「マテイ・カジースキ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''マテイ・カジースキ'''('''{{lang|bg|Матей Казийски}}'''、[[ラテン文字]]転写: '''Matey Kaziyski'''、[[1984年]][[9月23日]] - )は[[ブルガリア]]の男子[[バレーボール]]選手。[[ソフィア]]出身。
 
==来歴==
身長202cmと大型ながら体のバランスがよく、プレーが安定している。[[2006年]]の[[バレーボール世界選手権|世界選手権]]で27点(1セットあたり0.63本)のサーブポイントを決め、ベストサーバーとなった。また、スパイク139点、ブロック13点など179点をあげスコア総合5位の活躍し、この大会でブルガリアに世界選手権20年ぶりのメダルへと導いた。
 
両親共に元ブルガリアナショナルチームのメンバーで、父親は[[1988年]][[ソウルオリンピック]]代表。両親共にナショナルチームの選手ということもあり、本人もバレーを正式に始めたのはいつだか覚えていないという。
 
15歳でブルガリアのクラブチームで正式にプレーするようになり、早くもジュニアの代表入り。1717歳には[[バレーボールブルガリア男子代表|シニア代表]]として[[2002年]][[2002年バレーボール男子世界選手権|世界選手権]]の代表入りを果たす。しかし、直前になってコーチとの考え方の違いに世界選手権代表を辞退した。
 
スーパーエース、センター、レフトといろいろなポディションを経験してきているが、2002年[[2002年バレーボール男子世界選手権|世界選手権]]では[[セッター (バレーボール)|セッター]]として代表に選ばれている。
両親共に元ブルガリアナショナルチームのメンバーで、父親は1988年のソウルオリンピック代表。両親共にナショナルチームの選手ということもあり、本人もバレーを正式に始めたのはいつだか覚えていないという。
 
15歳でブルガリアのクラブチームで正式にプレーするようになり、早くもジュニアの代表入り。17歳にはシニア代表として2002年[[2002年バレーボール男子世界選手権|世界選手権]]の代表入りを果たす。しかし、直前になってコーチとの考え方の違いに世界選手権代表を辞退した。
 
スーパーエース、センター、レフトといろいろなポディションを経験してきているが、2002年[[2002年バレーボール男子世界選手権|世界選手権]]ではセッターとして代表に選ばれている。
 
 
== 球歴 ==