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'''柳沢 時睦'''('''やなぎさわ ときちか'''、[[元禄]]9年([[1696年]]) - [[寛延]]3年([[1750年]]))は、[[甲府新田藩]]主。[[越後国|越後]][[三日市藩]]の初代藩主。[[側用人]]として有名な[[柳沢吉保]]の五男。母は側室田中氏。[[官位]]は[[従五位|従五位下]]、[[式部少輔]]。
 
元禄9年(1696年)に生まれる。幼名は左門。同年、将軍[[徳川綱吉]]の柳沢邸御成の時に拝謁、元禄14年([[1701年]])、松平姓を名乗ることを許される。[[宝永]]6年([[1709年]])、父から甲斐[[山梨郡]][[八代郡]]内に1万石を分与されて、甲府新田藩主となった。帝鑑間詰。享保9年([[1724年]])、甲斐から越後三日市に移封されたが、まもなく藩主の座を弟の[[柳沢保経]]に譲って[[隠居]]した。寛延3年(1750年)死去。