「子貢」の版間の差分

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またあるとき、[[叔孫武叔]]が「子貢は孔子より優れている。」と話したことを[[子服景伯]]が子貢に伝えた。子貢は「屋敷の塀に例えるなら、私の家の塀の高さは肩の高さぐらいでしょう。ですから、屋敷の中の小奇麗な様子が窺えます。しかしながら、夫子の家の塀の高さは高すぎて、ちゃんと門から見ないと中の素晴らしい建物や召使の様子は知る事はできないでしょう。ですから、叔孫武叔がそういったのは無理ないことかもしれません。」と見事な例を引き、孔子が優れている事を表現した。この子貢の言葉は今でも中国のことわざとして残っている。
 
== 政治家、実業家としての子貢 ==
春秋左氏伝には、国難に際して子貢が[[呉 (春秋)|呉]]、[[斉 (春秋)|斉]]などへ、外交官として使わされていることが散見している。(春秋左氏伝では'''子贛'''とも表記されている。同一人物とされる)
また、魯の大臣が外交の場で失敗して、子贛がいれば失敗しなかったのに、と残念がっている表現や、斉国から成という城市を取り戻していること、答えに窮した正使を助けていることなどの言動から、かなり有能であったことがわかるし、孔子にも勝ると一部で評価されるのも理解できる。
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