「エフェソス公会議」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Haruka~jawiki (会話 | 投稿記録)
Haruka~jawiki (会話 | 投稿記録)
5行目:
4世紀から5世紀に入るとキリスト論の議論は[[アレクサンドリア]]の[[キュリロス]]と[[コンスタンティノポリス]]の[[司教]](主教)[[ネストリオス]]の論争が中心になっていた。キリスト教を二分したこの論争はそもそもキリスト論をめぐって対立していたアレクサンドリア学派とアンティオキア学派の対立を源とする根の深いものであった。
 
ネストリオスは[[アレイオス主義]]およびアポリナリオス主義に論駁するため、[[イエス・キリスト]]の人間性と神性とを完全に独立した二つの自立存在([[ヒュポスタシス]])として並存していたと考えていた。ネストリオスはこの思想の表現としてマリアを「[[神の母]]」(ギリシャ語:テオトコス)というより「キリストの母」(ギリシャ語:クリストコス)と呼ぶ方がふさわしいと主張していた。これを[[テオトコス論争]]という。
 
会議は[[ローマ皇帝]][[テオドシウス2世]]の呼びかけで行われたが、会期は終始混乱した。というのもアタナシオスは身の危険を感じて支持者の到着まで会議への参加を拒否していたからである。その隙をついて支持者と共に真っ先に到着したキュリロスの一派が主導してアタナシオスの排斥を決定したのである。その後、アタナシオスを支持する[[アンティオキア]]の[[司教]]ヨアンネスとその支持者たちがキュリロス一派を弾劾。さらに教皇使節も到着してヨアンネスの一派を破門するなど神学的、政治的なさまざまな干渉によって会議は混乱した。最終的に同会議は[[ニカイア信条]]を再確認し、マリアの呼び名はテオトコスがふさわしいとし、暫定処置としてネストリオスを排斥した。