「トレビアの戦い」の版間の差分

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== 背景 ==
 
[[紀元前218年]]、[[アルプス山脈|アルプス]]越えによってイタリア半島に侵入したカルタゴ軍は、迎撃に向かった[[執政官]][[プブリウス・コルネリウス・スキピオ]]率いるローマ軍を[[ティキヌスの戦い]]で破った。スキピオは[[ピアチェンツァ]]まで軍を後退させ、もう一人の執政官[[ティトゥス・センプロニウス・ロングス]]の率いる軍団の合流を待った。その間にハンニバルは[[ガリア・キサルピナ]]の現地部族を懐柔し、自軍の増強にめた。
 
40,000名近くまで兵力を増やしたハンニバルは南下して、[[トレビア川]]を挟んでローマ軍の野営地と対峙した。この頃にはローマ軍もすでに合流を完了していた。ローマの執政官は一日ごとに軍の指揮権を交代するよう定められていたが、スキピオは先の戦いで負傷していたため、この時にはロングスが全軍の指揮を取っていた。