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'''7代目市川中車'''(ななだいめ
京都の両替商の子、[[1864年|1864(元治元)年]]、二代目[[尾上多見蔵]]の門人尾上常次郎として歌舞伎役者をはじめる。ちんこ芝居、小芝居、旅巡業などで修業、[[1871年|1871(明治4)年]]中山鶴五郎と名乗る。[[1875年|1875(明治8)年]]上京し春木座に出演。評判となり、やがてその実力が[[市川團十郎 (9代目)|九代目市川
門閥外から幹部まで出世した努力家で、師
東西の歌舞伎に通じた知識と豊富な経験は関係者に重宝がられた。特に、[[中村梅玉 (2代目)|二代目中村梅玉]]に死なれた[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]は、中車をよく相手役に選んだ。
晩年は歌舞伎界の長老として、[[尾上菊五郎 (6代目)|六代目尾上菊五郎
[[Category:歌舞伎役者|いちかわちゆうしや]]
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