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'''藤堂 高次'''(とうどう
高虎にはなかなか実子ができなかったため、[[藤堂高吉]]([[丹羽長秀]]の子)を養嗣子として迎えていた。しかし高虎が46歳のとき、ようやく実子である高次が生まれたのである。そして[[寛永]]7年([[1630年]])、高虎が病死したため、その後を継ぐこととなった。
この頃、津藩は財政が極度に悪化していた。このため高次は、年貢増収による財政再建を図って新田開発を積極的に奨励するなどの改革に努めたが、幕府の普請費用を積極的に負担したため、財政はさらに悪化の一途をたどってしまった。
▲{{先代次代|[[津藩|藤堂氏(津藩2代)当主]]|1630~1669|[[藤堂高虎]]|[[藤堂高久]]}}
[[Category:藤堂氏|たかつく]]
[[Category:江戸の大名|とうとう たかつく]]
[[Category:外様大名|とうとうたかつく]]
[[Category:1676年没|とうとうたかつく]]
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