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載初元年([[690年]])、[[武承嗣]]が上金と素節に謀反のたくらみありと誣告し、ふたりを洛陽に召還して御史台に送った。素節が南龍門駅で殺害されると、上金はおそれて自殺した。かれの死後に、かれの七人の子は顕州に流され、そのうち義珍・義玫・義璋・義環・義瑾・義璲は現地で死に、ただ義珣のみが生き残った。唐の[[中宗 (唐)|中宗]]が復位した後、上金の官爵は復され、義珣は沢王の位を継いだ。
 
[[Category:中国史の人物|りしようきん]]
[[Category:唐代の人物|りしようきん]]
[[zh:李上金]]
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