「三角帽子 (ファリャ)」の版間の差分

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== 作曲の経緯 ==
バレエ・リュスの主宰である[[セルゲイ・ディアギレフ]]が依頼。ディアギレフは最初『[[スペインの庭園の夜]]』をバレエ化したいと考えていたが、これにファリャが熱心でなく、[[スペイン]]・[[アンダルシア]]の民話を元にしたアラルコンの小説『三角帽子』を元にした『代官と粉屋の女房』の再構成を提案した。ディアギレフはこれに同意し、振付にレオニード・マシーンを、さらに舞台・衣装デザインにパブロ・ピカソを起用した。(このとき、ピカソはファリャの肖像画も書いている。)
 
1917年、[[第一次世界大戦]]のためスペイン本土で仮に演奏され、その後改作されてロンドンでバレエが上演された。