「ミッチ・ケイパー」の版間の差分

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[[画像:MitchKapor.jpg|thumb|ミッチ・ケイパー]]
'''ミッチェル・デイビット・ケイパー'''(Mitchell('''Mitchell David Kapor''', [[1950年]][[11月1日]] - )は、[[アメリカ合衆国]]の[[プログラマ]]、[[実業家]]、[[投資家]]、社会運動家、慈善家。[[ロータス (ソフトウェア)|ロータスデベロップメント]]社の設立者にして [[Lotus 1-2-3]] の開発者。[[ニューヨーク州]][[ブルックリン地区|ブルックリン]]生まれ。[[カリフォルニア大学バークレー校]] School of Information 助教授。
 
== 学歴 ==
ニューヨーク州フリーポート・ロングアイランドの公立学校に通う。[[1967年]]に高校を卒業し、[[イェール大学]]で[[心理学]]、[[言語学]]、[[情報工学]]、[[サイバネティックス]]を専攻。[[1971年]]に文学士号を取得。ケイパーはイェール大学内のラジオ局 WYBC-FM に大きく関係しており、音楽ディレクターとプログラムディレクターを担当した。[[マサチューセッツ工科大学]]スローン経営大学院の[[経営学修士]]課程にも出席し続けたが、卒業しなかった。[[1978年]]にビーコン・カレッジに入学し、心理学の博士号を取得。
 
== 起業 ==
ビーコン・カレッジ卒業後コンピュータに興味を持ちだし、コンピュータの個人指導を行う仕事を始める。また、[[シリコンバレー]]で世界初の[[表計算ソフト]]「[[VisiCalc]]」の作者[[ボブ・フランクストン]]に出会い、それがきっかけで「VisiPlot」と「VisiTrend」を開発することになった。それらは[[1981年]]にソフトウェア会社 [[VisiCorp]] から発売され、多大な著作権料を得た。
 
この成功を機に、[[1982年]]にロータスデベロップメントを設立。[[ジョナサン・ザックス]]と組んで表計算ソフトの開発に取り組む。完成した Lotus 1-2-3 は瞬く間に表計算ソフトのトップシェアを獲得した。1982年から[[1986年]]までロータス社の社長(後に会長)兼最高経営責任者を、[[1987年]]までディレクターを務めた。[[1983年]]に同社は5300万ドルの収益を成し遂げ、[[1984年]]には1億5600万ドルにまで収益が倍になった。従業員の数は[[1985年]]までに1000人以上に達した。
 
== 退社後 ==
1986年に退社後、[[1990年]]にデジタル権利活動家の[[ジョン・ペリー・バーロー]]、[[ジョン・ギルモア]]らとともに[[電子フロンティア財団]]を共同設立。[[1994年]]まで会長を務めた。[[2001年]]に[[オープンソース・アプリケーション財団]]を設立。そこでケイパーは代表を務め、[[Microsoft Outlook]] に対抗する[[オープンソース]]の [[PIM]] ソフトウェア Chandler の開発に取り組んでいる。
 
ケイパーは、[[2003年]]に設立された [[Mozilla Foundation]] の会長を務めてい。他に、環境衛生に対する慈善団体ミッチェル・ケイパー財団を設立している。また、高等教育と職場で公正さへの革新的なアプローチを促進する非営利団体 Level Playing Field Institute を共同設立している。ケイパーは、バーチャル世界 [[Second Life]] を開発した[[サンフランシスコ]]に拠点を置く会社 Linden Lab の取締役会長でもある。
 
Freada Kapor Klein Level Playing Field Institute を共同設立した活動家で、ケイパー夫妻はサンフランシスコに住んでいる。
 
== 外部リンク ==
[[Category:1950年生|けいはあ みつち]]
 
[[de:Mitch_KaporMitch Kapor]]
[[en:Mitch_KaporMitch Kapor]]
[[es:Mitch_KaporMitch Kapor]]
[[fr:Mitch_KaporMitch Kapor]]
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