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B.C.636[[文公 (晋)|重耳]]が帰国しようと黄河を渡って令狐・臼衰・桑泉の3邑を招くと、みな降服した。
2月、懐公は高梁へ逃走した。
郤芮と呂甥は兵を率い廬柳に陣を布いた。秦[[公 (秦)|公]]は公子縶を呂甥・郤芮のもとにやったので、 郤芮らは軍を引いて郇の地に駐屯した。
 
辛丑の日、[[狐偃]]が秦と晋の大夫と郇で和議を盟ったので、郤芮・呂甥は重耳の帰国を承認した。
3月己丑の日、郤芮は重耳が即位すると、彼に殺されるのを恐れ、文公を帰国させたことを後悔して、徒党とともに公宮を焼いて文公を殺そうとした。 しかし計画は勃鞮の密告により文公を取り逃がし、郤芮は兵を率いて文公を追った。
ここで郤芮は秦公におびき寄せられて、黄河のほとりで殺された。
 
[[Category:中国史の人物|げきぜい しんの]]