「マーカス・ガーベイ」の版間の差分

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==異なる視点==
 
1921年頃、ガーベイは、「民族純化」への信念に傾き、[[ウオレン・G・ハーディング]]が自らを混血であることを否定した演説を賞賛した。彼は[[W・E・B・デュボイス]]に対して強い敵意を持っていなかったが、以前にブラック・スター・ラインを批判されたことで仲は悪かった。ブラック・スター・ラインは単なる海運会社であり、アフリカ回帰主義とはまったく関連がないというデュボイスの批判は当たっている。実際に保有しているのは、古い形の船舶が2隻だけだった。しかしガーベイ信者は、この船で母なるアフリカへすべての黒人をアフリカに連れ戻してくれる、という誤解を持っていた。まさしくこれは、ガーベイのカリスマ的な演説によるものだった。

1920年代後半には、デュボイスはガーベイのことを、「精神異常者か反逆者」と呼ぶほどに敵意をむき出しにするようになった。後にガーベイはデュボイスを起訴するのだが、このことは、ガーベイと[[全米黒人地位向上協会]](NAACP)との相容れない関係に通じた。それでもなお、デュボイは[[汎アフリカ主義]]の有力な支持者であった。
 
== ラスタファリズムとの関係 ==