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'''ピョートル・オレゴヴィッチ・アーヴェン'''('''ピョートル・アベン'''、 '''{{Lang|rus|Петр Oлегович Авен}}'''、'''Petr Olegovich Aven''' [[1955年]][[3月16日]]~ )は、[[ロシア]]の[[政治家]]、[[企業家]]。[[ロシアの新興財閥]](オリガルヒ)の一つ'''「[[アルファ・グループ]]」'''の最高幹部。
 
1955年3月16日[[モスクワ]]に生まれる。[[1977年]][[モスクワ大学]]を卒業する。[[1981年]]同大学[[大学院]]修了。1981年ソ連科学アカデミーシステム研究所勤務。その後、ソ連外務省顧問。ソ連崩壊後、[[1992年]]1月ロシア連邦政府の対外経済関係相に任命される。[[1992年]]7月通貨経済委員会副議長。[[1993年]]金融会社を設立する。[[1993年]]の[[下院]]国家会議選挙に、[[ロシアの選択]]から比例区で立候補し当選する。[[1994年]]に議員辞職し、実業界に専念。[[1994年]][[アルファ銀行]]([[アリファ銀行]])頭取に就任し、[[ミハイル・フリードマン]]の[[アルファ・グループ]]の最高幹部となる。ロシア金融危機では、アルファ銀行は、打撃を最小限に食い止めることに成功し、金融危機後にさらに台頭した。また、[[ウラジーミル・プーチン]]が[[サンクトペテルブルク]]市に勤務していた際に、仕事を通じて協力関係にあった経緯もあって、プーチン政権成立後は、アルファ・グループは、新興財閥が抑制される中で逆に勢力を増大している。第二期プーチン政権の首相に就任した、[[ミハイル・フラトコフ]]とも関係が深く、フラトコフを首相に推薦したとも言われる。アーヴェンは、アルファ・グループがロシア・[[マフィア]]「[[ソンツェヴォ・グループ]]」との癒着が取りざたされた際、これを否定している。