「情報局」の版間の差分

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**文学報国会
*[[日本出版配給]]株式会社 全国の出版物[[取次]]業者を統合して[[1941年]]設立
 
==総裁と朝日新聞社==
この項では情報局と既存の組織・団体との関係を明らかにするため、重要な局面で総裁を輩出してきた[[朝日新聞社]]の事例を取り上げてみることにする。
 
初代総裁・[[下村宏]]と終戦前後に跋扈した[[緒方竹虎]]は、ともに朝日新聞社副社長でこんにちでは「高潔な人格」だけが讃えられている。当時、朝日は日中戦争に触発され、欧米を非難中傷する大規模な「[[聖戦博覧会]]」「亜細亜建設博覧会」を主催するなど先駆的な戦争洗脳をほしいままに邁進していた。オーナー社長に次ぐ事実上のトップであったかれらに白羽の矢が立ったのは、とうぜんのことであった。
 
価格協定などで従来から他紙を圧迫し拡大路線を突き進んできた同紙の売上げは、たちどころに400万部に達し、言論独占による国民洗脳に狂奔、[[毎日新聞社]]とともに世界一の部数をめぐってしのぎを削った。異論の淘汰は銀座・[[数寄屋橋]]に壮麗な社屋を構えた同社の社益にもおおきな恩恵をもたらしていた。恥ずかしいばかりの陋屋に手書きの看板を掲げた[[大東亜省]]などとは雲泥の差があった。
 
下村は同紙記者をつうじて[[近衛文麿]]首相にスパイ・[[ゾルゲ]]を紹介するなど開戦に尽力。緒方は軍部の威を借りて[[大本営発表]]を脚色し、もれなく国民を裁くために回覧板まで作成、「その[[焼夷弾]]、女子供でも触れる」などと命じ、銃後の国民生活を破壊した。また戦後の[[東久邇]]内閣時代には盟友・近衛文麿とともに無任所の[[国務大臣]]に君臨して権力を一手に握り、「[[一億総懺悔]]」の迷言を起草して罪を国民になすりつけ、[[戦争責任]]をたくみにのがれた。
 
情報局廃止後は社をあげて[[GHQ]]に協力し、「アメリカ博覧会」を挙行。なおも「裁く側」へと擬態したこの企業は、あろうことか戦犯狩りを開始し、戦時中に集めた「えんま帳」をひけらかして自社に忠実な「[[朝日文化人]]」をそだてていった。総裁以外はだれも戦時の事実を知りえない、という状況はいまも朝日の[[歴史認識]]を権威付け、それはそのまま戦後朝日や政治家・緒方竹虎の権力の源泉となり、のちのちまで国民の生活をおびやかし続けている。戦後、緒方は総裁就任について「ここはひとつ、朝日新聞社全体のため」に一肌脱いだと悪びれもせず語っており、その他、 両者の言動からは、いささかの悔悟の念も窺い知ることはできない。→[[朝日新聞社の戦争責任]]
 
==統制下の芸術家やマスコミ==
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