてしまった。
 
[[1620年]][[プリマス (マサチューセッツ州)|プリマス]]入植地を築いた[[ピューリタン]](清教徒)は[[1630年]]にピクォート族が住む[[マサチューセッツ湾]]に入植した。最初は白人入植者とピクォート族は友好関係を保っていたが、白人側はピクォート族が住む土地に更に入植地を拡大、そして[[1636年]]7月20日貿易業者だった[[ジョン・オルダム]]と言う白人が殺害された事で、ピクォート族との関係は悪化た。白人側はピクォート族の者が殺したと主張し、犯人の引渡しを一方的に要求した。が、しかしピクォート族側は殺害していないと言い白人側の要求を拒否した。(後にオルダムは別の白人に殺害されたと言われてる。)そのため白人側はピクォート族への報復として[[1637年]]7月[[ジョン・メイソン]]大尉を始めとする指導により、ピクォート族と敵対する[[モヒガン|モヒガン族]]と[[ナラガンセット族]]と同盟を結び、ピクォート族が住む村を襲撃した。村は一方的に破壊され、400人から700人のピクォート族が殺された。その多くは女性や子供など非戦闘員だった。生き残ったピクォート族の人達は2つのグループに別れて逃げた。[[ロングアイランド]]に逃げた部族の者と、Sassacus酋長によって導かれた者に別れた。Sassacus酋長によって導かれた方は、[[ニューヘブン]]近くやコネチカット州の[[フェアフィールド (コネチカット州)|フェアフィールド]]近くで捕まり、殺されたり、またはニューイングランドの他の場所や[[バミューダ諸島]]に奴隷として売られりされた。Sassacus酋長は逃げれたが[[モホーク族]]に捕えられて殺されてしまった。Sassacus酋長のピクォート族は事実上根絶近くに追い遣られた。そしてピクォート族の土地は全てかつてSassacus酋長に支配されていたモヒガン族に占領された。