「高島俊男」の版間の差分

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m 頼山陽の著作は中国でも出版されており「漢文調の日本語文」というのは事実に反する。
外部リンク
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{{文学}}
'''高島 俊男'''(たかしま としお, 男性, [[1937年]][[1月16日]] - ) は、[[兵庫県]][[相生市]]出身の、[[日本]]の[[中国文学者]]である。
 
== 学歴 ==
*[[兵庫県立姫路東高等学校]][[卒業]]。
*[[東京大学]][[経済学部]]卒業。
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*同[[大学院]][[人文科学]][[研究科]][[修了]]。
 
== 来歴 ==
東京大学経済学部を卒業後、銀行に5年勤めたが、大学に再びもどって中国文学の道に進む。
 
[[化大命]]後(つまり同時代中国文学、唐詩、水滸伝などの研究がおおい。
 
親の看病が大きな原因となって[[岡山大学]][[教員]](助教授)を辞職。
以降は、在野の[[研究者]]であるが、[[1994年]] - [[1997年]]には[[愛知大学]]で非常勤講師として中国近現代文学を講義している。
 
「[[週刊文春]]」の名物連載の[[エッセイ]]お言葉ですが…で人気を博す([[2006年]]8月で連載終了一方、李杜こと、[[李白2007年]]2月から、[[杜甫草思社]]を比較して論じたのWebマガジン李白と杜甫Web草思なども著しいる連載再開)
 
他方では、「李杜」こと、[[李白]]と[[杜甫]]を比較して論じた『李白と杜甫』なども著している。
[[1991年]]に、古典の『[[水滸伝]]』を論じた『水滸伝と日本人 江戸から昭和まで』で第5回[[大衆文学研究賞]]受賞。[[1995年]]に、「本が好き、悪口言うのはもっと好き」で第11回[[講談社エッセイ賞]]。[[2001年]]に、[[夏目漱石]]が[[漢文]]で書いた旅行記「木屑録」を解読した『漱石の夏やすみ 房総紀行『木屑録』』で、第52回[[読売文学賞]]随筆・紀行賞受賞。
 
[[1991年]]に、古典の『[[水滸伝]]』を論じた『水滸伝と日本人  -- 江戸から昭和まで』で第5回[[大衆文学研究賞]]受賞。[[1995年]]に、本が好き、悪口言うのはもっと好きで第11回[[講談社エッセイ賞]]。[[2001年]]に、[[夏目漱石]]が[[漢文]]で書いた旅行記「木屑録」を解読した『漱石の夏やすみ  -- 房総紀行木屑録』で、第52回[[読売文学賞]]随筆・紀行賞受賞。
[[2001年]]の著書『漢字と日本人』は、もともとは[[日本語]]を習う[[外国人]]を対象とした本であった。それが日本人自体に受けて、日本語における[[漢字]]の大きな[[意味]]、むしろそれにより齎された大きな問題点を論じたとして話題になった。[[日本]]が[[中国]]に近いからとは言え、[[日本人]]がわざわざ漢字を使用する事自体が不自然で、現に不都合が生じている、和語の成長は、漢語の輸入によって止まってしまい、いまだ日本語は未熟なのだ、と高島は言う。この理論には反発する声も出た。しかし本書の核心は、こういった漢字批判ではなく、いかにその日本語にとりいれるには多分に不都合であるところの漢字と日本人がつきあっていくか(つまり高島自身も、すでに日本語は漢字・漢語なしには生きられないのだ、と考えている)、というところにある。そのひとつに、すべからく漢語は漢字で書くべし、逆に和語はなるべくなら仮名で表記すべしという考えかたがある。このことに関連して、[[本居宣長]]や[[新井白石]]の適度に漢語を使う「和文を基本とし」た文章を「実に明晰」であるとほめ、[[頼山陽]]の[[漢文]]による著作について「漢字しか使わない日本語文」と事実に反する断定をした上で「文化植民地根性丸出し」とこきおろしている。
 
[[2001年]]の著書『漢字と日本人』は、もともとは[[日本語]]を習う[[外国人]]を対象とした本であった。それが日本人自体に受けて、日本語における[[漢字]]の大きな[[意味]]、むしろそれにより齎された大きな問題点を論じたとして話題になった。[[日本]]が[[中国]]に近いからとは言え、[[日本人]]がわざわざ漢字を使用する事自体が不自然で、現に不都合が生じている、[[和語]]の成長は、[[漢語]]の輸入によって止まってしまい、いまだ日本語は未熟なのだ、と高島は言う。この理論には反発する声も出た。しかし本書の核心は、こういった漢字批判ではなく、いかにその日本語にとりいれるには多分に不都合であるところの[[漢字]][[日本人]]がつきあっていくか(つまり高島自身も、すでに日本語は漢字・漢語なしには生きられないのだ、と考えている)、というところにある。そのひとつに、すべからく漢語は漢字で書くべし、逆に和語はなるべくなら[[仮名]]で表記すべしという考えかたがある。このことに関連して、[[本居宣長]]や[[新井白石]]の適度に漢語を使う「[[和文]]を基本とし」た文章を「実に明晰」であるとほめ、[[頼山陽]]の[[漢文]]による著作について「漢字しか使わない日本語文」と事実に反する断定をした上で「文化[[植民地]]根性丸出し」とこきおろしている。
==著書==
 
*お言葉ですが……シリーズ [[株式会社文藝春秋|文藝春秋]]。[[文春文庫]]。
== 著書 ==
*お言葉ですが……シリーズ [[株式会社文藝春秋 (出版社)|文藝春秋]]。[[文春文庫]]。
*漢字と日本人 [[文春新書]]。
*[[李白]]と[[杜甫]] [[評論社]]。[[講談社学術文庫]]。
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*本と中国と日本人と ちくま文庫。
*漱石の夏やすみ 房総紀行『木屑録』 [[朔北社]]。
 
== 外部リンク ==
*[http://web.soshisha.com/archives/word/ 新・お言葉ですが…] ([[草思社]]Webマガジン「Web草思」での連載)
 
 
 
[[Category:中国文学者|たかしま としお]]
[[Category:国語学者|たかしま としお]]
[[Category:相生市|たかしま としお]]
[[Category:兵庫県出身の人物|たかしま としお]]
[[Category:1937年生|たかしま としお]]