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また、魯の大臣が外交の場で失敗して、子贛がいれば失敗しなかったのに、と残念がっている表現や、斉国から成という城市を取り戻していること、答えに窮した正使を助けていることなどの言動から、かなり有能であったことがわかるし、孔子にも勝ると一部で評価されるのも理解できる。
また、[[史記]]の記述によれば、[[魯]]を救うために[[越]]、[[呉 (春秋)|呉]]、[[斉 (春秋)|斉]]、[[晋 (春秋)|晋]]に使いし後の縦横家顔負けの弁舌をふるって魯を救い、呉を滅ぼし、越を覇者たらしめ、斉
類似の記述は[[墨子]]の非儒下編にもある。
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